いや、なんとも申し訳なく思っています。こんなに長い間ブログをほったらかしにして、、、


もちろん忙しかったのですが、本当に色々なことを成し遂げました!



まず、夫の在留資格がでました!!

入国管理局は提出してから2~3ヶ月後の2月中旬と言っていたのにもかかわらず、書類提出からなんと1週間ででたのです!!しかも 3年 のビザが。。。 もう、嬉しくて嬉しくて。

本当は1年ごとに3回更新、次に3年を2回更新、というのをしていくのですが、いきなり3年の許可がでました。


喜んだのはもちろんですが、それからがなかなか大変。申請中の外国人登録のカードの在留資格の変更、国民健康保険への加入、などなど。

それ以外にも学校とバイトがあり、前回書いたフランス語の短期集中レッスンの方がほぼ毎日午前中に来られ、週二回午後は母の友達が語学を学びに来る。


テキストをためて作っておいたのにもかかわらずあっというまに授業は進行し、また新しいのをつくり、人数分のコピー、、レッスンのたびにお菓子を出すのでその準備、入院中の祖父にかかりっきりの母に代わり食事の準備.... これほど「師走」という言葉を実感したのは25年間で初めてかもしれません。 顔がやつれてきたらしく、バイト先や生徒さんたちに 「大丈夫?」 と突然言われることも多々あり、、


そんな状況の中、また夫の中国行きが決まりました。中国のビジタービザが切れていたので(日本人は要りませんが) 中国領事館に行かなければならなく、入ってみると(日本と中国から見て)第三国のイギリス人に関してはビザの申請がややこしく、また厄介なことに。。


とりあえず代理店に頼み4日後にに中国の査証がおりるはずです。


年末になれば、ゆっくりできる!! と思っていたのですが、バイトが。。

年末実家に帰る人が多いので、地元で働く人達はキツイ、というのを飲食7年目にしてまだ覚えていませんでした。今週、25日からでも5回。 今日が中休みだったのですが、「今日もはいられへん?」 というメールが朝に届く。

幸い、予定があったので断りましたが。。


飲食業は「12月で一年分稼ぐ」とも言われるほど忙しいのです。 私の働く17~23まで、18時以降は息つく暇もありません。冗談と思われるかもしれませんが、目の前にあるお茶を一口飲む暇もありません。のどかわいたなぁ、トイレ行きたいなぁ、と思いながら23時になるのです。


飲み放題のお客さんが多いのでグラスがなくなる。 洗えばいいのですが洗う時間がなく、食器洗浄機で洗ったグラスは熱く、冷たいドリンクを入れることができません。 だから時間がかかっても手洗い。もしくは少し熱さが冷めてから氷水入りのタライに入れて冷やす。


だから、別に使いもしないのに「グラス人数分持ってきて」 と言われると腹が立つのも当然です。「お水人数分」 と言われて、そのお客さんが帰った後の片付けにいくと一口も飲んでいないグラスがあちらこちらに。 自分がお客さんの時はこういうことは絶対やめようといつも思ってます。


長々と愚痴を言ってしまいました。。


さてさて、私の年末はと言うととりあえず30日まではバイト。日本の年越しが初めての夫に色々見せてやりたい、とは思いつつもその気力が起こりません。ごめんよ、チャーリー。今年は勘弁してくれ。。。

こんな忙しいかわりに、夫は明日兄の友達たちと岐阜にスノボに行くそうです。私の代わりに楽しんでくれてありがとう。。。精一杯すべってきておくれ。。


さて、そんな私ですがとりあえずクリスマスはご馳走作りました。


noel  


この素人感溢れるデコレーション、できそうでできませんよ!!


↑このケーキのほかに七面鳥、アボガドとエビのマリネ、ローストビーフを作りました。

七面鳥はフランスで何度か焼いていたので、好評だったお米を詰めたローストにしました。


この日だけかなぁ、、12月で楽しかったの。。。 なんてね。


またちゃんと更新しますので、皆さん、また来て下さいね☆



昨日、兄の知り合いの女性が


 「一月にフランスに個人旅行に行くからなんとかそれまでに喋れるようになりたい!」 


ということで、夫にフランス語を2週間、集中個人レッスンを受けることになりました。

昨日は日程と料金のお話をしました。

全くの初心者で、マンツーマンのレッスンには自身がないそうなので、私も横について1時間半6000円。

生徒一人に二人の教師(私は違いますが)がついてこの値段は安いとおもうのですが、どうなんでしょ??

