"ありがとう"と"始まりと。"(思い出から届いた "プレゼント")
今回の記事内容↓
→(まとめると,こんな感じの内容です)
①亡き両親と、
キョウダイ
(2つ下の弟と,11歳年の離れた妹へ)と
書いてみたお手紙な記事綴り。
②4月の今日
私の誕生日と今までの思い出の話し。
思い出から届いた
"私へのプレゼント"
③これから出逢う日々への
"どうぞよろしく"と、
"今を,ありがとう。"の感謝の想い。
メッセージボード欄用の記事も、
更新しました。
よろしければ,
どうぞ宜しくお願いします。
↓
追記:(新しい日付けを更新いたしましたので、
ボーダーをひかせていただきました。
4月17日に書き綴り投稿したメッセージボード欄用の記事と写真は、
(アーカイブ保管しました。↓)
説明部分は同メッセージボード欄に記載しています。
どうぞよろしくお願いいたします。)
誕生日の今日を
優しい幸せな想いで
迎えることが出来たのは、
亡き両親と、
キョウダイ
(2つ下の弟と,11歳年の離れた妹へ)との
"思い出という名の支えと、
今まで出逢えた方々との縁や支えと
優しい励ましのおかげがあってこそ、"
4月の今日、
私を生んでくれて
"どうもありがとう。"
春の季節と私の今と
これからと。
また新しい今日からの始まりを
頑張ります。
─────────
誕生日の今日、
両親との思い出と感謝の想いと一緒に
新しい今日を迎えられた感謝の想いと一緒に、
大切に聴いています。
ブログ記事に投稿した写真を使用しました。
その投稿した写真を使用しての
リール風を作成してみました。
─────────


誕生日の今日を
優しい幸せな想いで迎えることが出来たのは、
亡き両親と、
キョウダイ
(2つ下の弟と,11歳年の離れた妹へ)との
"思い出という名の支えと、
今まで出逢えた方々との縁や支えと
優しい励ましのおかげがあってこそ、"
イロイロな想いを振り返りながら、
そんな風な想いを感じながら、
書いてみたお手紙な記事綴りです。
去年の
4月の誕生日とは,また違う部分の
想いや
気持ちや
心の中でのカワルガワルの流れの変化も
"日々刻む時とともに"変わってきている実感があるのも、
大なり小なりとありますが、
その刻む中での経過してく
時の流れの変化の中で
"なんなとなーく、"
"触れながら感じ想い変化してきた部分、"
そういう部分への感謝の想いとともに
今感じている部分の気持ちや心を大事に
していきながら、
最近は、
何故だか"不思議と、"
懐かしい思い出のモノを
"ふと、"
触れなぞったり
読みなぞったり
そういうヒトトキも増えてきました。
思い出のモノを触れたりの1つには、
当時の頃のアルバム写真や、
イロイロな季節の流れが残してくれた
1つの想い
1つの景色
1つの気持ち
1つの風景
1つの心
1つの流れとともに歩んできた道
言葉や文章には映らない部分が
"カタチとして目の前に残り、"
でも,それは、
"カタチとしては、"残らずに、
"目の前に残りながら"
今を一緒に生きてくれている宝物へと
変わり、
そういう部分も
ヒトトキを過ごしていての中を通して
以前より少しずつ増えてきたようにも
感じる,この頃でもあります。
その1つには、
当時,成人式を迎えた頃の私の思い出の姿もあります。
もう1つの思い出からの話しを先に、
その思い出を通してのコトも、
その次に話します思い出のヒトコマも、
それらのコトやヒトコマが繋がり出来た
1つずつが私の"宝物プレゼント"へと
変わってきての"今の変化模様の中にいる
私があります。"
私が小学校を卒業する当時の頃、
担任の先生から、
この詩を贈る言葉として贈られました。
それは、
河井酔茗さんの詩で、
「ゆずり葉」という詩の言葉でした。
当時,中学校を卒業する私へと、
担任の先生から、
こんな言葉を贈られました。
"冒険心だけで前へ進んではいけない。
