深夜にテレビでやっていた「キル・ビル1」をチラッと観た。
「キル・ビル」といえば、以前に感想を書いた事のある映画であり、随分と非難してしまったのだが、ここで本作について再考してみる。
タランティーノもの全般にいえる事だが、「キル・ビル」は特にカタログ的な趣が強い。すなわち、彼自身が好きなもの、良いと思っているものをひたすらブチ込んだ、という内容になっている。
それ自体は誰しもが思いつく手法であり別段目新しくもないが、タランティーノが広く支持されているのは、好きなものをブチ込みまくったわりには独りよがりになり過ぎず、一個の作品として紡ぎ上げる手腕があるからであろう(多分ね)。
その意味では、決して共感が持てない訳ではない。
かといって、今日、本作を改めて観てみても、良い映画とはおよそ言えないという過去の自分の感想に変化はない。
という訳で、オレが過去に書いたコメントを引用し、これを敷衍してみる事にする(太字が引用部分)。
『脳ミソを掻き出そうが、手足を何本ちょん切ろうが、内臓を全部引きずり出そうが、そういう映像を 撮る技術があるならどんどんやればいい。個人的にも嫌いじゃないし。
しかし、手足を切るために手足を切ってはダメだ。
内臓を引きずり出すために内臓を引きずり出しては絶対にダメなのだ。』
その通りであるが、もうちょい具体的に言う。
本作では、日本のチャンバラに対する執着が強く見られる。
しかるに、日本のチャンバラには流血がない(まぁ、あるのもあるけど)。
これが日本のチャンバラの殺陣の根幹だと自分は考えている。
すなわち、流血したり身体を斬られたりという直截的な映像を用いずに、日本刀でやられた事を表現する、これがチャンバラの殺陣の素晴らしい点である。流血や切断を必須の要素とせずにダメージを表現していくことが、殺陣の進化であり、深化であり、文化であるのだ。
暴れん坊将軍に流血がないのは、「茶の間に血はタブーだから」という制約があるからだけではなくて、殺陣師ががんばってるからなのだ(そうでなければ、チャンバラ時代劇なんかとっくになくなっている)。
「キル・ビル」は、そーゆーチャンバラの殺陣の核心がおよそ理解されていない。
あんなに直截にダメージを表現したのでは、もはやチャンバラではなく、ただの斬殺シーンである。
『第5章の青葉屋のセットが非常に素晴らしかった。
あのようなセットは、予めカメラワークを想定した上で建てられているため、思った通りの画が撮れるという大きな利点があるのである。』
これもまた、その通りである。
こーゆーところが本作をして、上手いなぁと思わせる所以である。
日本にこんな場所はねえよ!と思わせつつも、あったらいいなーと感じさせる見事なデザインだ。
それにしても、やっぱりゴーゴー夕張はイイなあー(*´∀`)
あれで格闘技キャラだったら、もっとイイのになあー(*´艸`)
んで、蹴りとか蹴りとか蹴(以下同文)
「キル・ビル」といえば、以前に感想を書いた事のある映画であり、随分と非難してしまったのだが、ここで本作について再考してみる。
タランティーノもの全般にいえる事だが、「キル・ビル」は特にカタログ的な趣が強い。すなわち、彼自身が好きなもの、良いと思っているものをひたすらブチ込んだ、という内容になっている。
それ自体は誰しもが思いつく手法であり別段目新しくもないが、タランティーノが広く支持されているのは、好きなものをブチ込みまくったわりには独りよがりになり過ぎず、一個の作品として紡ぎ上げる手腕があるからであろう(多分ね)。
その意味では、決して共感が持てない訳ではない。
かといって、今日、本作を改めて観てみても、良い映画とはおよそ言えないという過去の自分の感想に変化はない。
という訳で、オレが過去に書いたコメントを引用し、これを敷衍してみる事にする(太字が引用部分)。
『脳ミソを掻き出そうが、手足を何本ちょん切ろうが、内臓を全部引きずり出そうが、そういう映像を 撮る技術があるならどんどんやればいい。個人的にも嫌いじゃないし。
しかし、手足を切るために手足を切ってはダメだ。
内臓を引きずり出すために内臓を引きずり出しては絶対にダメなのだ。』
その通りであるが、もうちょい具体的に言う。
本作では、日本のチャンバラに対する執着が強く見られる。
しかるに、日本のチャンバラには流血がない(まぁ、あるのもあるけど)。
これが日本のチャンバラの殺陣の根幹だと自分は考えている。
すなわち、流血したり身体を斬られたりという直截的な映像を用いずに、日本刀でやられた事を表現する、これがチャンバラの殺陣の素晴らしい点である。流血や切断を必須の要素とせずにダメージを表現していくことが、殺陣の進化であり、深化であり、文化であるのだ。
暴れん坊将軍に流血がないのは、「茶の間に血はタブーだから」という制約があるからだけではなくて、殺陣師ががんばってるからなのだ(そうでなければ、チャンバラ時代劇なんかとっくになくなっている)。
「キル・ビル」は、そーゆーチャンバラの殺陣の核心がおよそ理解されていない。
あんなに直截にダメージを表現したのでは、もはやチャンバラではなく、ただの斬殺シーンである。
『第5章の青葉屋のセットが非常に素晴らしかった。
あのようなセットは、予めカメラワークを想定した上で建てられているため、思った通りの画が撮れるという大きな利点があるのである。』
これもまた、その通りである。
こーゆーところが本作をして、上手いなぁと思わせる所以である。
日本にこんな場所はねえよ!と思わせつつも、あったらいいなーと感じさせる見事なデザインだ。
それにしても、やっぱりゴーゴー夕張はイイなあー(*´∀`)
あれで格闘技キャラだったら、もっとイイのになあー(*´艸`)
んで、蹴りとか蹴りとか蹴(以下同文)