青春ソラド♪(私の思い出のお話しチョイス編)【前半編】 | はるブログ「私の時間.書き綴り場所」

青春ソラド♪(私の思い出のお話しチョイス編)【前半編】

いかがお過ごしでしょうか。

様々な日々や当時の思い出を振り返ってみながら
2026年へ向けて"新たな年の始まりを前に。"


この前書いて触れて書いた
コチラと↓
この間の満月の写真投稿と他愛ないお話し年末2025年物語

今回の記事内容は,6月10日に書いた記事内容やXで少し触れた(9月20日)ポスト投稿の方で触れた"
"私自身の思い出のヒトコマを、"
当時の高校入試の頃の思い出から,
その後までをチョイスしながら書きました。




青春ソラド♪(私の思い出のお話しチョイス編)という記事タイトル名で今回は
【前半編】を書きました。




*(違う記事内容綴りになる【後半編】の思い出のお話しは,また次回に。)



【記事内容の前にコチラからを書きました。】

2025年12月31日
毎年の大晦日変わらず聴いています。
本日に聴く曲好きな曲


たくさんあって…♪
【本日,聴けるだけ"たくさん聴きながら♪"】
と思ってインスタの方に(12月31日)書きました。



前回御紹介させていただいた曲と、↓
(インスタの方で(12月28日記載)私の聴いてる好きな曲を、一曲一曲の曲名を御紹介させていただきながら書かせていただきました。)



【12月31日】
本日一緒に聴く好きな曲は
"思い出を温かく包み亡き両親と過ごせた季節や月日を様々に思い出しながら、"


"ありがとう。"の想いで
音が刻まれていく12月31日とともに
優しいが溢れている"今"と
新たな"明日へ"
新たな年を前に聴いています。



本年もお世話になりました。
ブログ記事やインスタやX最近は時々マイペース更新なのですが、

来年も"マイペースに更新出来ればなぁと"
思っています。


来年もどうぞよろしくお願いします。








当時の空
見上げた青空が眩しくて
気持ちは何だか嬉しくて♪

そういうイロイロな柔らかい日々だった









・始まる話しの流れ内容を(今回の記事の御紹介とともに)
大まかに抜粋して少し前触れとして書きました。








当時、
(高校入試を控えてた直前の頃の私がいて、
平成に誕生した11歳年齢の離れた妹はその当時,幼稚園に通園していて年長さんの年齢を迎えて小学校入学を間近に控えてた時でした。
2つ年齢の離れた弟は中学に入学して中1の三学期を迎えてた頃でした。)

昔のアルバムから,稲刈り時期風景(アルバムと日記綴り)(日記・記録・綴り)





(今回の記事内容です。)




◆─妹で始まり─
(妹と共に終わった…。)
当時の私の中学校時代の卒業式と
高校時代の入学式と卒業式




◆高校入試を控えての当時の私の思い出のお話し


・(朝から少し緊張気味でスタートした
入試初日、

高校入試の会場までの道のりが、
"大雨に強風に嵐続きの"その中での、

"傘折れても心は折れなかったよ、"
という,それだけの思い出のお話しからの
話しの始まりになります。)








◆当時の中学校3年生の頃の担任の先生との
"三者面談"ならぬ"二者面談"の思い出話し、


中学校時代の担任の恩師からの大事な
"その言葉…。"


その中学校当時の担任の先生からいただいた受験当日のお弁当内容のアドバイスを受けた懐かしい思い出と。






◆今は亡き高校時代の恩師との
入試最終日での
"あたたかな思い出のイチページと。"
その時と,その後の
当時を振り返りながらの書き綴り。







◆高校入試の面接の時に

第一希望の選択クラス音楽クラスでもなくて
第二希望の美術クラスでもない

違う方の第三希望を選択して決めたことや

第三希望欄に書いていた
"書道クラス"を選択してからの
高校入学後の(その後の思い出のお話し。)



選択クラスで選んだ
書道クラスでの授業の中の1つに、
印鑑を作ったり
表札を彫刻刀で彫り作ったり
書道以外にもイロイロな作品を、


(書いたり)
(彫ったり)
(削ったり)


希望してた(音楽/美術の)選択クラスではなかったのだけれど、
新しい仲間や場面との出逢いがあってね
"当時,受験の面接で選択したことに後悔はなくて、"

当時は,むしろ,前向きに捉えてた自分自身がいて

そんな風な思い出話を、
"(そんなこともあったなぁーと、)"
しみじみ語っている私の思い出のお話し。







◆入学後の思い出の話しヒトコマに
こんなお話しも書きました。




◇アルバム委員でのクラス代表代理で
時々"コッソリと、"黒子役(影役)として
委員へ参加,

"とても楽しかった思い出の事"




◇各学年に先輩も後輩も関係なく、
1人が困ったら
みんなで一学年から三学年全員集合で集会を開き




"1人はみんなのために"
"みんなは1人のために"


"(そんな風な校風景色が,とても優しく感じ
新しい校風は自分達で築き作り上げていけるという,1つとヒトコマの場面が
とても優しく輝いていて得るモノもあった。)"


