#初めて泳げたのは〇歳 | はい、がんなんですけど

はい、がんなんですけど

肺がん(肺大細胞神経内分泌腫瘍=LCNEC)ステージⅣと診断されたおっさんのゆるい毎日。

初めて泳げたのが何歳かだって?

知ってる人は、知っている。

俺が泳げるようになったのは、2022年1月。つまり、去年。

年齢で言えば57歳だ。

ついでに言うと、肺がんが分かってから。

 

小学校でも中学校でも、夏には水泳の授業があった。泳げない俺には、これがまあ、苦行みたいなもんだった。特に小学校では、10級から1級までのランキングとかあって、泳げない俺を含む数人のカナヅチキッズには、もはや精神修養の時間でしかなかった。

中学生の時なんて、2学期が始まってすぐに開催されたクラス対抗水泳大会では、なぜかリレーのアンカーに選ばれた。この時は完全に開き直って、50m(25mの往復)をひたすらザブザブ歩き、喝采を浴びたけど。

 

高校に入ってからは学校にプールがなくて水泳の授業もなかったので、中学卒業以来、水泳とは完全に無縁の生活になっていた。

 

それが、今の妻と結婚してから、どういうわけか、足繁くプールに通うようになった。

尤も最初のうちは、「水中歩行専用」と看板のあるレーンを、ひたすらザブザブ歩くだけだった。だって、泳げないし、泳ぐ気もなかったから。

それがある日突然、妻がすいすい泳ぐ姿を見て、こう思った。

あんな風にしたら泳げるのか。

で、見様見真似でやってみたら・・・

泳げてしまった!

気が付いたら、25m先の向こう岸に、手が着いていた。

 

誰より驚いたのは、俺自身だ。

ねえねえ、泳げちゃったんだけど。

と、隣のレーンの妻に報告したことを、今も覚えている(まあ、けっこう最近のことだしね)。

泳げるといっても、25m泳いでは休憩し、ぜえぜえ言いながら行ったり来たりしているだけで、連続して何百mも泳げるわけではない。それでも、トータルで1000m(20往復)泳げるようにはなったけど。

 

そんなある日、妻からこんなことを提案された。

ねえねえ、オープンウォータースイミング出てみない?

オープンウォータースイミングというのは、海で、ある程度の距離を泳ぐ大会のことだ。水中のマラソン大会みたいなものをイメージすると、分かりやすいかも。

本当なら1kmとか、長いのになると5kmとかで競うんだけど、ビギナーや上手じゃない人向けに、500m以下のレースもあるらしい。

その500mほどの大会を探して、出てみたらどうかという提案だ。

さすがに、即答はできなかった。何しろ、やっとこさ刻んで刻んで1000mの人なのに、いくら500mとは言え、大会で泳ぐとか、思い切り過ぎじゃね?

しかも海!

 

で、しばらく考えた結果、出ることにした。

今年6月、西日本某所で開催される大会にエントリーした。

肺がん患者なのに!

 

まあ、問題なく動けるからね今は。動けるうちに、あれこれ経験することを、楽しもうかな。

せっかく泳げるようになったし。



写真は、アメリカの日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」で20年連続「日本一の日本庭園」に選ばれた足立美術館のお庭。
足立美術館は、島根県安来市にある、横山大観のコレクションで有名な日本画美術館。
3月に妻の誕生日が来るので、ここの2年間パスポートをプレゼントした。
島根へお越しの折には、是非どうぞ。

 

 

 

初めて泳げたのは〇歳

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する

 

 

 

 

 

ランキング参加中

 

にほんブログ村 病気ブログ 肺がんへ
にほんブログ村