1日24時間があるのは当たり前でもない、
少しばかり苦しくても辛くても
根性と忍耐で進み抜け。
始めから全てが用意されてる未来と明日からは、
"そこからは何一つ生まれてきはしない、"
地道にコツコツと、
ひとりでも逞しく生き抜きなさい。
周りではなく、
自分自身のことを大事に育み
自分自身の未来のために
明日へと繋がる
"今の自分自身を育てなさい。"
周りに惑わされず
流されぬ強さを育てなさい。"
高校を卒業する私へと
当時の頃の担任の先生から、
(亡き恩師の先生から、)
こんな言葉を贈られました。
"壁にぶつかった時は、
足元を深く掘れ
そこから掘り起こしたモノを
分かち合い
今とともに学び
今とともに生きよ。
これからの日々の中で
目の前には様々な壁との出逢いが
アナタの足元にと待ってることでしょう。
頑張りなさいとはいいません。
頑張らなくても構わないのです。
誰かのために
自分自身のために
頑張ることを忘れないで恐れないで
太陽は光りを明るく優しく等しく
月はあたたかく灯りを等しく
照らし導いてくれる。
素直にね。
アナタの素直がアナタ自身の
これからの道を広げて照らし導いてくれる。
素直になれることを恐れず怖がらないで
きっと大丈夫。
アナタの,その不器用さを愛しく想ってくれる"何かとの出逢いも"その存在との出逢いも"
全ては,この為だったのかと、
いつか必ず分かる時が訪れる
不器用なアナタだからこそ、
出来る何かがきっとあるはず、
自分自身のことを大切にね。
これからの日々と人生の道のりを
アナタらしい歩み方で。
きっと生徒達のきっかけをつくりだせる、
生徒の目線になり
生徒のために聞ける耳を持ち
生徒の目線で話せる
そんな素敵な教育という未知なる世界の道を開拓出来る存在になれることと先生は信じています。
もし、
違う人生を歩むことになっても、
それでも、
自分自身を大切にね。
違うことは
間違えではないよ。
堂々と生き抜きなさい。
堂々と進みなさい
思いっきり
振り返りながら、
堂々とアナタの道を開拓して、
恐れず怖がらないで
この先
何が待ち受けていても
アナタの優しさで
変わらぬ心で
─幸せな人生を。─
卒業の思い出を振り返りながら、
当時の担当の先生方からの
"贈られた言葉1つ1つがよみがえり、"
今年の誕生日は、
そんな風なヒトコマとの始まりからの
私の一年の始まりの日となりました。
これから話す内容は、
私が幼かった当時の頃の話しから、
幼稚園の卒園式で。
当時,卒園のお祝いとして、
クラス皆へと
担任の先生から、
クラス皆へ1人ずつ
それぞれに"違う絵本"が手渡されました。
当時の私は、
その手渡された絵本に
当時の担任の先生から込められてる
─メッセージにも気が付かずに、─
ワケも考えずに
卒園式出来た嬉しい部分と、
小学校へ入学する少しの緊張感の中にありました。
その当時の担任の先生からの
メッセージと、
触れながら再読重ねてきた感じる部分の
変化は、
毎回違うものの、
当時の担任の先生から
─読みなぞり通して─想う部分と、
その絵本からのメッセージを通して
─伝う部分は、─
私自身が道を
歩んできた歩んでいる中へ
─当時の担任先生が残してくれた
本当のメッセージが託されていて
残されていた
"私への想いがあったことに"─
ここ最近、
その当時手渡された絵本を再読しながら
ようやくといいますか、
"ようやく気が付き始めた私自身がありました。"
その絵本を再読しながら感じた想い
当時の担任先生からの
残されていたメッセージ
私なりに,こう解釈をしてみました。
道を歩みながら叶えることは
とても素敵なコトで、
でも、それは、
関わってくれてきた周りと今までを
通してが繋がってきてがあったから、
─ようやく,それを叶えられるワケで、─
─夢を叶えて手に入れても、─
叶えた主人公の周りには誰もいない、
喜びや嬉しい気持ちをハシャギながら
分かち合える周りは
─いつの間にかいなくなり、─