そんな風な入学後の
いろんなお話しを書きました。









◆音楽系の部活での全国大会の舞台を今でも忘れずに思い出として大切な宝として私の家宝と留めて大事に心の中に閉まっている事、




◇"はじめて触れる和楽器を目の前にして怖じ気付いてた私、
初心者マークの私でも弾けるのだろうか
弾けるかな,"


生まれて一度も触れたこともなかった
楽器を目の前にして、
ホンの少し構えて緊張してた当時の私


入部するのを少し立ち竦みが過ぎてしまい
迷っていた私、

幼稚園から一緒だった友人の一人が
声をかけてくれて
不安と心細さの渦中にいた私に声をかけてくれました。

今も忘れずにある,とても素敵な優しい勇気をくれた友人とのヒトコマ場面の思い出のお話しと,はじめて触れた和楽器を目の間に色々な気持ちが交差してた私に優しい声を掛けてくれた友人との大切な思い出や当時の全国大会を通して学んだ私の宝物の思い出のお話し。






当時の私の思い出に残っている,高校入試と様々な変化流れ最中,書き出しから始まり高校入学後の思い出の話し他のいろいろな楽しかったこと獲た学び思い出への感謝を書きました。
以上を書いた今回のブログ記事内容と流れ結びまでとなっております。






◆【記事内容の要約】はコチラとなっております。







◇当時の私の中学時代後半の思い出含め



(高校入試と,その後の高校生活の当時の
お話し、)




私と、他愛ない思い出話しの懐かしい場面と
("今と未来を愛しながら。")






前置き長々となりましたが、
どうぞよろしくお願いします。











それは大昔の私の思い出として
今でも心に大事に大切に、
そのヒトコマの思い出の場面は大事に残っています。





イロイロな優しき懐かしきが
"盛り沢山な"






先ずはじめのお話は,

─妹で始まり─
(妹と共に終わった…。)
私の中学校時代の卒業式も
高校時代の入学式と卒業式当時の

そんな風な
"懐かしき若き日々の思い出のお話しから。"






今は遥か大昔の思い出話しになります。





私の中学校時代の卒業式も
高校時代の入学式と卒業式も




高校の卒業式の頃のお話しになりますが
その式の会場に、
当時,小学生の低学年の時期だった,11歳年の離れた妹が,
小学校に向かわず登校道を変えて
私の通ってた高校へ向かい

「小学校に行くよりも
高校の卒業式で,お姉ちゃんと一緒に
高校の卒業式で
手を繋いで入場して退場して
一緒に花道を潜り通りたかったの♪」

("選抜"道を選んだの♪)
(小学校休んだの♪)


"とかなんとかで…"

式の挨拶後の着席をしようとしていた私の方に向かって駆け寄り走ってきたかと思いきや…,

(私の膝の上に座り…)

(私から離れず…。座り…。)



高校の入学式の入場の時も…,
「私も,お姉ちゃんと一緒に高校入学するから,幼稚園へは行かない♪
小学校の入学式は行かない♪」


(そう言って私から離れず…,)

(私の手を引っ張り…,)

高校の入学行進を並んで歩き…

(私から離れず…,)




そんな風だった当時の私の入学式と卒業式の思い出。



─妹で始まり─


─妹と共に終わった…。─



"私の入学式と卒業式"

(花道………。)




─我が家の妹…─

"私の妹。"


【ただ…花道を歩きたかっただけなのだろうと…。】



その当時も今も,そう思いながら
アルバムに一緒に写ってる妹をみながら
当時を思い出しながら振り返り、



(11歳年の離れたぶん…,)

妹とは、
二つ年齢の離れた弟とは違う景色の思い出が数々にあり褪せず残っています。









高校入試当日初日の朝を迎えた天気模様は、



"強風の中に荒れ狂うような大嵐でした。"







朝から少し緊張気味でスタートした
入試初日、










高校入試の会場までの道のりが、
"大雨に強風に嵐続きの"その中での、



"傘折れても心は折れなかったよ、"
という,それだけの思い出のお話しを少し話したいと思います。







実は、
入試前の数週間あまり、
酷い風邪の症状で学校を数日欠席してた私でしたが、


なんとか治しながら温かくして保ちながら参考書片手に最後の勉強の追い込みをしていました。



気管支系は中学校時代の風邪の症状の際にイチバン酷く症状が出た記憶が今でも思い出の1つとして残っています。


そういう中での体調管理と体調面のキープを整えながら

やっと落ち着いた治りかけからの
当時,高校入試の受験前に

当日の受験会場へと向かっていた当時の私がいました。





大嵐、
強風、
"とてつもない本気の向かい風、"
雨風嵐の中を傘をさして、
(傘をさしても横から雨で濡れてしまい、)






─そして、─





(あろうことか…"強風で傘は折れてしまい…")



"驚いたショックに少しヨレテ凹みそうになりながら、"




─"無事…難所をクリア!!!"─
(いったい!?それは!?
どんな難所だったんだっ?)






