件の書類、見れば見るほどダメに見えて来る。てにおはをいくら直してもダメなものはダメなのだ。
傷心して帰路に着いた。
▽見覚えのある黄色い花。尖った葉。さてはて、、、
▽前回のヤマブキ
▽ヤマブキ(山吹)でした。
ヤマブキの思い出は三つある。一つ目は幼稚園のとき。
昭和40年頃だ。買って貰ったクレヨンが色数が少なくて、近くの子に「はだ色貸して」とか「銀色貸して」とか頼んでいた。今は、肌色って言うとケーサツにつかまるらしい。世知辛い世の中になったものだ。
近くの席の子が持っていた36色のクレヨンの中に「山吹色」と言うのがあった。黄色ともレモン色とも違う。そして、だいだい色よりは薄い。昔はオレンジ色なんて言わなかったな。ヤマブキって一体何のことなんだろう、と五歳児ながら真剣に悩んだのを覚えている。
▽〔9/3火、18:01〕今晩は買い物無しで帰宅。
山吹の二つ目の話は古谷三敏の「寄席芸人伝」。そこに誰だったかの前座時代の話が書いてあって、大雪の日、年寄り連中がみんな高座を休んでしまい、残された前座一人が何回も出演することに、、、。知っている演目は太田道灌のみ。何回もやっているうちに、客が怒り出して「てめぇ!落語に暗いな!」(落語のオチは、カドが暗いから提灯借りに来た)。
これと関連した有名な話が、先代のこぶ平(今の正蔵)が、病欠の親の代わりに高座で誤った際、お客になんかやれ!と言われて、布団がふっとんだ、とやったら大うけで、成功体験になった、と言うのをどこかで読んだ気がするのだが、都市伝説かも知れない。
▽ギザギザの葉っぱの形も特徴的である。
▽明日は楽天買い廻り。
▽三つ目の話は、上の落語とちょっと関係があるのだが、太田道灌。昔、1980年代の頃、従姉が京成線の志津駅(千葉)の近くに住んでいて、よく遊びに行って夕食をごちそうになった。男の子が二人いてなついてくれたのでたいそう楽しかった。
日曜日に伺った際に、旦那さんと従姉と(子供はどこかへ遊びに行っていた気がする)で、車に乗って太田道灌の霊廟とかに連れて行って貰ったと思っていたのだけれど、今検索すると、佐倉と太田道灌はあまり繋がりがない。
太田道灌は逆に、佐倉の臼井城に攻め入った側で、霊廟を作られる謂れが無い、、、はてさて、、、。
▽その従姉夫婦は、新聞社を引退したあと、川崎に少し居て、その後、しばらくは千葉の花見川区み春野の一軒家に住んでいたのだが、結局、祖父母の家のある新津に、親を連れて戻ったらしい。自分は一度も従姉の相父母と会った記憶がないのが残念である。家に行って小便を漏らした記憶だけはあるのだが、、。
検索をかけてみると、佐倉の霊廟は佐倉惣五郎(佐倉宗吾)と言う義民が居て、堀田正信の重税取り立てに抗議して直訴、処刑されたと言う話が見つかったが、これも実話ではなく、惣五郎の処刑と、正信の改易をつなげて作られた都市伝説かも知れない、と言うことらしい。
(後記)今日は歯医者。歯根は三本あるものらしい。うち2本は完了。あと1本は未だダメなので薬漬けに。
(後記)今日も被せ物が外れた。昼食には行かずに我慢していたのだが、、、、。四時に再診予定。
(後記)四時に行ったら、院長が子連れで登院していて、ちょっと年配の看護師さんが抱っこしていた。二人目だとか。
▽〔9/5木、11:34〕写真上がブリッジ(歯根の周りの骨が溶け(?)出している)、下が治療中の歯。
四時にもう一度行ったらチェックして、上の詰め物が外れただけなので大丈夫です、、、とのこと。