▽〔10/5日、07:29〕今日も全く富士山は見えず。あまりにけぶっている(遠景を望遠で撮る意味がない)のと、ベランダのシソとミニバラの写真も撮りたいのでR9で撮影。

▽ミニバラはいくつもつぼみが付き出した、本当に良かった。
シソの実は昨日・今日の土日で大分収穫。しかしまだまだ花も実もある。

「花も実もある」ってどこかで聞いたフレーズと思ったら、元ネタは何と源氏物語らしい。
▽一昨年の夏くらいに、シソの葉の裏が白っぽくなったので、対策としてミニバラの方へも重曹水を散布したのだが、それが運の尽きだったか、しばらく年に一つ咲くだけだった、、でも回復したようでほっとした。
▽日曜に収穫した分の紫蘇の実。塩漬けにしておいた。美味い。

▽もう一枚、ご飯のお供に素晴らしい。

▽〔10/4土、14:06〕「夏目伸六さんは(内田百閒の家へ)チェロを持って行き、畳にぶすりとエンドピンを突き刺してギコギコ演奏した」、、というくだりが、百閒のどれかの随筆に書いてあった記憶があるが、忘れてしまった。

▽ちなみに故人も内田百閒が好きであった。自分が買った「百鬼園戦後日記 上・下巻」を貸したことがある。文庫本でなく、小澤書店の箱入り装丁版であった。

百鬼園のクライマックスは「百鬼園 戰前・戰中日記 」にあると思う。
ユルい話ばかりの戦後日記や阿房列車からは全く想像できない内容だ。
そして現代人の目から見ると「これはちょっとどうかな」と言うか、はっきり言って相当ヒドイ所業が散見される。
また、そのスタンスは故人と酷似しているような気が。まあ、仕事上で十二分に世話になった人と、逆に関係性が薄い人々にとっては面白い人だったのだろう。
参加者は年配の方々というか、大御所が多かった。自分より年下の人は数えるほどしか来ていなかったと思う。世代による考え方の違いなのか、それとも故人とのコンタクトの濃淡の違いなのか。
自分に近しい人というか同世代と上司?たちは、KUMさん以外は大勢来ていて、大変に良かった。良い時代(人間関係が濃かった時代)を生きられたことに本当に感謝。
▽本郷通りを歩いて会場へ。会場付近まで行っても右も左も分からない。先週もAIの仕事で来たと言うのに全く道順を覚えていない。で、以下、心霊写真みたいな、、、、。

▽前回、本郷へ行ったのは先週の平日、今日は土曜日。
▽一瞬、ホントにびっくりした。

▽たまに動くので、中で何かしていらっしゃるらしい

▽白黒にするとさらに心霊写真っぽい

▽立食の料理もわりとよさげだったのだが、昼食におにぎりを食べてから参じたので、会場では全く食べずに、ビールとワインをいただいていた。

結局、奥様の話が一番面白かった。
1960年代、作業中に小指を切ってしまい隣の大学病院に駆け込んで「チェロを弾きたいから指を残してくれ」と頼みこみ、宿直の医師が応援を頼んで、深夜に「手のひらの肉を切り取って小指に付け、小指は手のひらに装着」と言う大手術を敢行。しばらくした後で再度、移植手術を行い、その際は、脛の肉を取って手のひらの穴に付けたとのこと。そしてその後、無事にチェロの演奏は続けられたらしい。
話を聞くだけで身震いするほど恐ろしい話だが実際はもっと恐ろしかったのだと思う。
自分がした話。イベット氏(クロードの兄、本人には自分は一度も会ったこともない)が、1960年代にしていたと言う故人の噂「日本からすごいやつが来た」を、50年後の仙台で弟のクロードから聞いた話をした。
これはクロード氏を知っている人の前でないと全くウケない。ヒゲのT-T氏は来ていたので感想を聞けば良かった。ヒゲT-Tの弟子Hさんには大ウケしたのだが、それは彼がクロードと非常に近しかったからだろう。クロードさんも数年前(2018年6月27日、享年71)に逝去された。合掌。