風で折れた傘を必死にしがみつくように
"折れた傘をさすしかなかった私…"



(傘は折れましたが,)
(心は折れず平常心に"マイペース")



嫌な予感なんて
"折れた傘で振り払ったのさっ…、
(強気を最大限に込めた素敵な願掛け☆)"



でも、ホンの少し余計な事を考え過ぎてしまったことも…、
気持ちの中では素直に何処かにありました。
(それは今では
当時のほろ苦い思い出の場面へと変わりましたが、)




当時の私は、
"まさか…そんなワケないよね。
きっと良いことの前の前触れさ!大丈夫。"



あてにならない…無茶な土壇場での
"願掛けを…。"繰り返しては
気持ちを落ち着かせていました。




当時の私はホンの少しだけ臆病風に吹かれていました。
進級ごとのクラス替えでの
予め決められた枠での進級ごとでの
クラスの枠という小さな人間関係に躓いてたそんな時期でもありましたし、

その他以外の克服したい事があり、
自分自身の内側の部分と闘いもがき
向き合い乗り越えようと頑張っていました。

当時,まだ健在だった両親には打ち明けることもなく
当時の中学校の担任の先生に正直に素直に話した時もそういう時もありました。




そうこうとして、

なんだ~かんだとしてる間に
受験シーズンへと季節は変わり




中学校時代の当時の私は、
そういう流れの中でのぼっては歩く







その繰り返しをしながら当日を迎えていました。








─中学校時代の色々な場面ごとの一瞬が
思い出されながらの、─






そんなウダウダな気持ちと
振り払った気持ちの両方の中、





【内に秘めてた】




("1つ目の理由")
当時目指してた目標の進路の為の受験だったことと、

当時の中学校時代の担任の先生からは
第一希望校ではなく、

ゼロ校時から授業が組まれている
進学クラスをと話してくれていたのですが

当時の中学校時代の担任の先生が
ススメテくれた高校は、


制服が当時の我が家の家計状況からすると高めだった理由と
お昼時間は校外禁止で、
お弁当は校内のみで
通学の経路をイメージした時
交通の利便性が少し不便で
時間的に遠くなると予め通学経路や時間帯のことが大きく響いてたので



第一希望校だった高校は、

制服も値段的におさえられて
通学の交通の利便性や費用を抑えられ
学費も素早く手続きを済ませられたら負担費用を少し抑えられたという費用面や


お昼時間も学食や校外出入り自由で
お弁当持参でもOKだったこと
通学経路も近く時間帯にユトリを持って登校出来ると思っていたことが決め手となり、



(入学後の当時の私は"しばらく校外出入り自由を満喫してたのですが、")
(その後は"時間を気にしながら時間までに校内に戻らなきゃと、そういう部分のプチストレスに気付いて"お弁当持参でのお昼時間に切り替えました。")

それから、
数年後に高校受験を控えた弟や
小学校入学を控えていた妹のコトもあり

なるべく寂しい思いや心細い思いをさせまいと、その気持ちもあって第一希望校を選択した部分もありました。



そういう理由も(コトも)含めながらですが,当時の私の進路へ向けての思いや考えがありました。




(当時の私は高校の教員を目指していました。現在は全く関連ない資格保有で,全く違う人生(ミチ)を歩んでる途中なのですが未来の姿は分からないから今を生きることは素敵な姿なのかもしれませんね。)







("2つ目の理由")
保育園時代から幼稚園時代
そして、小学校時代から中学校時代にかけて、
味わいたかった"楽しい"という場面の1つ1つを高校生活を通して楽しい中から
クラスみんなと共に学ぶ"何かを体験して"
得たかった思いと

"楽しい場面を通して私自身が成長をしたい思いもあり、"
1つではなかった"2つ目の理由"がありました。







("3つ目の理由")
父が途中まで通っていた高校へ
その思いも当時の私自身の中に何処かしらにありました。

友人を庇い自主退学を選択した亡き父の思い出の話しを聞いたことがあり、
父は,その後,経緯を経て県外へと就職したそうです。


その亡き父が途中まで通ってた高校が
当時,私が希望してた第一希望校でした。


そんな父の青春時代の思い出の話や
イロイロな当時の景色を
移り変わっていった景色を

父が話して聞かせてくれたことも少なからず当時の私の胸の内には何処かにありました。









─受験初日の朝,─






そして、


受験会場へと向かう私の足を




止むことない強風は向かい風を繰り返し
大嵐の横からの雨に叩き付けられても




ひたすら受験会場を目指し雨に濡れても
歩き続け、







その時の私は、
大嵐と強風の中

折れた傘を握りしめ

土壇場で…。




そう自分自身に言い聞かせていました。
沸いて起こる…。
繰り返す…
嫌な予感を振り払いながら、





(そんな不安と闘いながらの最中…)



─歴史上の人物が…私の脳裏に過り
思い出しながら心落ち着かせ会場までの残りの距離を歩きました、─


(降り止まぬ雨と嵐に,うたれながらの道続き。)