"叶えた"のに、
ちっとも幸せそうには感じられない
主人公の姿がありました。
主人公は、
夢を叶えたにもかかわらず
楽しそうにも
嬉しそうにも
喜んでいる様子にも感じず映りませんでした。
─気が付き始めた主人公は、─
"ようやく、
その想いに気が付き始めます。"
その主人公が描かれてる絵本を通して
当時の
担任の先生が伝えたかったメッセージを、
読み解きながら
"ふと、"こんな風な気持ちや想いが浮かんできました。
─"素直"という,─
1つの宝物があるのだということ、
"夢という宝物も大事なコトなのだけれど、"
"叶える"ということも"
素敵なコトなのだけれど、
それよりもイチバン大事にしなければならない、
"大切な部分があるコト。"
"分かち合える夢があるのだということ、"
"分かち合える部分で叶えられるコトがあるのだということ、"
そんな風な想いのメッセージと
そんな風な気持ちが込められた
メッセージなのかなと、
今度,誕生日を迎える私は、
そう思い解いてみました。
当時の担任の先生から託された
想いと残されていたメッセージは、
それは、
私の誕生日のプレゼントへと変わり
私への素敵なプレゼントとなりました。
遅く気が付き始めた私なのですが、
"先生へ、"
素敵なメッセージプレゼントを
どうもありがとうございました。
─次に,もう1つの思い出のヒトコマの
お話をしたいと思います。─
思い出のモノを触れたりの1つには、
こういう思い出の話しの
ヒトコマも残されていました。
当時の頃のアルバム写真や、
イロイロな季節の流れが残してくれた
1つの想い
1つの景色
1つの気持ち
1つの風景
1つの心
1つの流れとともに歩んできた道
言葉や文章には映らない部分が
"カタチとして目の前に残り、"
でも,それは、
"カタチとしては、"残らずに、
"目の前に残りながら"
今を一緒に生きてくれている宝物へと
変わり、
そういう部分も
ヒトトキを過ごしていての中を通して
以前よりよ少しずつ増えてきたようにも
感じる,この頃でもあります。
その1つには、
当時,成人式を迎えた頃の私の思い出の姿もあります。
高校の時の卒アル撮影担当の
カメラマンの,お姉さんとの、
─成人式記念撮影の時での
再会があったコト。─
当時を私の思い出の1つ、
高校生の頃の話しになります。
当時の私はクラスメンバーが参加出来なかった時の時々の代理として
高校卒アルの委員へと参加して
写真を選び分けたり
ページごとの載せかた等々を
当時のアルバム委員メンバーとともに、
1年かけながら、
一冊を卒アルを作り上げる為の作業に
取りかかっていました。
当時の卒アルカメラマン担当の
お姉さんがスゴく素敵でカッコ良くて
こんな風なカッコいい大人の女性になりたいと、
とてもサバサバしてたカメラマンのお姉さんで、
キョウダイ中でイチバン上に誕生して、
上に,お兄さんも,お姉さんも居ない私は
下に2つ下の弟と,11歳年の離れた妹がいる私は、スゴく憧れの眼差しで憧れてた記憶がありまして、
我が道を歩く堂々とした姿に憧れて
こんな風な年齢の重ねかたをしたい、
こんな風な大人の女性になりたいと憧れてました。
卒アル担当のカメラマンの,お姉さんが
とてもカッコよくて、
卒アル撮影の日に大型バイクに乗って
登場した時は、
女子生徒みんなで
"キャーキャーと賑わいながら、"
カメラマンの,お姉さんを迎えに走り
高校の時の卒アル撮影担当の
カメラマンの,お姉さんとは、
─高校卒業から,その後、─
再びのご縁で再会する出来事がありまして
それは、
私が20歳の成人式の撮影の時の事で、
私も、
そのカメラマンの,お姉さんも
スタジオに入るまでは
互いに気が付かなかったのですが、
カメラマンの,お姉さんは
スタジオで待機していてくれていて
私が振袖姿で登場した時に
真っ先に
私の名前を呼んで、
"卒業してからぶりだね、"
"元気してた!?"
