ご無沙汰です。
10/26~11/8まで予定の3年ぶりのニューヨークに行って参りました。
夫はピアニスト・桑原あいちゃん(25歳)のレコーディングです。
ですから今回はそのレコーディングが終わる11/3まで一人で行動です。
以前は終わりごろ私が一人でニューヨークに行くというケースもありましたが、9・11の同時多発テロ以降NYもいろいろ変わってきました。
一人で行くのは危険かな?というので、一緒にいくことにしたのです。
10/26、4時、さー、Deltaに乗り込みました。
デトロイトで乗り継いでのニューヨーク行きです。
優雅にシャンパンを2杯飲んで、いい気持ちです。
長い飛行の末、とうとうニューヨークに着きました。
ホテルはタイムスクエアのど真ん中のホテル、DoubleTreeSuites
とにかく人がウジャウジュ多い。
昔ソニーだの東芝だののあった巨大な看板には日本の企業はなく、それも
ホテルを挟んでもう一つできている。
方向音痴の私はなかなか居場所は掴めない、そんなとんでもない賑やな処。
でもホテルの中は静か、何んにも外の音は聞こえない。ヨカッタ!
このホテルは全室次の間つきです。
ダンナのいびきから逃れられるよう、次の間が必要なのです。
結構心地よいホテルです。
これからボチボチ、ニューヨークでの毎日を綴って行きたいと思います。
だがしかし、その前に怒り爆発の帰りの飛行機を語らねば。
レコーディングプロデューサーのダンナはNYには数えきれないほど行っています。
私も子供から手が離れると毎年のように大好きなNYに行くようになりました。
以前はJalでしたが、2001の同時多発テロの時、初めてデルタに変えたのです。
セントレアから出発できるデルタ便に。
結婚前の娘も同行していました。
帰る一日前、同時多発テロが起こったのです。
NYのアップタウンにいた我々は、やっと4日後に帰ることができました。
サーヴィスの悪いデルタを我慢して、その後も乗り続けていました。
セントレアから乗れることと、夫はビジネスを乗りたいためでした。
でももう今回で終わりにしたい!
帰る11/8の前の日、ビジネスにアップグレイドができ、大喜びでした。
当日はラウンジでDeCafeなど飲み、そして搭乗口で待っていました。
予定の時間になり、30分遅れるというアナウンスが入りました。
これって困る。何故ならデトロイトでの乗り継ぎ時間は1時間。
ダンナはすぐ聞きに行きました。
30分の遅れは、パイロットが取り戻してくれるだろう、とか。
確かにあちらのパイロット、空軍上がりが多いので、運転が上手。
だがしかし30分過ぎても何の動きもない。
それにカウンターには誰もいないし、アナウンスもない。
イライラしているとやっと現れ、これから1時間以上遅れるという。
乗り継ぎの人はどこどこに行くように、と。
買い物ができるくらいの英語の私にはよくわからない。
ダンナはすぐ駆けつけました。
こんな時は堪能な夫頼りです。
長い時間すったもんだの挙句、空港の傍のマリオットで泊まり、明日
Anaで成田に行き、乗り継いで名古屋というのが最良であると。
まず飛行機は既に出発してしまったが、baggageを受け取るように。
マリオットの宿泊券とタクシー券を渡された。
急いで人に聞きながら行くと、我々の荷はなんと既にデトロイトに飛んでいってしまったのです。何と! 何と!
想像できますか?
何にも持っていないのです。
お化粧、下着等何もかも。
ホテルで歯ブラシとシャワーキップをいただいて、お風呂には入れたのは
ヨカッタ。
でも下地化粧品がない。仕方がないのでハンドクリームで顔を塗り、
パジャマがないので、そのままベッドへ。
こんな経験も貴重かな?
翌日はBaggageの心配から始まります。
確かにケネディーに到着しているのか?
デルタなんか信用できない。
Anaは素晴らしい!
第1日本語が通じる、第2に親切である。第3に適切に人がいる。
今までこれらが全くなかったデルタだったので新鮮です。
更に我々はデルタではビジネスになっていたと言うと、プレミアムエコノミー
にして下さったのです。
そうそうラガーディアでデルタの遅れの際、名古屋までの乗客のA嬢と出会いました。
英語の堪能でないAさん、結局我々とズッと同行。
とても優しく、素直な性格。
彼女も英語の堪能なダンナの存在は頼もしかったことでしょう。
我々にとっても彼女と食事をしたり、WIFIやら携帯を教えてもらったり。
その彼女もプレミアムにして下さったのです。
本当に有難いことです。
その彼女は今月からJalの乗務員になるべくの研修生です。
デルタの対応、Anaの対応を実際に経験することができたのは貴重ですね。
きっと素晴らしいFligtattendantになることでしょう。
もうアメリカの航空会社はたくさんです。
ANAに乗り換えます。