雷が光る中で思い出した
歴史上の人物織田信長風、
「人間五十年下天の内を比ぶれば夢幻のごとくなり」



武田信玄の風林火山


(入試とは関係ない感情が…)
─ここに登場した当時の私。─


"もし…信長さんや信玄さんが当時の時代の流れの中で長生きしていたならば、"

"今の現代の世の中は
どんな時代になっていたのだろうか。"

"もし…、"

という不思議に似た疑問似た感情が
"ふと、"沸いて,そんな風な事も過ったり、






─(あとはですね、)─


戦後,混乱が続いてた沖縄を
本土復帰へ導いた
本土並みの教育を子供達に、
安心して安全に学べる環境の整った学び舎を子供達に
"同じように教育を受けられる権利と場所を"と、
戦後の,その混乱の最中、
教育第一を掲げてた

沖縄の初代県知事、屋良朝苗。






そんな風なことを過り浮かべ思い出しからの
思いながら、






強風と大嵐という名の向かい風、
そして、
どしゃ降りに耐え

やっとの思いで受験の教室まで辿り着き





会場の教室へ入る前に一呼吸。


(始まる前に,うろたえる)
自分自身の気持ちをはね除けてながら入室,






参考書の最後の確認をして閉じて





試験の答案用紙に向かい…





どしゃ降りの雨の音も忘れ…試験に集中。







(途中…問題内容を見て読んで驚き慌てふためきましたが、)






ナンとか…持ちこたえクリア。





途中…選択問題への解答に迷い悩みましたが、







信じつつ選んだ"その答え、"
"後悔なんてしないと決めて選んだ"
"その答え。"






中学校時代の担任の恩師から口酸っぱく言われ続けていた"その言葉…。"


もっと慎重に注意深く判断せよ。
冒険心だけで決めず判断せずに。
の言葉は
もはや遠くにあり







問題内容を繰り返し読み
その質問が

◆"何を聞いていて(問い掛けていて)"
◆"何を聞きたくて(問い掛けるのかを)"
◆"どんな結論と結果を求めているのかを、"




落ち着きながら深呼吸、
選択の問題をクリア。


それが試験初日の午前の出来事でした。


そんな御天気模様の中で受験初日を迎えていました。






ここからは、
"高校入試の時の面接で
少し迷い,でも迷わず決めた、"

"希望してた選択クラス"から



─"違う希望選択クラスを決めたお話しと,"─







"その後の高校生活で過ごしてたお話し。"






当時、
見上げた青空が眩しくて
気持ちは何だか嬉しくて♪



そういうイロイロな柔らかい日々だった
季節を同時に思い出してみながら
書いてみました。








私,高校生の頃ね
時々の代理でクラスメンバーが参加出来ない時だけの、
アルバム委員だったんです。

(クラス代表の代わり代理での
(黒子役)(影役としての)
控えとしてのそういう風な
役割と時々の参加でしたが…。)



"ありがとう"と"始まりと。"(思い出から届いた "プレゼント")





アルバム委員の集まりの時には、
アルバム作成と編集を委員のメンバー皆で
写真を手分けしながらね、

このページには"この写真どうかな!?"
ラストのページは"どんな風に飾る!?"

始めのページから途中のページまで
"どんな流れのインパクトを残そうか!?
"


そんな風な話をしてた懐かしい思い出も今でも変わらず心に残り
懐かしくあります。









高校受験の入試の最終日の面接でのコト、
その当時の思い出の話しになります。

当時の私は、
クラス選択で音楽クラスを希望して
入試の最終日面接に挑んだのですが、




その当時,
第一志望にしていた高校入学へ向けて、

受験勉強と面接までの模試を繰り返し




"高校入試受験の当時を迎えました。"





高校受験の入試の最終日の面接でのコト、

その当時の思い出の話しになります。






当時面接担当だった
その後3年間私の教科担当となった
恩師でもある
(いまは亡き先生に、)

その当時の面接担当だった先生との、


面接での時に
こんなやりとりの会話の思い出が
今も大事な大切な一ページの宝物として
心の記憶の中に残っています。


コチラのブログ記事にも触れて書いてます。


"ありがとう"と"始まりと。"(思い出から届いた "プレゼント")






"当時の私は、
【第一選択クラスの希望は】
音楽クラスを希望だったので,"



気持ちぶれずに迷うことなく、

クラス選択で音楽クラスを希望して
入試の最終日面接に挑んだのですが、



その当時の入試担当の先生に
(その後の私の高校時代の
三年間の教科担当になった、)
(亡き恩師の先生に)







"音楽クラスは定員オーバーで、
残りの第二希望の美術クラスも同じで、

クラスの定員が足りてないのは、
第三希望の枠に書かれてる
書道クラスしかなくて、"




"書道クラスは先程も話した通り人数が足りてないことも踏まえて
もう一度,確認しますが、"