と声をかけてきてくれて、
私も、
とても懐かしくなり、
カメラマンの,お姉さんの名前のニックネームを呼びながら
撮影に入るまで少し話せる時間があったので、
他愛もない話でお互い笑い合えて
撮影の時に一緒に持って写る花は
"どの花が良い?"と訪ねられたので、
その当時好きだった人の誕生花の
"ヒマワリの花を迷わず選んだ私に"
撮影に一緒に同行してた
当時の母に。(いまは亡き母に)
"その人のことは母さんは反対よ。"
"∞のことを笑わせるどころか不安がらせて
泣かせてばかりでしょ。"
"相手を思うより相手に思われた方が幸せだと話したこと忘れたの?"
"ヒマワリの花は置いて"
"マーガレットの花にしなさい。"
と、
横から母にダメ出しを始められてしまい、
当時、
私も母も
互いに頑固者な部分がぶつかり、
互いに両者一歩も譲らず,
あーだの、
コーダのと、
譲らないままの互いの意固地な気持ちのままを,ぶつけ合い
また、
当時11歳離れた妹も一緒に来ていて、
スタジオに飽きてた妹から
"帰りに美味しい御飯食べて帰ろう"
コールが始まり…,
結局は、
カメラマンの,お姉さんが提案してくれた
ヒマワリとマーガレットの花を両方持って
撮影するのは,どうカナ!?"
そんな素敵な良い提案をいただいて
ヒマワリの花とマーガレットの花を
両方持って撮影した20歳の私の
ヒトコマと思い出の1つの話しでした。
撮影後は、
2つ下の弟と
11歳年の離れた妹と
亡き母と一緒に、
みんなの好きな食事をして、
その後は
振袖姿を見に来てくれた
亡き父に会いに行き、
父は今にも私が嫁いでいくような
親としての涙目で言葉も少なく
ただ,涙目で狼狽えながら、
"会いに来てくれて、
ありがとう、
父さんは嬉しいよ。
これからも親子に変わりないから、
ひとりじゃないから
たくさん父さんに遠慮なく
イロイロな日々の話し聞かせにきてね、
今までゴメンね。"
と、
そんな風な会話を少し話したり
母方の亡き大正生まれの祖父母や
母方の親戚や
父方の祖母や
父方の親戚にも
今までの御礼と、
これからへの挨拶をしながら、
そんなヒトコマも、
つい,この間のようにも思います。
たくさんのイロイロが重なり繋がって
その間にある"1つ1つの縁。"
そういうヒトコマの思い出を、
そんな風にも時折ね、
思い出を振り返る時にだけ、
その時だけね、
柔らかく包まれてるような気がしてね
"あの日の場面の時間を感じ"
時折、
触れながら。
なんや~カンヤで
みんなで笑ってた
そんな笑えたシーンの思い出も、
今日の私の誕生日、
毎年変わらず思うこと、
亡き両親への感謝の想い。
今までの道のりを歩み通して出逢えた
1つ1つの縁への感謝の想い。
─これから出逢う縁への
感謝の想いとともに、─
新しい私の今と
新しい"これから"とともに、
イロイロな日々や
過ぎゆく季節と、
刻む時とともに
そのままの私で
私らしく
ゆっくりと歩み続けていきたいと
思います。
4月の今日、
私を生んでくれて
"どうもありがとう。"
春の季節と私の今と
これからと。
今回の記事は
この辺で。
読んでいただきまして
どうもありがとうございました。
天気の変化もあり、
体調を崩しやすい時でもありますが
風邪ひかないように
お身体大切にしてくださいね。
訪れてくださる方も、
どうぞ
美味しい温かい御飯のヒトトキを!
