数日前には東京のど真ん中で開かれたパーティーの
センスのいい煌びやかな空間で華やかに踊っていたというのに、
今は岐阜の山奥の里山で、突き抜けたの青空の下、
泥んこになって田んぼのお志事をしている、というわたし。
まったく違う世界に、ほんのわずかな時空間のへだたりを飛び越え、同時に存在している。
あまりのギャップなのに、それをいとも自然に波乗りしていることに、ふっと笑ってしまう。
これがわたしのリアル・ライフ。
外の世界で、自分らしさを表現して、沢山の人とつながりエネルギー交換をすることも、
暮らしのなかで、大地にひれ伏し、足元の野花をそっと愛でて、泥にまみれて働くことも、
わたしはどちらも大切にしている。
季節を読み、自然の流れにそって、土に触れ、種をまき、わたしと世界はひとつだと体感する。
雨よ降れ、陽よ照らせ、豊かな実りがありますように、イノチを燃やして流す汗から祈りが湧いてくる。
たわわに実った野菜や米を、イノチを「いただきます」と家族で手を合わせ、イノチの巡りに感謝が溢れてくる。
神様の前で手を合わせる時だけが祈りではない。
衣装で着飾り踊る時だけが祈りではない。
感謝と祈りは、暮らしのなかから産まれるもの。
そして、そのふたつがつながることこそ、天と地を結び、ただ無として、ひとつのイノチとして祈りとともに在れるということ。
わたしにとっての舞いは、それを表現すること。
それがあまりにも幸せで、イノチの歓びが溢れてくるんだなぁ。
ありがたい、ありがたい。