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hair make SPOB

埼玉県鴻巣市にございます、Senakao Ponto Osu Biyoushituのブログです。




8月に夏休みをいただきます。

8月18、19、20日(月曜日~水曜日)

何卒、よろしくお願い申し上げます。



7月の定休日は、

7日、(月曜日)

21日、(月曜日)

毎週火曜日とさせていただいております。

何卒、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 


 



 



 


感謝。感謝。

仕事がんばります。

みなさんも、お身体に気をつけて。

いつもありがとうございます!

 


先日、日曜日、SPOBにて、夜、ヨガ教室やりました。

写真は先生の軽井沢でやるイベントのパンフです。

当日の写真はスキがなく撮れず。。。



でもまあ、仕事の後にやるヨガ、

ぬけていく感じが実感できて、ぐっすり眠れて、

なかなか良し。




先生はこの方、

今泉光代さん。ブログ貼っておきます。

http://amarananda.wordpress.com/

非常に芯のある女性。おもしろいお話。

ご本人はまだまだとおっしゃるが、

僕からみるとかなりぶっとんだ人。

まとっているオーラは、僕が今まで出会った女性の中でも、

トップ10に入ると思う。




というわけで、ヨガ終わりにお茶を飲みながら、

先生のひととなりの、そのオーラの出し方、生き方、

死生観などの思考を引き出す作業。

僕の興味は完全に先生の存在自体へ。

この人の生き方は、研究対象に値すると思ったのです。





失礼ながら、いろいろお話させていただいた感想を。

忘れないうちにアウトプットアウトプット。





人間とは、大人とは、男とは、どう生きるべきか?

どう生きればもっと楽しく生きれるか?

こういうことを、僕は毎日考えるわけです。

これが趣味といってもいい。

暇があれば僕は、そんなことを常に考えてます。

だから僕は、ただひたすら楽しそうに強く生きている人間に

興味を持つし、話したくなるし、思考分析するわけです。

そういう方々にいろいろ話を聞いてきて、

もちろん、今泉さんと話してる時もそうなんだけど、

僕の質問に対して、答える時、

彼らは共通して、いい加減な表情をするのです。みんな。

あっ。良い意味でのいい加減な表情ね。

ニコニコ照れ笑いしながらさ。

なんでそういう表情をみなさんするのか?

