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ささやかだけれど、役に立つこと

読書、映画、時事ニュース等に関して感じたことをメモしています。忘れっぽいので、1年後にはきっと驚きをもって自分のブログを読めるはず。

 

エマ・トンプソンとダスティン・ホフマン主演の映画「新しい人生のはじめかた(2008, 原題:Last Chance Harvey)」を観た。

 

過去に中絶した経験があり恋愛に保守的なケイト・ウォーカー(エマ・トンプソン)は、母親の自己中心的な過干渉にウンザリしつつも何かと面倒をみている。ハーヴェイ・シャイン(ダスティン・ホフマン)はアメリカ人だが、結婚を控えた娘はイギリス人の継父に懐いており自分との関係は微妙にギクシャクしている。ハーヴェイは娘の結婚式のためにロンドンに向かい、空港で働くケイトに偶然出会って・・・みたいな話。エマ・トンプソンがとても美しい。

 

ハーヴェイは空港のパブでケイトと知り合って以降、ほとんどストーカーみたいに彼女から離れなくなる。怖すぎる。だが何故かケイトの方も嫌がるとか不気味がる様子が殆どない。その他色々と不自然な、或いは既視感に眩暈しそうな展開が延々と続く。だが、エマ・トンプソンの自然で繊細な演技が素晴らしい。ずっと観ていたくなる。

(注)以下の文章は映画に関する粗筋以上の内容を含みます。

 

ベン・アフレックの「ザ・コンサルタント(The Accountant)」を観た。不正会計の疑いのある企業の監査業務を請け負ったところ、命を狙われて。。。みたいな話。ギャヴィン・オコナー監督。「ウォリアー」に引き続き、今回も兄弟愛が見所の1つ。

 

「昼間は会計士、本業は殺し屋」というコピーだったけれど、全然殺し屋じゃないような。。。映画を観た印象では、通常の会計業務に加えてマフィアや殺し屋のマネロンを手伝っている、ということらしい。軍人だった父親に格闘技その他を教育され、本人も元軍人ということもあって戦闘技術に長けているが、別に殺人を請け負って報酬を受け取っているわけではない(はず)。結構殺しまくるものの、全て復讐か或いは広義の正当防衛(集団自衛?)だ。

 

主人公のクリスチャン・ウルフ(ベン・アフレック)は高機能自閉症と診断されており、他者の感情を読み取ることに困難を覚える一方、数字については常人を超える能力を持っている。ということで会計士は彼にとって天職なのだが、成り行きで裏社会の顧客も多く抱えている。

 

サスペンスやアクションのパートも迫力があって面白かったが、主題の1つは自閉症児やその家族が直面する問題や、どのように社会に適応していくのか、という点にあるように感じた。クリスチャンの母親は夫と子供を捨てて家を出て行ってしまうのだが、それはクリスの自閉症が原因の1つであるようだ。

 

興味深かったのは、1)(急いでいて)お店にとんでいく、2)(興味のない大学教育のために)楽しみが死んだ、のような比喩や擬人的な表現をされると、クリスには意味を取れなくなることだ。どちらの表現も厳密に言えば論理的には飛躍があるため、字義通り受け取ると意味が通らなくなる。

 

クリスが人の感情を読めないことと会話の比喩や擬人化を理解できないということは同じ事柄の異なる側面だ。どちらも、明示的に表現されていない情報を想像で補う必要がある。ただ、人々が良く互いの心情を読み誤る、みたいな話とクリスの状況はかなり異なるように思われる。彼の内面では、読み誤る対象すら存在しないように感じられているのではないか。

 

ところでクリスには弟が一人いるのだが、兄弟の母親が家族を捨てて家を出ようとする際に、その弟君が窓のブラインド越しに母親に向かって中指を立てるシーンは中々良かった。母親の心労を思えば逃げ出したくなる気持ちは分かるけれど、その分余計に弟君の兄弟愛のようなものが際立って感じられる演出だった。

悲しみが乾くまで(2007)を観た。

 

ハル・ベリーとベニチオ・デル・トロ主演。殺人事件で夫であるブライアン(デヴィッド・ドゥカヴニー)を亡くしたオードリー(ハル・ベリー)とその子供達が、夫の親友であるジェリー(ベニチオ・デル・トロ)との交流を通して立ち直っていく姿が描かれている。一方ジェリーは元弁護士だが今はドラッグ中毒患者。オードリーの家族に支えられながら終盤では更生施設に入所する決心をする。

 

名作なので良いところを挙げ始めるとキリがない。ただ、終盤での賑やかなディナーのシーンが良かった。ジェリーがドラッグ克服サークルで知り合った女性ケリー(アリソン・ローマン)が唐突に故人の思い出について質問を始める。誰もが戸惑ってブライアンについて語ることを躊躇する。しかし、オードリーが少しずつ答え始めると堰を切ったように皆がブライアンとの思い出について語り始める。

 

そうすると、そのように語ることがとても自然であり、自分たちがそれを望んでいたことが判明する。ケリーは、ブライアンの家族や友人達にとって故人の思い出ついて語り合うことが必要であると理解した上で質問しているのだ。残酷だけれど、そうやって思い出にしてしまう他ないのだから。