いま,福島に行きたい。
(画像:福島県富岡町ホームページより)
朝日新聞デジタル「富岡町の警戒区域、3区域へ再編」
http://www.asahi.com/area/fukushima/articles/MTW1303250700004.html
追い出された人,避難した人,残った人。
津波で家を失った人,放射能に家を侵されてしまった人。
それぞれが,それぞれ。ある想いを抱えて今も暮らしています。
ふるさとに かえりたい。
放射性物質のセシウム137やストロンチウム90の半減期(※1)はおよそ30年。朝日新聞の記事にも書いてあるように,富岡町はあと4年間は帰れないことを宣言しています。2011年3月11日より,6年間も地元を離れなければいけない。もしかしたら,生きているうちに帰れないかもしれない。
富岡町だけではありません。浜松市に福島県から避難されている方が運営するはままつ・東北交流館の方々の我が家は,いまだ警戒区域の中にあります。
放射能は家族の絆をも切り裂きます。実に34.9%が,今まで暮らしていた家族とバラバラに暮らしています。ひとつだった家族が,いままで普通に,普通という幸せを一身に受けて生活していた家族が,引き裂かれています。※2

写真:心の耕しツアー
お父さんに あいたい。
お母さんに あいたい。
思い切って あそびたい。
こういった想いが,子どもの胸の中にある。
それを切に願っている子どもが静岡県・浜松市にも多くいます。
警戒区域が解除されても,未だ「住む」ことはできません。「入れても宿泊できない」これが居住制限区域の意味するところだと思います。結局帰った気なんてしない。帰れるようになったことは大きな一歩だけれども,本当の意味で「帰る」ことはまだまだ出来ない。
昨年7月に視察した居住制限区域の南相馬市小高区。そこに住まわれていた方は「難民になったみたいだ」と,どことも言えない自分の居場所を語っていらっしゃいました。
放射能に対する知識も,「勉強する」ことは出来ても,「勉強しない」ことがほとんどです。福島原発事故から2年以上たった今でも,どのぐらいの放射線量が危険なのかを知らない・素人しない人がほとんどです。何に怯えているのかわからない,だけど放射能は恐ろしいものだ。そう思ってしまうこと自体が恐ろしいと思います。
恥ずかしながら,自分は昨年7月に南相馬市小高区を視察するまで,ほとんど何も知識を持っていませんでした。授業などで得た知識はあっても,実際の所「どれくらいが安全なのか」という知識はありませんでした。不安でしかたなくって,現地にて調べました。いまのぼくは,どこらへんからが危険かどうか。どれくらいなら安全か,というところが判断出来ます。自分のものさしを信じれるようになりました。
どうかテレビの前で,被災地をみないでください。YoutubeやTwitter,Facebookに掲載されている被災地はほんの,ほんの一部です。いま,日本が抱えている大きな大きな課題を,僕ら若い世代がみることが大切だと思っています。
なかなか,東北まで行く機会はないし,時間も合わなかったりします。だけど,

いま,福島にいきたい。
こんな想いから,福島県視察企画をしています。少しでも,多くの人に,若い人に,見てほしい。あの町,あの場所,そしてそこに住んでいた人たち。福島第一原発で起こったことに向き合っていくのは,向き合っていかなきゃいけないのは,被災者・避難者,国会議員や,東電の社員だけじゃない。
本当に向き合わなきゃいけないのは僕ら大学生世代なのではないかと思います。老若男女問わず,一人でも多くの方々に目を向けてほしい。この一心です。詳細に関しては,こちらから。
4/18~21福島視察ツアー http://koryukan.hamazo.tv/e4363901.html
ちょうど,福島では桜が咲いている頃なのかな。きっといろんな場面で,心が揺れる3日間になるんだろうけれど,しっかり準備して当日を迎えたいと思います。

報告会は5月12日(日)13時~浜松市市民協働センターにて行います。
こちらはまた,はままつ東北交流館福島視察ツアー実行部の方から連絡があると思います。
長い文章を読んでいただき,ありがとうございます。今度の活動もぜひチェックしてください!
スポアートサポートとうかい代表 大薗政伍
(以下参考の記事です。ありがとうございます。)
※1放射能の減り方
http://www.jaero.or.jp/data/02topic/fukushima/knowledge/17.html
※2富岡町住民意向調査速報版(平成25年2月8日)
http://www.tomioka-town.jp/living/cat16/2013/02/000731.html