訪れてくださる方の毎日が、
素敵な優しい穏やかな始まりになりますように。
幸せなヒトトキを過ごせますように。
健康に元気に、
嬉しく優しいあたたかな日々を過ごせますように。
"素敵な1日と日々でありますように。"
想い祈ってます。
"ホッと"
ゆっくり休んで
素敵な優しい
ヒトトキを♪
→(まとめると,こんな感じの内容です)
①亡き両親と、
キョウダイ
(2つ下の弟と,11歳年の離れた妹へ)と
書いてみたお手紙な記事綴り。
②4月の今日
私の誕生日と今までの思い出の話し。
思い出から届いた
"私へのプレゼント"
③これから出逢う日々への
"どうぞよろしく"と、
"今を,ありがとう。"の感謝の想い。
更新しました。
よろしければ,
どうぞ宜しくお願いします。
↓
追記:(新しい日付けを更新いたしましたので、
ボーダーをひかせていただきました。
4月17日に書き綴り投稿したメッセージボード欄用の記事と写真は、
(アーカイブ保管しました。↓)
説明部分は同メッセージボード欄に記載しています。
どうぞよろしくお願いいたします。)
誕生日の今日を
優しい幸せな想いで
迎えることが出来たのは、
亡き両親と、
キョウダイ
(2つ下の弟と,11歳年の離れた妹へ)との
"思い出という名の支えと、
今まで出逢えた方々との縁や支えと
優しい励ましのおかげがあってこそ、"
4月の今日、
私を生んでくれて
"どうもありがとう。"
春の季節と私の今と
これからと。
また新しい今日からの始まりを
頑張ります。
─────────
誕生日の今日、
両親との思い出と感謝の想いと一緒に
新しい今日を迎えられた感謝の想いと一緒に、
大切に聴いています。
ブログ記事に投稿した写真を使用しました。
その投稿した写真を使用しての
リール風を作成してみました。
─────────


誕生日の今日を
優しい幸せな想いで迎えることが出来たのは、
亡き両親と、
キョウダイ
(2つ下の弟と,11歳年の離れた妹へ)との
"思い出という名の支えと、
今まで出逢えた方々との縁や支えと
優しい励ましのおかげがあってこそ、"
イロイロな想いを振り返りながら、
そんな風な想いを感じながら、
書いてみたお手紙な記事綴りです。
去年の
4月の誕生日とは,また違う部分の
想いや
気持ちや
心の中でのカワルガワルの流れの変化も
"日々刻む時とともに"変わってきている実感があるのも、
大なり小なりとありますが、
その刻む中での経過してく
時の流れの変化の中で
"なんなとなーく、"
"触れながら感じ想い変化してきた部分、"
そういう部分への感謝の想いとともに
今感じている部分の気持ちや心を大事に
していきながら、
最近は、
何故だか"不思議と、"
懐かしい思い出のモノを
"ふと、"
触れなぞったり
読みなぞったり
そういうヒトトキも増えてきました。
思い出のモノを触れたりの1つには、
当時の頃のアルバム写真や、
イロイロな季節の流れが残してくれた
1つの想い
1つの景色
1つの気持ち
1つの風景
1つの心
1つの流れとともに歩んできた道
言葉や文章には映らない部分が
"カタチとして目の前に残り、"
でも,それは、
"カタチとしては、"残らずに、
"目の前に残りながら"
今を一緒に生きてくれている宝物へと
変わり、
そういう部分も
ヒトトキを過ごしていての中を通して
以前より少しずつ増えてきたようにも
感じる,この頃でもあります。
その1つには、
当時,成人式を迎えた頃の私の思い出の姿もあります。
もう1つの思い出からの話しを先に、
その思い出を通してのコトも、
その次に話します思い出のヒトコマも、
それらのコトやヒトコマが繋がり出来た
1つずつが私の"宝物プレゼント"へと
変わってきての"今の変化模様の中にいる
私があります。"
私が小学校を卒業する当時の頃、
担任の先生から、
この詩を贈る言葉として贈られました。
それは、
河井酔茗さんの詩で、
「ゆずり葉」という詩の言葉でした。
当時,中学校を卒業する私へと、