その答えを教えてください。




今後,将来へ向けて
どんな風に取り組みたいと考えていますか、アナタの考えている将来へ向けての進めて取り組んでいきたい考を教えてください。




「あと,もう1つだけ、」



「中学校生活を通した三年間の中で
アナタだけが知る思い出はありますか"。」









そう質問されたあと、
一瞬の時間の中でグルグルと迷う中で
冷静になり考えていました。



そして、こう答えました。




第一希望に選択した(音楽クラス)
第二希望に選択した(美術クラス)

そして、
第三希望に選択した
(書道クラス)





"どちらかの選択クラスになったとしても、"




"音楽を好きな気持ちを持ち続けられている今後の私の姿と,
変わらず揺るぎない気持ちと想いが
これから先も,そうずっと持ち続けてあるなら、"



"高校に入学してからでも
イロイロな角度から大好きな音楽と一緒に
目の前を開拓して自分の力を信じて拓く



その中で、

音楽を通して学び得られる部分は
"部活動を通しての音楽の表現や世界を通して磨き得られるという部分もあると思います。




今,もう一度,冷静になって自分自身の気持ちを再確認して迷いなく、

自分自身が選択して選んだ
第三希望の書道クラスへの
選択クラス希望を決めました、






"高校での書道クラスで、


縁のある書道クラスの仲間と,

新しい仲間みんなと
新しい学びを共に過ごしながら
中学生の頃以上の思い出を作り
三年間という時間を共に一緒に頑張りたいです。



今後への進路も踏まえ見据え
1つ1つ積み重ねていきます。"




今,目の前にある選択クラスでの高校生活三年間を通して学び得ながら
クラス仲間、学年仲間と共に一緒に頑張りながら、


その中で,
私の掲げている将来の目標へむけて
日々の学生生活を基盤に大事に積み重ね
目指す方向へと一歩ずつ進学とその先へむけて目の前から1つ1つ取り組んでいきたいです。




(結果として出した結論は、
"書道クラスを選択しました。")





そんな風な感じで答えた
当時の、
そういう質問を受けて返答した懐かしい思い出を
今でもハッキリと鮮やかに残り思い出として記憶しています。




そういう風に瞬時な中で答えへの整理をまとめて、

自分自身が後悔のない"そういう始まりになるようにと込めて。
"納得出来る結論を出しました。




その時の当時の私は
想い
そのままを、
言葉変えながら工夫して
思った答えを
そのままに、
答えました。






その次に話し答えた内容は、


高校入試を控えての当時の私と、
当時の中学校3年生の頃の担任の先生との
"二者面談"の思い出話しと、
(当時、色々な家庭事情があったので
最終的に先生と話し合い二者面談の流れになりました。)



その中学校当時の担任の先生からいただいた受験当日のお弁当内容のアドバイスを受けた懐かしい思い出を話しました。





そういう私だけが知る中学時代の思い出としての話しと、




入試を控えてのお弁当の内容と



高校受験当日のお弁当内容は、
自分自身で前日から用意して下準備する事は、
当時の担任の先生には事前に話していたので、




その当時の中学校時代の
担任の先生からの
ゲンカツギ的なアドバイスがあって、



「"イチゴ"と"トンカツ"を入れて、
"1番に合格"をカタチにして自分の力で
掴み取りなさい。」



「ココからの将来の道を
(自分自身の人生を)
"冒険心だけで進んではいけないよ。"
"1つ1つをカタチにして進む力を育てなさい。"分かった?」




といった内容の二者面談での担任の先生との,やり取りがあった出来事を話しました。






そいう経緯の話しや、



それが1つ目の
"私がお世話になった中学校時代の恩師と
中学校での環境との、"

私だけが知るイロイロな場面での思い出、


そいう風だった経緯の話しや





もう1つは、
中学時代に入学して早々に、



(皆と楽しく賑わいながら,)

音楽を楽しく
"歌いたかった…"
合唱部をつくりたかったけれど
その希望は叶わなかった話しと、



イロイロあった中学生活の思い出と
そういう苦かったを味わって知った思い出や




"その思い出を通して気がつけた得られたこと"

私だけが知る思い出の部分,今だから気がつけたこと"を話しました。






1つ1つを学んで活へと変えていった中学生の頃の時代の思い出と得たモノを話しました。






そんな風な答えを最後に話した当時の私に





面接官担当だった当時の先生は、
こう話し返してくれました。







「中学校生活の中で,出来事1つ1つを通して
たくさん乗り越え頑張ってこられたんですね。たくさん頑張りましたね。


とても前向きな姿勢で挑みながら挑戦していく姿が印象的で,とても素直に
真面目に頑張って,大変だった中で,
たくさん乗り越えて頑張ってこられたんですね。




音楽への想いも
コチラの高校への想いも強く伝わって
とても嬉しかったですよ。

将来へ向けて取り組んでいきたい方向の進路の話しも触れて聞かせていただいて
"どうもありがとうございます。"



と同時に面接は終了しました。




そして、



当時,面接担当だった恩師の先生から
(今は亡き先生から、)



面背の最後に再び、
"こう言葉をかけられました。"