その意味がやっと、なんとなく昨日分かりました。




「生き方」についての考え方って、

人それぞれ、十人十色。

そういうテーマで質問されると、たいていの人は

何か人生の正解めいたことを答えなきゃと思ってしまう。

でも、彼らはそういうことを答えようとする気はさらさらない。

不真面目なわけではなくて、

正解めいたことを知らないわけではなくて、

彼らはそれを知っているがゆえに、ああいう表情になる。




今泉さんが、強くおっしゃっていたこと、

「自分が腑に落ちた選択をしていく事が、たとえ間違っていたとしても

そのアウトプットは自分自身が求めた結果なのです」

つまり、人間や大人って、それ自体が間違った結果である、と。

っていうか、間違いとか、正解とか、そういう物差し自体が無くて、

だから、正解を生きるとかはありえなくて、

みんなが一人残らず人生を間違えて、その結果が人間なのだと。

一人残らず全員が間違えるわけだから、

そもそも正解という考え方自体に意味がないということ。




僕はこんなふうに間違えました。

私はここまで間違えました。

僕は今でも、こんな風に間違えてます。

という、間違い大会なのですよ。世界は。

ぐらいの、達観した唯一の『正解』を知っているからこそ、

ああいう表情になるのではないかと。

だって正しい生き方なんて実は存在しない

間違い大会の世の中だと思えば、

自分の人生がいかなる人生だとしても肯定することができるのだから。

キュウリやトマトやかぼちゃやら、

いろんな野菜が生えている畑みたいなもんで、

これから育つ苗に「僕は何に育つべきなんでしょうか?」

と、聞かれても、

「まあ、何かにはなるんじゃないの?」と、

ヘラヘラ答えるぐらいしか答えようもないし、

「(それが生きる喜びじゃん!!)』という、

内心の確信があるからこその、密やかな笑顔、表情だと思うんです。





まあ、そうは言っても自分は人一倍神経質でナイーブな心の持ち主。笑

いや、ほんとに。

「なるべく間違わないようにしよう」という

細心の注意を払ってきた人間です。

だからこそ、そういう自分の特性は、

自分というひとつの貴重な「間違い」を最後までやりきるために、

あるいは、「間違う」ことこそが楽しいんだということを証明するために、

必要な安全ネットとして活かしていこうと思いました。







間違ってもいいんだよ。とか、

間違いを恐れるな。とか、

そういう胡散臭くてぬるいことが言いたいわけではないです。

宇宙的にみたら、

どうせ間違ってるんです。一人残らず全員が。

しかも、大間違いをやらかしながら、

絶賛爆走中なわけです。

人間も動物も虫も植物も気象も地盤も、何もかもが。

でも、それを知っている人は意外と少ないから、

それさえ知れば自分の中ですべてがひっくり返って、

これまで信じてきたものの無意味さが分かるし、

同時にこれまで恐れてきた不安が喜びに変わる。





この世は一人残らず全員参加の大間違い世界大会。

なんの答えにもなっていないようなこの考えが、

わりと答えに近づけているんじゃないかと僕は思います。

いつまで続くか分かりませんが、

もう少し、ヨガは続けます。

ヨガの効果かは分かりませんが、先日、種を4つ確認できました。

奇跡は起きるものです。
 


こんなやつ。流行ってますよね?

雑誌でよく見かけるし、街でもよくすれ違います。

あと、後ろ姿でオシリがキュってなってる人、

たいていこのパンツはいてます。

この写真はあれか、フジワラの原西みたいだから、

こっちにしよう。

 


こんなやつ。

ローラとかが、よくはいてそうなやつ。これこれ。




実は見ていて、恥ずかしくなっている。一人で。勝手に。

「これって80年代のファッションじゃん!」

って、バカにしてみてしまう。

歴史とファッションは繰り返すというが、

正直、昭和にタイムスリップしたようなこのファッションが、

理解できないとかじゃなくて、笑ってしまう。普通に。

オシャレなんでしょうけど、ほら、

昭和の人間からすると、つまり、普通に、そのまま、

昭和なんだもの。




なんなら次は肩パットか!?

って思ってしまう。

こういう発言をするヤツは、「オヤジ」と言われるのだろうが、

ここに関しては、オヤジと言われても仕方ない。

普通に、おもしろいんだもん。このファッション。




ちょっと前に流行った、

ホタルの墓の、せっちゃんみたいな、

ガラの木綿のパンツみたいなやつもおもしろかったけど、

今回のこの流行も、自分達世代からしたら

かなりおもしろい。

Gジャン、W浅野風編みこみ、石田純一風業界人コーデ、、、

などなど、

80年代をリバイバルさせる戦略を

誰かがしかけているのか、時代がそれを求めているのか、、、

おそらく、両方あるんだろうけど、

80年代を知らない若い子達は、

きっとこれが最先端なのだと確信しながら、

おそらく自分達世代のベルボトムブームやパンクファッションも

かつての大人たちは、こんな風にみていたのだろうな。。。

って、そんなことを思ったりします。





「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」

どっかの有名な投資家の言葉だけど、

80年代に株価も不動産も急騰したように、

それとシンクロして、現代も、もっと株上がらないの?

って思いながら、

マーケットを眺めております。

 


もはや唯一の愛読書となった、雑誌「ar」。

3ヶ月に一度ほど、自分を引き込む企画をぶち込んでくる。

これを本気で読んでいる読者がいるのかどうかは謎だが、

いまどき女子の生態系を学ぶには最適なツールかと思う。




以下、その数々。



 

ふむふむ。



 

ほう。。。



意味が分からん。。。



 

ふりっとキュートはなんとなく分かる。

が、

僕の中で、「さら」と「エロ」は対義語である。




北半球をなぜはずしたのか。。。




 

「おフェロ」ってなんだよ!!