担任の先生から、
こんな言葉を贈られました。
"冒険心だけで前へ進んではいけない。
1日24時間があるのは当たり前でもない、
少しばかり苦しくても辛くても
根性と忍耐で進み抜け。
始めから全てが用意されてる未来と明日からは、
"そこからは何一つ生まれてきはしない、"
地道にコツコツと、
ひとりでも逞しく生き抜きなさい。
周りではなく、
自分自身のことを大事に育み
自分自身の未来のために
明日へと繋がる
"今の自分自身を育てなさい。"
周りに惑わされず
流されぬ強さを育てなさい。"
高校を卒業する私へと
当時の頃の担任の先生から、
(亡き恩師の先生から、)
こんな言葉を贈られました。
"壁にぶつかった時は、
足元を深く掘れ
そこから掘り起こしたモノを
分かち合い
今とともに学び
今とともに生きよ。
これからの日々の中で
目の前には様々な壁との出逢いが
アナタの足元にと待ってることでしょう。
頑張りなさいとはいいません。
頑張らなくても構わないのです。
誰かのために
自分自身のために
頑張ることを忘れないで恐れないで
太陽は光りを明るく優しく等しく
月はあたたかく灯りを等しく
照らし導いてくれる。
素直にね。
アナタの素直がアナタ自身の
これからの道を広げて照らし導いてくれる。
素直になれることを恐れず怖がらないで
きっと大丈夫。
アナタの,その不器用さを愛しく想ってくれる"何かとの出逢いも"その存在との出逢いも"
全ては,この為だったのかと、
いつか必ず分かる時が訪れる
不器用なアナタだからこそ、
出来る何かがきっとあるはず、
自分自身のことを大切にね。
これからの日々と人生の道のりを
アナタらしい歩み方で。
きっと生徒達のきっかけをつくりだせる、
生徒の目線になり
生徒のために聞ける耳を持ち
生徒の目線で話せる
そんな素敵な教育という未知なる世界の道を開拓出来る存在になれることと先生は信じています。
もし、
違う人生を歩むことになっても、
それでも、
自分自身を大切にね。
違うことは
間違えではないよ。
堂々と生き抜きなさい。
堂々と進みなさい
思いっきり
振り返りながら、
堂々とアナタの道を開拓して、
恐れず怖がらないで
この先
何が待ち受けていても
アナタの優しさで
変わらぬ心で
─幸せな人生を。─
卒業の思い出を振り返りながら、
当時の担当の先生方からの
"贈られた言葉1つ1つがよみがえり、"
今年の誕生日は、
そんな風なヒトコマとの始まりからの
私の一年の始まりの日となりました。
これから話す内容は、
私が幼かった当時の頃の話しから、
幼稚園の卒園式で。
当時,卒園のお祝いとして、
クラス皆へと
担任の先生から、
クラス皆へ1人ずつ
それぞれに"違う絵本"が手渡されました。
当時の私は、
その手渡された絵本に
当時の担任の先生から込められてる
─メッセージにも気が付かずに、─
ワケも考えずに
卒園式出来た嬉しい部分と、
小学校へ入学する少しの緊張感の中にありました。
その当時の担任の先生からの
メッセージと、
触れながら再読重ねてきた感じる部分の
変化は、
毎回違うものの、
当時の担任の先生から
─読みなぞり通して─想う部分と、
その絵本からのメッセージを通して
─伝う部分は、─
私自身が道を
歩んできた歩んでいる中へ
─当時の担任先生が残してくれた
本当のメッセージが託されていて
残されていた
"私への想いがあったことに"─
ここ最近、
その当時手渡された絵本を再読しながら
ようやくといいますか、
"ようやく気が付き始めた私自身がありました。"
その絵本を再読しながら感じた想い
当時の担任先生からの
残されていたメッセージ
私なりに,こう解釈をしてみました。
道を歩みながら叶えることは
とても素敵なコトで、
でも、それは、
関わってくれてきた周りと今までを
通してが繋がってきてがあったから、
─ようやく,それを叶えられるワケで、─
─夢を叶えて手に入れても、─
叶えた主人公の周りには誰もいない、