「"新しい仲間と一緒に,"
素敵なスタートをして
賑やかに面白いことも
思いっきり楽しんで学び得ながら3年間を頑張りましょうね。」






当時の私は、

生まれてはじめて
誰かから褒められた事に驚き

それと同時に"何処か心ホッとして"

その時の当時の私は、

不思議と、
思いが,こう浮かんだのです。


こんな私を褒めて認めてもらえる,そういう場面や場所があるのだと,心素直になっても良いのだと,

その瞬間と場面に触れて知ったことが喜びとなり
嬉しさへと("変化していきました。")






当時、
描いてたイメージの高校入試や面接とは
違ってはいましたが、



今でもそうですが、
"自分自身が選択した結論を後悔したことはありません。"


(それが,後々に続く人生へと繋がらなくても違ってても,自分自身で出した結論、
そして、"選択")



正しいか間違いか
そういうことよりも


自分自身で"選択した"その時の、
あの場面が、


今も私の自信へと繋がり力に変わり
思い出としてもですが、


大人になった今でも活きた私の1つの宝物であり、

思い出として飾ってとって置くというカタチよりも、



今も
("その当時の経験と得たモノからの自信が,")
原動力として変わらぬカタチで
一緒に歩き続けています。






ここからの話しは
私自身の当時の
その時の思い出話を振り返りながらの話しに触れての書き綴りになりますが、






中学時代の頃の大変御世話になった
中学3年の頃の担任先生との
会話を思い出しての話しや、
高校入試に合格発表の日





その科を選択した私と母との間には
色々な理由からの距離が出来てしまい
ろくに話しも聞いてもらえずしてもらえず
親子なのに距離が遠くに感じて

なんとなく寂しく感じていました。




その高校の科を合格したことを
母も、
母方の大正生まれの祖父母も呆れ顔で
笑って喜んではくれはしなかったのですが、


色々な流れや
時代からの捉え方の食い違いや
考え方の食い違いが生じて解消されないまま、

この間の満月の写真投稿と他愛ないお話し年末2025年物語



当時の私は、
合格発表の日を朝を迎えていました。



(当時の父は出稼ぎで居なくて
母は弟と妹優先と、
先ほども触れた話しと、
そういう理由の為。)


当時の私は、
少し心細く感じてはいたのですが
同じ出身校の仲間に囲まれながら
そういう心細さも吹き飛んで
みんなと一緒に,その瞬間を待っていました。



合格発表の提示版を前に
ドキドキしながら受験番号を探し見付けた時の事や、



その合格発表の提示版を下げる担当だったのが、



今は亡き恩師の高校時代の
大変御世話になった高校3年間教科担当で
高校3年の頃の担任の先生でした。



当時の高校時代の恩師の先生は、
その合格発表の提示版を下げながら

こう言葉を発してくれました。



「ようこそ!我が高校へ!
一生懸命頑張ってきたキミ達を待っています!」





「もしも番号が見つからなかったとしても
肩を落とさないで二次試験に向けて最後まで全力で」






「コチラの高校を選択してくださった皆さん,高校入学前の言葉として、
雨にも風にも負けないキミ達だと先生は
信じています。

帰り道は気をつけて帰宅してね。
以上!」




そんな風な言葉をかけてくださりながら、


笑顔で笑って手を振ってくださってくれてた懐かしい姿が
つい,昨日のことのように懐かしく
あたたかく思い出されます。






高校生活三年間の素敵な日々の思い出も全て"あっという間に過ぎていきました。






それから、
当時、三年間だけ音楽系の和楽器系の部活に入部をした思い出があります。



(当時はその部活と本屋でのバイトの両方と
11歳年の離れた平成生まれの妹の子守りにもおわれてたのですが,
それも"また懐かしい思い出の1つです。")





入部を決めた決め手の理由は1つではなく当時の私の心模様の心境の変化の中では

たくさんの"気持ちの迷いが不安と当時に出てきてしまい、心細い気持ちが先に走りあったのですが、"



"はじめて触れる和楽器を
初心者マークの私でも弾けるのだろうか
弾けるかな,"




生まれて一度も触れたこともなかった
その和楽器系の楽器を目の前にして、
ホンの少し構えて緊張してた当時の私と



新しい仲間と一緒に音楽の部活を通しながら練習についていけるだろうか、

本番の課題曲を弾いて通してこなしきれるだろうか、





そんな不安とともに立ち竦んでた当時の私に、


(大人へとなった今も何処か,この当時の頃の私と変われてない部分があって、
今も自分自身の内側と奮闘中なのです。)






