思い出してみる父からの相続 | spinflopのブログ

spinflopのブログ

(2022年1月から~) 
両親が亡くなり空き家となった実家の売却と確定申告日記(2023年6月納税完了)。遺品・写真から亡父母の生前を振り返り菩提を弔う。そして父の遺品の一眼レフカメラSONY α350の交換レンズを購入し使い倒す。

父親が亡くなった際の相続(2018年12月)は、不動産(家・土地)があったので、結局、行政書士と司法書士が入って、それぞれに、報酬¥194,400及び郵便代・戸籍代¥22,490、と、報酬¥85,040(不動産登記) を支払っている。

これらの手続き費用は、全て義母(亡父の再婚相手)が出してくれた。

 

葬儀の直後、父親の銀行口座がロックされたため、「公共料金が支払えなくて」、と義母が大騒ぎし出したので、とりあえず、近くの銀行に連れて行き、行員と相談の上、「相続手続き依頼書」 と言う、A3の大きな紙を貰って来た。

銀行の言うには、この書類(下の写真)に記入して、戸籍と印鑑登録証明さえ出せば、それだけで口座がアンロックされるとのこと。

 

亡父の預金は約800万あった。義母によれば、父は毎月、年金から数万円を貯金していたとのこと。

そして、家と土地の評価額が、ほぼ一千万。家は築年数39年であり、ほぼ償却しているが、完全にゼロにはならず、車庫と合わせて168万円だった。つまり大部分は土地の値段である。

当時と言うか、今もであるが、自分は金持ちではないけれど、使い道もないので、特にお金に困っておらず、「お義母さんの今後の生活が困らないよう、預金も家も土地も、全部お渡します」 と言うと、義母は、「固定資産税を払うのが大変そうだから、家と土地はあなたに」 と言い出した。

その時は、わずか数年後に義母が亡くなってしまうとは思いも寄らなかったので、「ああ、これから延々と固定資産税を払ってやらねばならんのか。亡父を最期まで看取ってくれたお礼に、出してやるか、、、」 くらいにしか思わず、ありがたくも何ともなかった。

 

しかし、思い起こせば、もともと、この土地は、父が再婚するずっと前、昭和47年に購入したものであり、さらに、実質的な支払いは、昭和四十年代にパートで働いて稼いだ生母(昭和53年逝去)のお金であった。だから、これを自分が相続するのは、きっと亡父母の供養になろう、と引き受けた。もちろん、現況、家に住んでいる義母が居る以上、家土地を売ったりはせず、ずっと、固定資産税を払い続けるつもりであった。そして、実際、三回、税金を支払ったところで今夏、義母が亡くなったのである。

 

一般に、不動産の相続手続きは難しそうではあるが、自分が今住んでいる家、つまりマンションのローン完済に伴う抵当権抹消の登記は、2012年5/12に、全て自分自身でやっている。だからその気になれば、当時、実家1の相続に関しても、独りで出来そうだったのであるが、やはり行政書士を通すことにした。

理由は、この三十年間、義母のヒステリーに辟易していた自分としては、出来るだけ義母に関わりたくなかったと言うのが本音であり、また、葬儀屋の斡旋できた行政書士(女性)に対して、義母が多少、好感を持って居るようだったので、全てお任せすることにした。

その結果が、冒頭に記した、合計三十万円ちょっとの手数料である。決して安くはないが、安心確実に手続きを進めていただけたのである。 

  

▽銀行で貰って来た相続手続き依頼書。

「字が上手く書けない」 とごねる義母をなだめて、何とか、名前と住所を書かせ、あと一歩のところまで行ったのだが、肝心の印鑑登録証が見つからず、断念した。

義母が「印鑑登録などしたことがない」と断言するので、区役所へ連れて行き、新規の印鑑登録を申し込み、帰宅した直後、「登録書が出て来た」と言われ、腰が抜けたのをはっきり覚えている。しかし、不思議と腹が立つようなことはなかった。「わはは、そうですか。探しものって、後から出て来るもんですよねぇ」 と笑い飛ばした。所詮「他人」だし、と割り切っていたからだろう。

 

▽D銀行T支店で貰って来た相続手続き用紙

 

▽上と下の紙に、記入して、戸籍(出生から死亡まで)と印鑑登録さえ渡せば、口座凍結はあっさり解除されるのだ。土地の相続さえなければ非常に簡単。あ、、あともちろん、相続人同士で喧嘩しなければの話だが。

(結局、義母が印鑑登録証のありかを忘れて、新規に登録申請してしまったため、直ちに口座アンロックすることは出来ず、結局、上記のように行政書士を通すことになった。)

 

なお、父親からの相続は、不動産と預金を全て合わせて十分に、相続税基礎控除の範囲内だった。

行政書士の先生に、「いやはや、実家が田舎で安くて良かったです。もし逆に、実家が東京だったらエライことでした。」 と話した記憶がある。

これに対し、志村先生は、「私はその逆のパターンで、実家が東京なんですよ、、、」 と苦笑いされていた。

 

 

▽義母(父親の再婚相手)と養子縁組をしなかったことについて