夫もプロの教師ではないので、これくらいだと思うのですが、一般的に見てこれは高いのか安いのか。。


もちろん、2週間で(本当の意味で)喋れるようになるとは到底思えないのでいわゆる 「旅行の~語」 見たいな感じでレッスンを進めようという話になりました。


彼女は母親と一緒にガンショップを経営しているそうで、初めて聞く話が沢山で、興味津々。

職業柄、猟師さんがよく鴨やウサギを獲ってきてくれるそうです。


「食べたことのない肉はない」


という彼女はきっと熊も食べた事あるんでしょう。。


夫を通して、以前なら想像もつかないか多様な方達とこういう縁ができるということは、とても有難いことだと思います。世界が広がる、知識も増える。


そう、私が最近欲しいと思っているものは 「(人間関係を通しての)知識」


この前、テレビでの鏡リュウジの星占いによると来年のおうし座は 「人間関係の輪をどんどん広げられ、それを楽しめる」 そうです。


でもやっぱり自分が動かないとなんにも動かないんですよね。 12月から、来年に向けて、アクティブに動き回ろう!と思います。

退院した夫が、よくインターネットで対戦型のゲームをしています。


世界中の人とゲームができ、チャットもできるようなシステムです。すごいですね、科学の力。


さて、今日は夫があるフランス人とゲームをしながらチャットしていたそうです。そのフランス人が言うには


「この前高速を時速260kmで走ってて、写真を取られ警察に捕まった。罰金5000€(約70万円)と免許剥奪、もうすぐ刑務所での実刑まである。」 と言ってたそうです。


きっついですね。


260キロなんてでるん!?と私が夫に聞くと、可能だそうです。

まさに映画「タクシー」の世界。


ヨーロッパは処罰がキツイと聞いてはいましたが、こんな大金に実刑までってありえるんでしょうかね??

実は、このあいだの日曜から夫が入院することになりました。

病名はあえてここで言うほどでもないですが、1週間ほどの入院なのでたいした事はありません。


ただ、日本語が喋れないので、一人にするのはかわいそうなので母と私が交代で行っています。


私は学校が終わったらそっこー病院へ。母も祖父の病状がとても悪いので祖父の病院に週3回泊まることになっているので父は最近てんやものばっかりの夕食です。


いやー、重なるもんですね。こういうことって。


インディーが亡くなって悲しむ暇もないのです。


もし、今インディーが生きていたら父しかいない家で寂しくしているのでしょう。


母が一日家にいないだけで体調を崩すような甘えん坊だったので、もしかしてこうなること(夫と祖父が病気になる)がわかって、「自分は今、逝った方がいい」 と思っていたのならどうしよう、と考えたりしています。もしくは、「今自分が死んだら、家族は悲しむ暇がないから、辛くないだろう」 と思ってたりしたのならどうしよう、と。 考えすぎです 


でも、動物って本当に家庭の中の変化にすごい敏感なんです。これは本当です。



母が若い頃、母の姉に赤ちゃんが生まれました。ガルという名のシャムネコを飼っていたのですが 「赤ちゃんがいるから猫はちょっとあぶないかなぁ」 と、誰も口にしてはいませんでしたがそう思っていたそうです。


人に全くなつかないガルなのにある日突然、家族全員にごろごろと甘えて、家を出て行ったそうです。

実は、隣の家の庭に住む事になったのですが、母達はそれを知らなかったし、隣人も母の猫とは知らなかったそうです。


ある日庭で亡くなっていたガルを、「庭で猫が死んでいる」と保健所に電話したそうです。 後からそれを聞いた祖母は「どんな猫でした?」 と聞くと隣人は 「シャムネコで、首輪にビョウがついていました。」


その時にシャムネコはとても珍しかったので、祖母はあわてて保健所へ行くと、すでに火葬された後でした。祖母はその後、今でも、 「あの子には、可哀想な事をしてしまった......。」 といいます。


話は広がりますが、人間にかわいがられている犬猫がいる一方、一体何頭の動物達が日々殺されていっているんだろう。


あまりに悲惨だろうし、見ていてかわいそうになるので捨て犬捨て猫関係のドキュメントや雑誌の記事を避けてきていましたが、やっぱり駄目ですよね。 「それを見たからといって、自分は何にもできない」と思ってしまうんです。


何ができるんでしょうね、本当に。

「知ること」 が本当に大切なのですが、動物を冷酷に扱う人達は、それを知っても何にも感じないのではないか、と無力さを感じます。


話が飛びすぎました、すいません!

11月18日の朝、愛犬のインディーが亡くなりました。

17日の朝から、ずっと発作で苦しんでこん睡状態で、学校に言っていた私に母が「インディーが危ないから、早引きできない?」とメールを送ってきました。


どうしても早引きできない講座だったので、終わりしだい急いで家に帰ると、母は泣きはらした顔で「よかった、インディーは待っててくれんよ。」 と言いました。 発作が一時的に収まっていたので穏やかな顔をしていましたが母が「今は穏やかやけど、本当にひどい発作がまたくるねん。今日はそれの繰り返しやから、本当に発作がかわいそうでかわいそうで、、、、」 とまた泣き出しました。


「インディーは今日死ぬねん。お母さんはわかるねん。」 と言いました。なぜかと言うと、寝たきりで声を出すのが苦手だったインディーなのに、その日の昼ごろ、急に大きい声で母を呼び、10回ほど甘えたような、とてもかわいい声を出したそうです。「あれは、インディーがお母さんに挨拶してん....」 と言ってました。


