11月18日の朝、愛犬のインディーが亡くなりました。

17日の朝から、ずっと発作で苦しんでこん睡状態で、学校に言っていた私に母が「インディーが危ないから、早引きできない?」とメールを送ってきました。


どうしても早引きできない講座だったので、終わりしだい急いで家に帰ると、母は泣きはらした顔で「よかった、インディーは待っててくれんよ。」 と言いました。 発作が一時的に収まっていたので穏やかな顔をしていましたが母が「今は穏やかやけど、本当にひどい発作がまたくるねん。今日はそれの繰り返しやから、本当に発作がかわいそうでかわいそうで、、、、」 とまた泣き出しました。


「インディーは今日死ぬねん。お母さんはわかるねん。」 と言いました。なぜかと言うと、寝たきりで声を出すのが苦手だったインディーなのに、その日の昼ごろ、急に大きい声で母を呼び、10回ほど甘えたような、とてもかわいい声を出したそうです。「あれは、インディーがお母さんに挨拶してん....」 と言ってました。


17日の夜、まだ昏睡状態が続いていたので私はもう朝には生きたインディーに会えないかも知れないと思うと辛くて辛くて、なかなか眠れませんでした。


18日の朝、まだ何とか昏睡状態が続いていましたが、1日以上水を飲んでいないのが痛々しくて、スポイトで水を入れてみても横から流れ出てしまって、全然飲んでくれない。ずっとそばを離れなかった母がちょっと洗濯物を干しに行ったその時、インディーが大きな口をあけて苦しそうにするので、大声で母を呼びました。

母は「いよいよやな、、」と私も母も覚悟を決めました。どんどんと心臓の音が小さくなり、耳を直接胸につけても聞こえなくなってきました。


母は、「インディー、だっこするから」 と、腕に抱き、

「よう頑張った、頑張った。ありがとうな............。ありがとうな.......。」 と何度も繰り返しました。

母は、ずっとインディーが逝くときは腕の中で逝かせてあげたい、と言っていたのです。

「これがお母さんの夢やってん」 と、泣きながら私に言いました。

私と夫と母の三人で「インディー!ありがとう!ほんとうにありがとう!よく頑張った!もうしんどくないから!」と言いました。

寝たきり生活が長かったせいか、筋肉がなかったインディーは死後硬直をしませんでした。だから、いつまでもやわらかいままで、毛もふわふわして、目もくりっとかわいくて、全然死んだとは思えませんでした。私と母は「ほんまに死んだんかな?」 と何度も言いました。


その後、学校に行かなければならなかった私は油断をすると電車の中でも授業中でも泣いてしまいました。当然涙目になってタオルで顔を抑えていた私を、電車の中の人も、学校の先生も変に思っていたかもしれません。でも、家に帰ると「かならずどこかにいる」 あの、やわらかくて暖かい、小さいインディーがいないと思うと寂しくて寂しくて、どうしようもなかったんです。


その日の夜は、いつも一緒に寝ていた母が「今日が最後やね」と言ってインディーを部屋に連れて行きました。寝たきりの為に、夜中に便をして鳴いたりしているインディーを、嫌な顔一つせず世話をしていました。

私も今日はインディーと一緒に寝たかったのですが、インディーが一番好きだったお母さんと二人っきりにしてあげようと、自分の部屋で寝ることにしました。

母とインディーの隣の部屋で寝ていた私は、母がインディーにずっと話しかけている声が聞こえました。


「ずっとおりこうさんやったね。」

「いつもかわいかったね。」

「今までありがとうね、頑張ったね。」

「お母さん、ここにおるよ。」


と言っていました。


そして今日、葬ってきました。寂しくないように、母のにおいの染み付いた服と、私の手袋、兄の帽子、ぬいぐるみを一緒に火葬してもらいました。骨壷に入ったインディーは、あまりに小さく、さっきまでいたあのふわふわしたインディーが、こんなになってしまったなんて、全然実感がわかないのです。


寂しくて寂しくて、どうしようもないですが、客観的に見るとインディーは幸せだったのかもしれない。


15年間、人間とは違い、生活の全てをその飼い主の家で過ごす犬は、その家が人生の舞台。私の家で家族全員に愛されて、たまに脱走をしても交通事故に遭う事もなく迷うこともなく、なんとかいつも家に帰ってこれました。意地悪な人に出会って暴力を受ける事もなく、ぬくぬくと育ってきました。


そしてなによりも、15年間、私は小中高大の成長をインディーと過ごせたことが、なによりも嬉しいです。

絶対に私達を裏切ることなく、癒してくれたインディー、本当にありがとう。どうしても犬が欲しいと言って、泣きまくって頼んだあげくにインディーと生活することを許してくれた両親にも大感謝です。


本当に悲しいのは、今なら家ですぐに見つけられるインディーの毛や、匂い、食べるのが下手だったので口周りを拭くために沢山用意していたミニタオル、毛布、そういうものがこの家からなくなっていくことです。


そして、あのかわいいしぐさや表情が、いつかはっきりとは思い出せなくなってしまうのではないか、という不安。

誰もが乗り切る壁ですが、あまりにも心が痛いのです。つらいよりもさみしい。


でも、先ほども書きましたが、15年をインディーと過ごせたこと、インディーと巡り合せてくれた運命にも感謝しています。今、私は死ぬのが怖くありません。インディーにまた会えるから。

死ぬのが楽しみ!とかじゃありませんが、死ぬことに対しての不安が、なくなったも同然のように今も感じられます。

もちろん、私にはまだ寿命があり、死にたくありませんが、いつかまた会える、そう思います。


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最後の二日、苦しかったけど、頑張ったね。

インディーの15年は、素晴らしい15年だったよ。

みんなに笑顔をくれたインディー。

これからもずっと、感謝し続けるから。

本当にありがとう。