喜びや嬉しい気持ちをハシャギながら
分かち合える周りは
─いつの間にかいなくなり、─
"叶えた"のに、
ちっとも幸せそうには感じられない
主人公の姿がありました。
主人公は、
夢を叶えたにもかかわらず
楽しそうにも
嬉しそうにも
喜んでいる様子にも感じず映りませんでした。
─気が付き始めた主人公は、─
"ようやく、
その想いに気が付き始めます。"
その主人公が描かれてる絵本を通して
当時の
担任の先生が伝えたかったメッセージを、
読み解きながら
"ふと、"こんな風な気持ちや想いが浮かんできました。
─"素直"という,─
1つの宝物があるのだということ、
"夢という宝物も大事なコトなのだけれど、"
"叶える"ということも"
素敵なコトなのだけれど、
それよりもイチバン大事にしなければならない、
"大切な部分があるコト。"
"分かち合える夢があるのだということ、"
"分かち合える部分で叶えられるコトがあるのだということ、"
そんな風な想いのメッセージと
そんな風な気持ちが込められた
メッセージなのかなと、
今度,誕生日を迎える私は、
そう思い解いてみました。
当時の担任の先生から託された
想いと残されていたメッセージは、
それは、
私の誕生日のプレゼントへと変わり
私への素敵なプレゼントとなりました。
遅く気が付き始めた私なのですが、
"先生へ、"
素敵なメッセージプレゼントを
どうもありがとうございました。
─次に,もう1つの思い出のヒトコマの
お話をしたいと思います。─
思い出のモノを触れたりの1つには、
こういう思い出の話しの
ヒトコマも残されていました。
当時の頃のアルバム写真や、
イロイロな季節の流れが残してくれた
1つの想い
1つの景色
1つの気持ち
1つの風景
1つの心
1つの流れとともに歩んできた道
言葉や文章には映らない部分が
"カタチとして目の前に残り、"
でも,それは、
"カタチとしては、"残らずに、
"目の前に残りながら"
今を一緒に生きてくれている宝物へと
変わり、
そういう部分も
ヒトトキを過ごしていての中を通して
以前よりよ少しずつ増えてきたようにも
感じる,この頃でもあります。
その1つには、
当時,成人式を迎えた頃の私の思い出の姿もあります。
高校の時の卒アル撮影担当の
カメラマンの,お姉さんとの、
─成人式記念撮影の時での
再会があったコト。─
当時を私の思い出の1つ、
高校生の頃の話しになります。
当時の私はクラスメンバーが参加出来なかった時の時々の代理として
高校卒アルの委員へと参加して
写真を選び分けたり
ページごとの載せかた等々を
当時のアルバム委員メンバーとともに、
1年かけながら、
一冊を卒アルを作り上げる為の作業に
取りかかっていました。
当時の卒アルカメラマン担当の
お姉さんがスゴく素敵でカッコ良くて
こんな風なカッコいい大人の女性になりたいと、
とてもサバサバしてたカメラマンのお姉さんで、
キョウダイ中でイチバン上に誕生して、
上に,お兄さんも,お姉さんも居ない私は
下に2つ下の弟と,11歳年の離れた妹がいる私は、スゴく憧れの眼差しで憧れてた記憶がありまして、
我が道を歩く堂々とした姿に憧れて
こんな風な年齢の重ねかたをしたい、
こんな風な大人の女性になりたいと憧れてました。
卒アル担当のカメラマンの,お姉さんが
とてもカッコよくて、
卒アル撮影の日に大型バイクに乗って
登場した時は、
女子生徒みんなで
"キャーキャーと賑わいながら、"
カメラマンの,お姉さんを迎えに走り
高校の時の卒アル撮影担当の
カメラマンの,お姉さんとは、
─高校卒業から,その後、─
再びのご縁で再会する出来事がありまして
それは、
私が20歳の成人式の撮影の時の事で、
私も、
そのカメラマンの,お姉さんも
スタジオに入るまでは
互いに気が付かなかったのですが、
カメラマンの,お姉さんは
スタジオで待機していてくれていて
私が振袖姿で登場した時に
真っ先に
私の名前を呼んで、
"卒業してからぶりだね、"
"元気してた!?"
