たいちゃんと福島の旅は4年ぶり
年中さんの時に、相馬の野馬追に行ったのです
そして翌年あの大震災になってしまったのです
親戚の皆さんはおかげさまで元気でした
一昨年の5月に弟とお見舞いに行っています
親戚の方は皆、その時より震災の話を進んでしてくれました
人間つらい最中には口が重くなるものです
震災から3年経って、少しは心の安定が持てるようになったかな?なんて思いました
消防車に乗ったたいちゃん
小型の消防自動車が親戚の家にドーンと駐車していました
津波の時、消防団だった従弟の子は、この消防自動車に乗って海に向かっていました。気が付くと寸前まで津波が押し寄せてき、もうだめかと思ったそうです
そのとき、ちょうど右手に道があり、曲がることができたのだとか
その道が高台に続く道だったからよかった
その道がなかったらと思うと今でも背筋が寒くなると言っていました
代わりに津波にのみ込まれたのは、消防署に置いておいた買ったばかりのプリウスだったのです
たいちゃん相当小牛が怖いようですね
28キロ圏内の親戚宅は、前のように乳牛を飼うことができません
代わりに子牛を飼っています
エサは前のように自家製のものは使えないので、支給されるそうです
相馬の野馬追の為に飼っている馬小屋で
10頭くらいいるでしょうか
皆きれいな馬です
親戚の彼女は朝6時来てエサやり、馬小屋の掃除などをして、8時に会社、
再び夕方5時に来て、エサをやったり、運動させたりしているのです
DogrunならぬHorserunもあるのです
こんな人々の努力で相馬の野馬追が成り立っているのですね
災害の爪痕がまだ残っています
南相馬の人たちは、津波はここには来ないと信じていたのだそうです
だから海岸の堤防に沿って、家々が立ち並んでいたのだそうです
津波に一度は避難していったものの、戻ってしまった人々は皆、飲みこまれたそうです
二度目の津波の方が、ずーっと大きかったということです
南相馬に2泊して、29日従弟のゆう君の待つ東京に行きました
翌日スカイツリーを楽しみにしていたのですが
あいにくの雨、それも横殴りの雨
それでも上りこそできなかったものの、行ったのでした
とにかくどこに行ってもすごい人、人
消費税の上がる前ということもあったからでしょうか
そして30日名古屋に帰って来たのでした