母親の高校時代の写真 | spinflopのブログ

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(2022年1月から~) 
両親が亡くなり空き家となった実家の売却と確定申告日記(2023年6月納税完了)。遺品・写真から亡父母の生前を振り返り菩提を弔う。そして父の遺品の一眼レフカメラSONY α350の交換レンズを購入し使い倒す。

昭和29年頃の写真が二階の段ボールの中から見つかった。1978年に亡くなった母親は昭和12年6/25生まれで当時、高校生である。

 

 

▽当時、昭和二十~三十年代では、こういう文学少女的なポーズが流行ったのだろうか。

少なくとも自分が物心ついてからは、母親が本を読んでいる姿はついぞ見たことがなかった。昭和四十年代、運転免許を取るために、ガリ版刷りのテキストを見て、キャリブレータがどうのこうの、と言っていたのだけは覚えている。当時は運転の学科教習の内容も今よりはずっと高度だったようだ。

 

▽修学旅行だろうか。根本中堂とは一体どこなのだろう。 (右方、上から三番目)

 

▽修学旅行。おそらく奈良公園だと思われるが、もしそうだとすると、上の写真の、比叡山・根本中堂から奈良まで大旅行したのか?

と思ったら、奈良から比叡山は近鉄ですぐらしい。なるほど。 (後列右)

 

▽これも修学旅行だろうか。 (左方、最後列)

 

▽運動会の写真。裏には万年筆で 『中高運動会29.10.3』 とある。当時は「中央高校」を、「中高」と呼んでいたようだ。(前列中ほど)。

(ちなみに、中央高校は漫画家の高橋留美子さんの母校でもある。)

 

▽上と同時刻で、少し撮影場所を変えて撮ったのだろうか。(前列、左方。完全に同じポーズなのが笑える)

当時は、運動会でも競技参加者以外は制服着用だったのか?

 

▽これも運動会。 (おそらく右端)

 

▽教室にて。卒業の記念に仲良しグループで写したのだろうか。おそらく昭和29年か30年くらい。

 

▽高校の卒業旅行だろうか、あるいは卒業後、集まってどこかに行ったのか。上の多くの写真に比べてみんな少し大人っぽい。

 

▽すぐ上の写真と同じメンバーで、お土産を買ったところだろうか。一体、どこへ旅行に行ったのだろう。コートを着ているので、未だ三月なのだろうか。後ろの看板に「箱」と言う字が見えるが、箱根の可能性がある。すると、すぐ上の写真は芦ノ湖なのだろうか。分からない。

 

▽飼い犬「コロ」を抱いて下駄を履き、砂利の上に座り込む母親の末弟( 《Spinflop》の叔父 )。昭和二十年代であろう。遠景をぼかした撮影者の腕もなかなかである。

 

 

▽結婚する直前か。撮影場所不明。昭和32~33年頃だろうか。後ろの花が豪華なのが気になる。

右の写真で右手に付けている腕時計が、手の甲の側になっているのが、当時としてはちょっと不思議。

  

 

▽これも年代(おそらく昭和30年代前半)と場所が不明。どなたかのお家へお邪魔して縁側に腰かけて談笑しているが、相手のご婦人が一体誰なのか全く分からない。実はお会いしたことがあるような気もするのだが、、、。

 

▽これは結婚した直後の写真で、最初に住んだ、平和町にあったの家の中であろう。昭和36年春頃だろうか。一枚目の写真の奥に写る水屋(茶箪笥)は、かなり良い品なのだろう、60年後の今の家にもちゃんと置いてあったのを、私《Spinflop》 が粗大ごみに出してしまった。

下段のお墓は全く不明。どなたの、そして、どちらのお寺のものだろう。

 

▽最後に位牌らしいものの写真を貼って置く。古い銀塩写真なのに、かなり高分解能、高品質である。おそらく中判フィルムで撮影されたのであろう。あるいは長兄が持っていたライカだろうか。

位牌に書かれた時代は、享保(1716~1736)、明和(1764~1772)、天明(1781~1789)、文化(1804~1818)文政(1818〜31)、と、日本史の教科書に出て来る元号の位牌の中に、かつて聞き覚えがある、曾祖父母・高祖父母の名前が混じっている。

曾祖父の頃(明治7~昭和32)になると、ただの板ではなく、台に取り付けられるような、現代の位牌の体をなしている。また、戸籍上の名前とは多少異なるものもあり、通常の呼び名の方を位牌に書いていたことがわかる。

 

その他に、母方の祖父の葬式の写真(昭和37年頃)も出て来て、それには母親の妹(当時、高校生)と姪が振袖で参列していて、大変興味深い(そういう、ユルい実家だった)のであるが、妹は存命なのでここには貼らないことにする。

 

いずれにしても、彼らのおかげで、私《Spinflop》は、平日からのほほんと、こんなブログを書いていられるのである。南無阿弥陀仏。