幼稚園から一緒だった友人の一人が
こう声をかけてくれて
不安と心細さの渦中にいた私に






「"弾けない"から"弾けるように練習するんだよ、"」



「和楽器系の楽器方が三味線サンシンよりも弦が少し多いだけで,」





「弾けるよ!」

一緒に頑張るから、
なーんも悩まんで

いざ全国大会の舞台へと行こう!」





そんな風な温かな言葉をかけてくれた優しい友人で
吹き飛ばすくらいの明るい笑顔で笑い飛ばしてくれました。

とても素敵な優しい勇気をくれた友人で、





そういう風な友人からの言葉も
1つの良い前向きになれたキッカケへと
変化をして、



その友人と一緒に
新しい仲間が待っててくれていた

音楽の部活へと入部を決めて入りました。




楽器演奏の練習を頑張って
全国大会へ飛行機に乗って故郷から出られるかもしれない、




(中学校時代から少し反抗期が尾をひいていたのかも知れないのですが、

当時の私を取り囲む家族家庭親子関係や周りの親戚:そういった小さな内輪のシガラミみたいなモノに少し嫌気がさしていた部分もあり、
生まれ育った故郷を
何処か遠巻きに傍観してた当時の私もいたかもしれません。


育んで育ててくれた故郷を
優しい気持ちでは見つめられずに、
曲がり偏った当時の私と
反抗期もあったかもしれないのですが
付け加えていうと
私自身の"やや深く物事を考え過ぎてみてしまう受け止めてしまう,真面目が過ぎてしまう,真剣さが過ぎてしまう部分"性格の部分や,当時の年齢からの未熟さもあり、


"自分自身の内側のコントロールやバランスの対処や取り方に人として未熟な部分があったと今,当時を振り返るとそう思ったりと
そう思うこともあります。")







先ほどの話しからの続きに戻りますが、






舞台での景色は
"どんな風な景色が広がっているのだろう。"




"小さな故郷とは違う場所の
全国の中の,その大きな場所は、
どんな所なんだろう、"



単純に.そう信じて練習頑張ってたことと、




あとは、


当時の私は
故郷や母やキョウダイや家族という鎖から離れたかったのかもしれません。

"きっとホッとしたかったのかもしれません。"


故郷や家族(母や弟や妹と)から
やっと肩の荷物おろして
"ホッと束の間でも"



"家族から(母や弟や妹から)"遠く遠くへと距離を置いて
"家族という親子キョウダイという鎖から
役目と強いられた鎖と押さえつけられてきた羽を

素直な自分自身の心のままに飛んだり
飛べる喜びを味わいたかった当時の私の姿と、

母の顔色伺わずに
自分自身の素直な気持ち押し込めずに呑み込まずに我慢もせずに,
そこから(故郷から)母から、
放たれて"離れられるから。
自分自身の空間で呼吸出来るから。


(どこかで,ホッと安心したかったから。)
という思いと、




そういうイロイロ感じていた当時の私の姿や、




故郷とは違う場所場所へと
音楽を通して違う世界を知る事が出来て
まだ見ぬ知らない場所へと行けるかもしれないから、



音楽系の部活動を通して
"音楽の世界を少しだけ触れられるかもしれない。"
そういう経験が,
もしかしたら!?叶えられるかもしれない。





そういう,とても単純な子供だった動機の考えや思いと、


突っ走るだけのブレーキの止めかたを知らずにいた、
若気の至りだらけだった、
その当時の、
私らしい,とても単純な後先を考えずの行動だったのですが、



案の定、
後先考えずの行動が

後の私の
はじめて弾く練習に




向かい風となり躓いてしまっていた当時の私がいました。



弾くのも弾きこなすのも、
誰よりもスピードが遅かったので、

自主練習を繰り返し
やっと追い付き、





全国大会で弾いた課題曲も、
舞台の温度も
舞台の息づかいも
舞台を通して,吸収出来た当時の経験は、



大人になった今でも
私にとって、
とても大切で大事な思い出という宝物として
褪せず輝いて残っています。






当時の大昔の全国大会での楽器演奏の思い出
舞台での演奏が,とても忘れられない大切な
私の思い出の1つとして残り



舞台へ続く道のりも
舞台へ向かう道のりも
舞台からおりていく瞬間の名残も


全てが一瞬の舞台でしたが、


私にとっては、
少しだけ触れられたような"感触"は、
一生モノとして褪せず輝いて
得たものから気づけた部分も
そういう時も"懐かしく"残っています。




それを通して
イロイロな世界を"知る""見る""聞く"に触れて



とても大切な
とても濃い
"宝物を1つ"
音楽を通して学べた機会にも繋がりました。

新しい自分自身を知るキッカケも出来て,

1つ1つが輝いてて

今でも懐かしい思い出として、
私の心に残っています。







ここからの話しは
私自身の当時の
その時の思い出話を振り返りながらの話しに触れての書き綴りになりますが、





当時,高校時代
書道クラス仲間みんな、
男子女子生徒みんなチームという感じで




当時は同じクラスに好きな人がいて
懐かしさと同時に優しい気持ちになり
"ふと"思い出す時もありますが
もう今は"ありがとう"という想いだけの
思い出のページへと変わりました。


誰かを想える恋もあったし人を好きになれる素敵なことに出逢えた,そんな風な青春の時期でした。



(こちらのリンク記事で書いた内容に少し
高校生活での思い出に触れて書いてます。)