フレンチ娘のバカンス計画(妄想上等)

このページが、一番気になる。






おいおい。。。





ちょっと理解不能。。。



 

ただの盛りの付いたエロカップルだろ。。。






どれもこれも、突っ込みどころは満載である。

この本が、普通に本屋やコンビニに平置きされているのは、

コンプライアンス的にどうなのだろうかと、

若干心配している。

もはやファッション誌というものを飛び越えて、

ホットドッグプレスである。

でも、引き続きこの雑誌はウォッチしていきたい。

 


『アート・スピリット』

ツイッターの創業者、ジャック・ドーシーが

感銘を受けた本らしい。

他にも著名人が影響を受けているそう。



ということで読んでみた。

クリエイティブ&アーティスティックな仕事をしている人なら

ハマれると思います。非常におもしろい。




前回のブログ内容にも通じることだけど、

芸術というものは、

作るのも一人の孤独な人間で、

それを鑑賞するのも一人の孤独な人間。

いくら何万人の目にふれたとしても、

そこに起きているのはひとりの人間と一人の人間の出会いで、

その芸術がいくら華やかで明るいものだったとしても、

素晴らしい芸術家であればあるほど、

しっかりとそこに一人の孤独な人間として、

作品に向かい合っている姿が感じられる。




ひとりの人間のひとつの真実や実感が、

もうひとりの人間の真実や実感と出会うこと、

それが芸術鑑賞の根本で、

もちろん、そうじゃない芸術もあるけど、

でも、少なくとも優れた芸術家であるかどうかを判断する基準は

僕の場合そこにあります。

芸術家が、どのようにその作品と向かい合い、

生み出していくのか、そのメソッドを事細かに語りかけてくれる

そういう本です。





そんな一連の流れの中で芸術について考え、

少なくともそういう世界で仕事をしているプロとして、

とても学びになることが多く書かれていた本でした。

何かを生み出すような仕事をしているような人には、

結構おすすめです。
 


記念に語っておこうと思う。




突然ですが、

ケータイ電話やスマートフォンのことを「端末携帯」という。

今では、ほとんどみんなが持っている。

つまり、

今ではみんなそれぞれが、携帯できる端末を持っている。

ということになる。




携帯、は分かる。

いつでもどこでも持ち運びができるということです。

では、「端末」ってのはどういうことか?

端末とは、何かに繋がっているその一番端っこということでしょう。

通信やインターネットで繋がっているネットワークの

一番端っこの出入り口、ということなのでしょう。




つまり、みんなそれぞれが「端っこ」を携帯しているわけです。

では、いったい何の端っこを僕らは持ち歩いているのか?




