上に立つ者に必要なもの
師匠、上司、隊長という部下を師事する立場の人間にとって不可欠なもの、人望や求心力はもちろんだけど、一番必要なもの、それは下の者を寄せ付けない技術や、強さなのだろう。
つまり、下の者に「この人には到底敵わない。」というところを思わせる事だ。仮面ライダースーパー1・沖一也の師匠である玄海老師がまさしく、その人だ。赤心少林寺の総帥で、老人とは思えないくらい、とにかく強い。敵の戦闘員が何人かかってきても簡単にぶっとばしてしまう等、その強さはハンパではなく、劇場版ではなんと、素手でストロングベアーという怪人まで葬りさっているのだ。仮面ライダーでさえ、変身前に怪人を倒した事なんてなかったのに、生身の人間が、己の拳だけで怪人を倒したのだから、仮面ライダーと戦ったとしても、ライダーマンくらいなら、倒してしまうかもしれないな。おまけにこのじーさん、非常におっかない。沖一也もこのじーさんには、しょっちゅう怒鳴られていた。
画像は仮面ライダースーパー1のギャラリー仕様のガシャポンで、スーパー1はバイクを二台(内一台はハーレーダビッドソン改)持ち、ファイブハンドという超高性能の武装等、歴代のライダーと比べてかなり豪華な装備を身につけていた。さすがは宇宙開発という国家プロジェクトがバックにあっただけあって、予算もふんだんに使えたんだろうな。悪の組織に改造された他のライダーは、たぶんブラックマネーだっただろうから、改造手術の予算は限られていたのかも?
玄海老師は、カイザークロウというメチャ強い怪人に倒されてしまったんだが、本当に惜しいと思ったのは私だけではないだろう。
確かにおっかないじーさんだが、それは弟子を愛するがゆえの厳しさで、モロボシ・ダンのそれとは、ちと訳が違…イカン!また比較してしまうところだった。
素晴らしきウルトライマジネーションの世界~ウルトラマンの最後
この間から紹介しているウルトライマジネーションは、より深い解釈で劇中の名場面を、またはIFの世界をイラスト風にフィギュア化している。今回はその中の、「ウルトラマンの最後」を紹介したい。
ご存知の通り、ウルトラマンは最終回でゼットンに倒されるんだけど、テレビ版では、単にウルトラマンが、光線を浴びせられて倒れただけだったが、このフィギュアはちと訳が違う。
画像がそのフィギュアで、テレビ版をより拡大解釈させて、ゼットンの火の玉攻撃が、ウルトラマンの胸を完全に貫いているし、おまけに目の輝きまで失ったウルトラマンは、まさしく殺されているのだ。
しかも、ゼットンは定番の仁王立ちのポーズが、バッチリと決まっていて、圧倒的な強さを物語っている。ウルトラマン最終回の準備稿段階では、カラータイマーをゼットンに、素手で叩き割られるというかなりショッキングな場面も考えられていたらしいが、それ以上に悲惨シーンだから、初めてこのフィギュアを見るウルトラファンがいたら、卒倒するのは間違いないだろうな。
蛇足だが、このタイトルは本来ウルトラマンの「最期」が正しいと思うのだが、ミニブックは何故か「最後」となっていた。
更に蛇足だが、オークションに出品したら、結構早く落札された。やはりミッチーとは大違いだな。
石ノ森章太郎の願い
昨日、「Mother」というドラマのワンシーンで、実の母と自ら決別した少女が泣いていた場面があった。
最初は泣くのを我慢しようとした少女も、「笑わなくてもいい。」と言われた途端、大声で泣きだした。
このシーンを見ていて、ふとキカイダー01の第三話を思い出した。
それは、ハカイダー四段攻撃で傷ついた01が、ハカイダーに追われているアキラ少年を抱きしめて、優しく「もう泣くな、男じゃないか。」と励ますシーンだ。そう、泣くのは決して不幸な事だけではない。涙しても優しく抱きしめてくれる人がいるのは、とても幸せな事なのだ。抱きしめられる事で、人は優しさや勇気をもらう事が出来る。
この時の01が、まさしくそれだ。傷つきながらも弱者を守り、勇気と希望を与えようとした。この後、ハカイダーに追い詰められ、大ピンチになるんだけど、そこへキカイダー・ジローが駆け付け、01も復活し形勢は逆転、ピンチを逃れた。画像はバンダイのガシャポンのキカイダー01のフルセットで、ラインナップに入っているジローのフィギュアを使えば、第三話の名シーンを再現できる。
昨今、子供が虐待された揚げ句、命を奪われる悲しいニュースが相次いでいるが、全ての石ノ森ヒーローは自らを犠牲にしてでも、か弱い存在の子供達を守っていた。
もしかしたら、石ノ森御大は未来を担う子供達が、安心して暮らせる社会になってほしいという願いを自身が生み出したヒーローに託したのかもしれない。