好きな音楽曲と過去の作品を懐かしむ話し,思い出の話し少し(という記事内容綴り)



ちなみにというほどのことでもありませんが
その好きだった人は
保育園時代から中学校時代まで
一緒に登下校していた幼馴染み君ではありません。


(小学校,中学校時代と,幼馴染み君の恋を,)
"(応援してた側でした。)"


─【青春でござりましたなぁ─。】─

今も変わらずただの幼馴染みで,ホッと出来る仲の良い親友に変わりはないのですが、
幼馴染み君とは中学校卒業後は別々の高校進学で,その後の大人になり互いに別々の道を,それぞれの人生を歩んでます。

思い出の話し集(チョイス編ファソラ♪)






(お話し戻りますが、)




書道クラスでの授業の中の1つに、
印鑑を作ったり
表札を彫刻刀で彫り作ったり
書道以外にもイロイロな作品を作ったりと
そういう風な授業内容も含まれてありました。



(書いたり)
(彫ったり)
(削ったり)



希望してた(音楽/美術の)選択クラスではなかったのだけれど、
新しい仲間や場面との出逢いがあってね
"当時,受験の面接で選択したことに後悔はなくて、"

当時は,むしろ,前向きに捉えてた自分自身がいて

希望通りではなかったからこそ、
違う出逢いを見つけられたんだなぁーって
"輝く瞬間を見つけられた出逢うことが出来た。"

誰かを想える恋もあったし人を好きになれる素敵なことに出逢えた,そんな風な青春の時期でした。

今は今の日々を愛して恋しく"あたたかな気持ちでいられて、音楽から優しさを溢れんばかりにもらえているし,動く原動力をもらえているよ。"

"ありがとう!"の想いで溢れていて






─あとはですね、─




各学年に先輩も後輩も関係なく、
1人が困ったら
みんなで一学年から三学年全員集合で集会を開き



"みんなは1人のために"
"1人はみんなのために"





そういう部分が自然に広がりの輪になり浸透していて何処かしらに
みんな分かっていて胸に留めながら
そういう学び舎と当時の風景でした。



一学年から三学年全員集合で、
生徒同士の意見交換を交わし



遠慮は無しで、
1人1人の意見は
どんな些細な意見であっても
互いに隔てなく尊重し合いながら
分かち合えるように確認しながらを繰り返し話し合い通しあうという場面で得たモノもありました。





皆で話し合う確認の話しの中の1つには、





「誰かを責める前に
責めなくても良い方法を皆で考えて
作っていこう。」



「結局,繰り返しが続き
誰も笑顔に喜べないのなら、
元の原因を無くして試しに期間を設けながら過ごしてみるのは,どうだろう!?」


その意見交換での総合的なまとめた結論を、
先生方に話をした後許可を頂き


先ほど話した通り
そうやって1つ1つ学校の校風や
今までの古い規則やルールや歴史を,
今通学している自分達に合う規則とルールと歴史に変えて全員で話し合い意見交換を交わし
開拓して"新しい歴史を"自分達で築き上げて積み上げ作り上げていきました。


その際の時の集合での生徒みんなの意見交換の時には、
周りで見守ってくれてた先生方は
一切の口出しはせずに
ただ優しく見守ってくれていました。


授業中も笑いの絶えない明るいクラスで本当に賑やかで
その当時の頃の日々が大好きな私がいて
心から,めっちゃ笑顔で
心から,たくさん笑ってたなぁーとかね、

そんな風なコトも思い出していました。
とても賑やかで明るく素敵だった
高校三年間の思い出でした。








高校入試を控えての当時の私と、
当時の中学校3年生の頃の担任の先生との思い出話しと



"あたたかな思い出のイチページと。"
その時と,その後の
当時を振り返りながらの書き綴りのお話しは、以上となります。





そうそう最後になりますが、

この間部屋の模様替えの時に
出てきた

懐かしい学生時代の頃の思い出の写真が
数枚目に鮮やかに優しく留まってしまって、



当時、
記念の撮影の時、


アルバム撮影で訪れて来てくれていた
カメラマンさんの合図の言葉で、
"始まりの笑顔"と皆で肩を組んで
カメラと青空に向かい


私はハニカンデすまし照れて
仲間と一緒に笑い笑顔いっぱいでした。




その時の笑顔、
"青空の下で
"始まりの空を"見上げた私が"写っていました。



当時の空
見上げた青空が眩しくて
気持ちは何だか嬉しくて♪


そういうイロイロな柔らかい日々だった
季節を同時に思い出した瞬間でした。





私と、他愛ない思い出話しの懐かしい場面と

("今と未来を愛しながら。")


青春ソラド♪(私の思い出のお話しチョイス編)【前半編】






長々と話し書き綴ってしまいましたが、

記事を読んでいただきまして
どうもありがとうございました。





今回の記事は
この辺で。








美味しい御飯のヒトトキ
寛げるヒトトキ
素敵なヒトトキを。


体調に,お身体に気をつけてくださいね。
明日も素敵な優しい良い1日を♪