17日の夜、まだ昏睡状態が続いていたので私はもう朝には生きたインディーに会えないかも知れないと思うと辛くて辛くて、なかなか眠れませんでした。


18日の朝、まだ何とか昏睡状態が続いていましたが、1日以上水を飲んでいないのが痛々しくて、スポイトで水を入れてみても横から流れ出てしまって、全然飲んでくれない。ずっとそばを離れなかった母がちょっと洗濯物を干しに行ったその時、インディーが大きな口をあけて苦しそうにするので、大声で母を呼びました。

母は「いよいよやな、、」と私も母も覚悟を決めました。どんどんと心臓の音が小さくなり、耳を直接胸につけても聞こえなくなってきました。


母は、「インディー、だっこするから」 と、腕に抱き、

「よう頑張った、頑張った。ありがとうな............。ありがとうな.......。」 と何度も繰り返しました。

母は、ずっとインディーが逝くときは腕の中で逝かせてあげたい、と言っていたのです。

「これがお母さんの夢やってん」 と、泣きながら私に言いました。

私と夫と母の三人で「インディー!ありがとう!ほんとうにありがとう!よく頑張った!もうしんどくないから!」と言いました。

寝たきり生活が長かったせいか、筋肉がなかったインディーは死後硬直をしませんでした。だから、いつまでもやわらかいままで、毛もふわふわして、目もくりっとかわいくて、全然死んだとは思えませんでした。私と母は「ほんまに死んだんかな?」 と何度も言いました。


その後、学校に行かなければならなかった私は油断をすると電車の中でも授業中でも泣いてしまいました。当然涙目になってタオルで顔を抑えていた私を、電車の中の人も、学校の先生も変に思っていたかもしれません。でも、家に帰ると「かならずどこかにいる」 あの、やわらかくて暖かい、小さいインディーがいないと思うと寂しくて寂しくて、どうしようもなかったんです。


その日の夜は、いつも一緒に寝ていた母が「今日が最後やね」と言ってインディーを部屋に連れて行きました。寝たきりの為に、夜中に便をして鳴いたりしているインディーを、嫌な顔一つせず世話をしていました。

私も今日はインディーと一緒に寝たかったのですが、インディーが一番好きだったお母さんと二人っきりにしてあげようと、自分の部屋で寝ることにしました。

母とインディーの隣の部屋で寝ていた私は、母がインディーにずっと話しかけている声が聞こえました。


「ずっとおりこうさんやったね。」

「いつもかわいかったね。」

「今までありがとうね、頑張ったね。」

「お母さん、ここにおるよ。」


と言っていました。


そして今日、葬ってきました。寂しくないように、母のにおいの染み付いた服と、私の手袋、兄の帽子、ぬいぐるみを一緒に火葬してもらいました。骨壷に入ったインディーは、あまりに小さく、さっきまでいたあのふわふわしたインディーが、こんなになってしまったなんて、全然実感がわかないのです。


寂しくて寂しくて、どうしようもないですが、客観的に見るとインディーは幸せだったのかもしれない。


15年間、人間とは違い、生活の全てをその飼い主の家で過ごす犬は、その家が人生の舞台。私の家で家族全員に愛されて、たまに脱走をしても交通事故に遭う事もなく迷うこともなく、なんとかいつも家に帰ってこれました。意地悪な人に出会って暴力を受ける事もなく、ぬくぬくと育ってきました。


そしてなによりも、15年間、私は小中高大の成長をインディーと過ごせたことが、なによりも嬉しいです。

絶対に私達を裏切ることなく、癒してくれたインディー、本当にありがとう。どうしても犬が欲しいと言って、泣きまくって頼んだあげくにインディーと生活することを許してくれた両親にも大感謝です。


本当に悲しいのは、今なら家ですぐに見つけられるインディーの毛や、匂い、食べるのが下手だったので口周りを拭くために沢山用意していたミニタオル、毛布、そういうものがこの家からなくなっていくことです。


そして、あのかわいいしぐさや表情が、いつかはっきりとは思い出せなくなってしまうのではないか、という不安。

誰もが乗り切る壁ですが、あまりにも心が痛いのです。つらいよりもさみしい。


でも、先ほども書きましたが、15年をインディーと過ごせたこと、インディーと巡り合せてくれた運命にも感謝しています。今、私は死ぬのが怖くありません。インディーにまた会えるから。

死ぬのが楽しみ!とかじゃありませんが、死ぬことに対しての不安が、なくなったも同然のように今も感じられます。

もちろん、私にはまだ寿命があり、死にたくありませんが、いつかまた会える、そう思います。


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最後の二日、苦しかったけど、頑張ったね。

インディーの15年は、素晴らしい15年だったよ。

みんなに笑顔をくれたインディー。

これからもずっと、感謝し続けるから。

本当にありがとう。