ケータイにはマイクとスピーカーが付いている。

電話なのだから当然です。

でないと話せないし、聞こえない。

もちろんスマホにも付いている。

マイクとスピーカーは口と耳。

また、ほとんどのケータイやすべてのスマホにはカメラが付いている。

これは、目です。

そして留守番電話機能や画像の保存もできる。

これは、「記憶」です。

そしてまた、ネットに接続することによって

さまざまな情報収集や情報処理も行える。

これは、「意識」の働きと一緒です。




ということは、携帯端末とは、

口と耳と目と記憶と意識を持った物体ということになる。

つまり、ケータイやスマホは自分に似ているのです。

そう、

ケータイやスマホはどんどん自分に近づいてきている。

新機能の開発によって、

ますます自分に近い性能を持ち始めてる。

せっせとアプリや機能を充実させて「成長」させ、

お腹がすいたら充電して、

キレイなものを見たらカメラで撮って保存して、

さみしくなったらメールでもチャットでも電話でもできるように

何人かのアドレスをキープしておく。

それはまるで、僕らそのものです。

よって僕らは、僕らにまったくよく似た、

「端末」を携帯しているというわけ。






そして、逆の向きから見ると、

自分(=人間)はケータイやスマホに似ている。

という言い方もできます。

僕らは、どんどんケータイやスマホに近づいてきている。

人間はどんどん「端末携帯」になりつつある。

いや、もっと率直に言えば、

人間は最初から本質的に端末携帯かも、、、

人間は、いつでもどこでも持ち運びできる「端っこ」なのだから。





「端っこ」は、寂しいから真ん中と繋がろうとする。

でも、真ん中なんて実はどこにもないし、

あったとしてもそこには誰もいない。

もしかすると、「政界」とか「大企業」とか「東京」とか「芸能界」とか

なんとなく真ん中っぽい、と感じられるような気もするけど、

そんなものは真ん中でもなんでもないし、

そんなところには実は誰もいない。

あるのは、端っこだけで、誰もがみんな端っこにいるのです。

全ての場所は端っこ。

だから、寂しいから真ん中と繋がろうとして辿っていくと、

そこで出会うのはもう一つの寂しい端末である。

これが人間の本質だと僕は思う。





さてと、

そういう中で、

このお店を経由して、

一つ一つの端末が、繋がってくれればいいな。

なんてことも思ったりするわけです。

オープン半年記念として、

そんなことをここに記します。

まだまだ潰れないと思います。笑

しぶとくこれからも営業してまいります。(ピースサイン)

応援よろしくおねがいします。
 


早朝、5:00にせっせと起床し、

ヨガマットを準備、

ユーチューブで一通りヨガコンテンツを検索し、

興味が涌いたものを観ながら実践してみる。

というような朝活を最近している。




冷静になって自分の行動を振り返ってみると、

なんて不可解で気色の悪い中年おやじの奇行であろう。

と思う。

歳はとりたくない。。。





うちの飼っているネコが、近寄ってきて、

不思議そうに中年オヤジの奇行ポーズを一部始終眺めている。

「こいつ、完全に頭おかしくなったんじゃないか?」

という目。

ネコにまで心配をかけている。。。





が、しかし、

体調はすこぶる良い。

朝から呼吸を整え、空気やエネルギーを

身体全体にいきわたらせる。

なんかちがう。身体の感じが。

かるさ?滑らかさ?柔らかさ?

なんというか、詰まってない感じ。

リンパというのか、血流というのか、

流れている感じがする。

よって、

頭痛も緩和されている。

気のせいかもしれないが、心も落ち着いた気分。

なんか不思議な感じです。





自分に革命を起こし、

ネオ大澤。になるために始めたヨガ。

ネオ大澤。というより、もはや

スピリチュアル大澤。ロハス大澤。オーガニック大澤。というべきか、

やたらと自分の身体と会話するようになってしまった。

歳をとると、やたらと健康路線に足を踏み入れる大人たちを

さんざん見てきたが、

まさか自分もそのコミュニティに入る日がこようとは、

思いもよらなかった。

いよいよ守りに入ったか?




人間の資質において、

自分が一番重要だと考えているものは、

頭の良さ、とか、向上心、とか、リーダーシップ、とかよりも、

好奇心だと思っている。

好奇心の赴くままに、

人生を流れていくことが人生だ。とも最近は思う。

それくらい、好奇心というもののエネルギーや存在価値は大事で、

だから、その好奇心が向かった先の、

朝ヨガは、続けていきたいと思っている。
 


マイブームです。

激推しはこちら、バターチキン。

そんな辛くないし、

絶妙なドロドロ感だし、

愛すべきチキンの歯ごたえが、

とてもいとおしい。



うちの母親が作るカレーは伝説的にまずくて、

カレーに関しては若干のトラウマを抱えている自分ですが、

このカレーに出会えてから、

「カレー」というものと、もう少し本気で向かい合ってみようかと

思えたほどです。




始めて食べた時の、

ヴィヴィッドな覚醒感は、かなりのインパクトでした。

まるでレッドブルを飲んでいるかのよう。

『こってり』っているのは、バターのせい?

いろいろ種類があるみたいだけど、

バターチキンしか、試してません。

心に余裕ができたら、

他の種類も食べてみます。