前回、
「人間関係でいつも詰んでいた頃の話」
を書きました。
どこにも完全に馴染めなくて、
自分だけが浮いている気がして、
最後は一人で自爆して、一人で逃げる。
あの頃の私は、「これは性格の問題だ」と、
かなり本気で思っていました。
性格がダメだから、友達が少ない。
魅力が足りないから、輪に入れない。
痩せないのは努力が足りないから。
うまくいかないのは根性がないから。
世の中にある分かりやすい理由を、
全部、自分に当てはめていた気がします。
子どもの頃から背が高いのがコンプレックスで、
写真を撮るのも好きじゃありませんでした。
バレーボールをしていたのだから、
本当は誇ってもよさそうなものなのに、
なぜか「目立つ自分」は避けたかった。
今思えば、
コンプレックスにする理由のほうが、
かなり無理があります。
「私が悪い」で話が終わると、
一時的には楽なんですよね。
これ以上、
どこを責められるか分からない不安が、
一旦止まるから。
でも同時に、
「ダメな私」をそのまま見せる勇気はなかった。
だから私は、
出来ないことも「できる」と言い、
知らないことも「知ってる」と言って、
自分を少し大きく見せていました。
その場をやり過ごすための、
精一杯の努力。
でもそれは、
自分を守るというより
自分を疲れさせる方法だった気がします。
頑張っているのに、
どこかズレている感じが消えない。
明るく振る舞っても、ちゃんとやっているはずなのに、なぜか楽にならない。
責め続けるのに疲れて、朝起きたら消えてたいなと思う日もありました。
今思えば、
かなり丁寧に、自分を追い込んでいました。
そんな自分を変えたくて、
性格を直そうとした時期もあります。
前向きになろうとしたり、無理に集団に合わせたり、「感じのいい人」を演じてみたり。
でも、どれも長続きしませんでした。
頑張っているのに、
自分じゃなくなっていく感じだけが、
残っていきました。
しばらく経ってから、算命学で自分の性格傾向を見たとき、少し拍子抜けするような感覚がありました。
「ああ、私はやっぱり飽き性なんだ」
でも続けて、
「飽き性でも、別に悪くないんだ」
と思えたのを、はっきり覚えています。
紙に並んだ言葉を見て、
これはダメ出しじゃなくて、
取扱説明書なんだな、と。
私は努力が足りなかったわけでも、
性格が歪んでいたわけでもなかった。
ただ、
・人との距離に敏感で
・空気を読みすぎて
・全部に適応しようとする性質を
「直すべき欠点」だと思い込んで、
自分と戦っていただけでした。
性格って、
良い・悪いで切るものじゃなくて、
配分を間違えると、しんどくなるもの
なんだと思います。
努力不足だと思っていたものの多くは、
実は努力の方向が違っていただけ。
責め続けても楽にならなかった理由が、
ここでやっと説明がつきました。
性格を責めるのをやめたら急に人生が好転した、
という話ではありません。
ただ、
自分を追い詰める理由が、一つ減った。
それだけで、
十分だった気がします。
次は、
強みでも弱みでもなく、
その間にあった
「私なりのバランス」の話をします。
また、続きで。