と声をかけてきてくれて、
私も、
とても懐かしくなり、
カメラマンの,お姉さんの名前のニックネームを呼びながら
撮影に入るまで少し話せる時間があったので、
他愛もない話でお互い笑い合えて
撮影の時に一緒に持って写る花は
"どの花が良い?"と訪ねられたので、
その当時好きだった人の誕生花の
"ヒマワリの花を迷わず選んだ私に"
撮影に一緒に同行してた
当時の母に。(いまは亡き母に)
"その人のことは母さんは反対よ。"
"∞のことを笑わせるどころか不安がらせて
泣かせてばかりでしょ。"
"相手を思うより相手に思われた方が幸せだと話したこと忘れたの?"
"ヒマワリの花は置いて"
"マーガレットの花にしなさい。"
と、
横から母にダメ出しを始められてしまい、
当時、
私も母も
互いに頑固者な部分がぶつかり、
互いに両者一歩も譲らず,
あーだの、
コーダのと、
譲らないままの互いの意固地な気持ちのままを,ぶつけ合い
また、
当時11歳離れた妹も一緒に来ていて、
スタジオに飽きてた妹から
"帰りに美味しい御飯食べて帰ろう"
コールが始まり…,
結局は、
カメラマンの,お姉さんが提案してくれた
ヒマワリとマーガレットの花を両方持って
撮影するのは,どうカナ!?"
そんな素敵な良い提案をいただいて
ヒマワリの花とマーガレットの花を
両方持って撮影した20歳の私の
ヒトコマと思い出の1つの話しでした。
撮影後は、
2つ下の弟と
11歳年の離れた妹と
亡き母と一緒に、
みんなの好きな食事をして、
その後は
振袖姿を見に来てくれた
亡き父に会いに行き、
父は今にも私が嫁いでいくような
親としての涙目で言葉も少なく
ただ,涙目で狼狽えながら、
"会いに来てくれて、
ありがとう、
父さんは嬉しいよ。
これからも親子に変わりないから、
ひとりじゃないから
たくさん父さんに遠慮なく
イロイロな日々の話し聞かせにきてね、
今までゴメンね。"
と、
そんな風な会話を少し話したり
母方の亡き大正生まれの祖父母や
母方の親戚や
父方の祖母や
父方の親戚にも
今までの御礼と、
これからへの挨拶をしながら、
そんなヒトコマも、
つい,この間のようにも思います。
たくさんのイロイロが重なり繋がって
その間にある"1つ1つの縁。"
そういうヒトコマの思い出を、
そんな風にも時折ね、
思い出を振り返る時にだけ、
その時だけね、
柔らかく包まれてるような気がしてね
"あの日の場面の時間を感じ"
時折、
触れながら。
なんや~カンヤで
みんなで笑ってた
そんな笑えたシーンの思い出も、
今日の私の誕生日、
毎年変わらず思うこと、
亡き両親への感謝の想い。
今までの道のりを歩み通して出逢えた
1つ1つの縁への感謝の想い。
─これから出逢う縁への
感謝の想いとともに、─
新しい私の今と
新しい"これから"とともに、
イロイロな日々や
過ぎゆく季節と、
刻む時とともに
そのままの私で
私らしく
ゆっくりと歩み続けていきたいと
思います。
4月の今日、
私を生んでくれて
"どうもありがとう。"
春の季節と私の今と
これからと。
今回の記事は
この辺で。
読んでいただきまして
どうもありがとうございました。
天気の変化もあり、
体調を崩しやすい時でもありますが
風邪ひかないように
お身体大切にしてくださいね。
訪れてくださる方も、
どうぞ
美味しい温かい御飯のヒトトキを!
訪れてくださる方の毎日が、
素敵な優しい穏やかな始まりになりますように。
幸せなヒトトキを過ごせますように。
健康に元気に、
嬉しく優しいあたたかな日々を過ごせますように。
"素敵な1日と日々でありますように。"
想い祈ってます。
"ホッと"
ゆっくり休んで
素敵な優しい
ヒトトキを♪