熱心にパソコン友の会やフォトクラブの活動を行っていた父であるが、寄る年波にはどうしても逆らえない。2009年に、父が送って来たメールを紹介する。
前半は、振り込み詐欺の電話がついに来た、と言う内容で、当時はまだ、「犯人の番号を控え、交番に情報提供するも、取り合って貰えず憤慨する元気があった」、と言うオチである。2009年には、父は76才で、まだ詐欺に引っかかる心配はなかったようである。
しかしこの2009年のメールの後半ではすでに、父のボケ(あるいは認知症)が始まっていたことを如実に表している。ボールド表示してある「理事会」の部分である。これは、おそらく「ゆうメディア西」の理事会のことである。
これ以降、だんだんと、状況や大勢の把握が出来なくなったのであろう。とうとう、活動から完全に手を引いている。実際に理事を退任したのが、いつなのかは分からない。
当時、お盆に帰省した際、父から、「顔だけでも出してくれよ、と言ってくれる人も居るンだけど、もう行きたくないね。私が死ぬか入院したりしたら、LANの契約を必ず切ってくれ。無駄に料金を払い続けることの無いように」と、何回か頼まれた記憶がある。ただ、実際は、亡くなる数年前、無事に自分で契約を止めたようである。
さらに、自分への最後のメールをよこしたのが2014年6月だ。父がパソコンをきちんと操作出来たのはその頃が限界だったということだ。これ以降の連絡は全て電話になった。その頃には、かかって来た詐欺電話を完全に信じてしまい、私が何かトラブルを引き起こしたのではないかと、本気で心配し、何回か、震える声で自分に電話をよこしている。
Re: 振り込め詐欺? 2009/02/19 17:21
To 《Spinflop》
メール有難う。後日談があります。
今月上旬、近くの交番のおまわりさんが『振り込み詐欺に注意』のチラシをもって町内の高齢者を訪問してました。勿論自宅へも来ました。
『振り込み詐欺』の電話は、その数日後にかかって来ました。不明瞭のかすれ声で《Spinflop》 を名乗って、携帯を下水に落としてしまったので新しい番号を連絡するから書き留めてほしいとの事。言われるままに書きとめて『声がおかしいがどうしたの?』
風邪を引き云々・・・・・『インフルエンザが流行しているから、早く医者へ行きなさい。今日は日曜日だから月曜日に行くよう・・・・・・・』話の途中で一方的に話をして怖くなったので電話を切りました。
早速、お母さん(義母)に電話の内容を説明し二人で大笑い・・・・・・・交番からのチラシを思いだし、一応交番に連絡をして置いた方がよいのでは?交番に電話したら若いお巡りさんが出て『本当ですか?一応住所、氏名、電話番号を教えてください』犯人からの携帯番号も教えたら突然年配のお巡りさんが電話に出て『絶対に振り込まないでください・・・・・・・・』以上でがっかりでした。
当方は少しでも、犯人逮捕に役立てばと電話したのに『本当ですか?』はないよね二人でぷんぷん・・・・・
その翌日、犯人から再度電話がかかってきました。
『《Spinflop》君にお金を用立てたのですが、当方も手元不如意のため一部だけでも返済してもらいたいので《Spinflop》の携帯番号を教えて下さい』・・・・・・・・
何遍も読んだことのあるシナリオ通りの科白・・・・・・・・『居ません・居ません』、『何時に帰ってきますか・私も(犯人)困っているのです・・・・・』
私は『貴方に携帯番号も居場所も教える事は出来ません』と、大きな声で二回断り相手の返事を聞かないで電話切ってしまった。
その後一週間近く経過したが諦めたようです。何時も『私カタカナの会社名を名乗り《Spinflop》君居ますか?』 とかかって来る電話と同類項のような気がするが?
>> それにお父さんたちもどんどんボケて(失礼)行くことで しょうし・・・・・・・・・・・
二人とも年相当に、いや年齢以上にボケが進行しているみたいです。
洗面所の扉や箪笥の引き出しが開けっ放し、曜日は間違えるし、副代表理事に送るメールを関係ない理事に送ったり、先日も理事会での決定事項を臨時総会で代表理事の私が突然反対演説を始めて顰蹙を買ってしまいました。
お母さん(義母)は私より増しですが、しょっちゅう茶碗や湯飲みを落としてます。家事は一切自分で仕切らないと気が済まない性分で困り果てています。私も手伝うからでは、面白くないようです。何をしたよいのか教えてくれと言うのだが、やるんなら一人でして下さいと、言われて返事の仕様もなくただ眺めているのみです。
長文多謝
g31004@nifty.com
ご関係の皆様に心より御礼申し上げます。
▽額に入れて取ってあった写真。皆で一体、どこへ行ったのだろうか。(但し、ゆうメディア西ではなく、フォトクラブ「いちえ」での可能性もある)
(後記)上記写真のファイルを発掘した。更新日は2004年5月7日11時51分となっている。撮影カメラはDMC-FZ10(パナソニック)なので、父が写したものではない。どなたか同行の方が撮って下さったのであろう。
▽インターネットで検索すると、こんな講演会でパネラーとして話している。2003年であるから、ちょうど70歳になった頃だ(下の画像の二行目の2005年は、おそらく当該サイトのupdate日時であり、セミナーの開催はその下にあるように2003年)。
大学の先生に交じって何を話したのだろう。
▽2018年12月24日(通夜)、25日(告別式)のときの香奠帳(香典帳)の一部。何人かは町内の人も混じっている。右枠内は親戚の一部。
注)亡くなったのは24日の明け方、トイレで吐血しそのまま気を失ったらしい。苦しまずに済んだのがありがたい。
最後に会ったのは、この年のお盆である。父の会話が大分ボケて来て、突然、大昔の話をし出したりしたので、これは認知症かもと、思い出したが、本人はニコニコして「俺もぼけたなあ」と言っているのが救いであった。自分も「年寄りがぼけて何が悪いね。多いばりでぼけてなさいよ」と言った記憶がある。
それでも心配で、中学の同級生が、新潟在住の認知症の専門医師(市原先生、新成医会)だったので、相談してみようか、と考えているうちに最期の幕切れが先に来た。
▽前回はここ