1月1日に発生した令和6年能登半島地震により犠牲となられた方々に心よりお悔やみ申し上げますとともに、すべての被災者の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。また、救急救助並びに復旧活動にあたられている皆様に感謝いたします。
能登半島地震の被災者のために自分には何ができるかをいろいろんな方々と情報交換しながら探っている日々です。
防災業としては緊急消防援助隊として現地へ向かう消防、自治体の皆様への物資供給等の後方支援を行っています。
災害はいつどこで起きるか分かりません。。
79年前に起きた三河地震を知っていますか?
1944(昭和19)年12月7日に発生した東南海地震からわずか37日後、1945年(昭和20)年1月13日午前3時38分に愛知県三河地方を襲ったマグニチュード6.8の直下型地震です。
「南海トラフの巨大地震発生前後に内陸に大地震が起こる可能性が高い」と言われる典型的な例です。
この地震による被害は、三河湾の北に位置する蒲郡市、西尾市、安城市などに集中し、死者は2,306名に達しました。
日本の敗戦が色濃くなった戦時下に起こり、東海地域の多くの軍需工場は壊滅的な被害を受けました。
甚大な被害と多数の犠牲者を出したにもかかわらず、当時の軍機保護法と報道管制により徹底的に隠され「隠された地震」とも言われています。
今ではTV、新聞、SNSで被災状況をリアルタイムに把握することができますが、三河地震のように私たちが知らない過去の災害は多く存在します。
災害の事実を後世に伝えていくことは、今後の防災を考える上でとても重要なことです。
近いうちに来ると言われている南海トラフ地震への防災意識を高め、より具体的な対策をしなければいけませんね。
写真家・防災士・防災危機管理者・災害備蓄管理士 三浦寛行