ついに、リトリート最終日になりました。
終了後、スタッフはもう一泊して明日帰りますが、明後日には今月の講座が始まるため、そちらの準備開始です。
今月の基礎講座は、『トランス・ヒマラヤ密教入門』第一巻第三章より、まずは「空間」からです。
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存在するものはすべてエネルギーと見なされる。
顕現とはエネルギーの海の顕現であり、このエネルギーのうち、あるものは形態を形作り、あるものはこれらの形態がその中で生き動き存在するための媒介になっている。・・・
宇宙全体が性質上、エーテル的であり、活力に満ちていること、そして時代の最も偉大な知性の理解を超えて広がっており、――この言葉が私たちのマインドにとって意味あるものならば――天文学的数字をもってしても余りあるほど大きなものであることを指摘するのは有益であろう。
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「空間に何らかの物質が充満しているという考えは古くからあった。
17世紀以後、力や光が空間を伝わるための媒質としてエーテルの存在が仮定された。その端緒の1つはデカルトに見られ、デカルトはぶどうの樽のぶどう酒のようにあらゆる物質の隙間を埋める「微細な物質」を想定して、それが光を伝達させるとした。」
(ウィキペディアよりの引用)
その説は、19世紀後半にマイケルソン・モーリーの実験によって否定され、それを基にアインシュタインの相対性理論はつくられたのですが、秘教は古来からのエーテル説を再び肯定するものになっています。
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この広さは、光年に換算しても、計算不可能である。
この宇宙エーテル領域は、無限なるエネルギーの場であり、
すべての占星学的計算の基礎になっている。
それはすべての歴史周期――宇宙的、太陽系的、惑星的な周期
――が演じられる場である。
それは、様々な星座、多くの太陽系、遥か遠くにある星々、
既知の膨大な数の宇宙、そして私たちの太陽系、多くの惑星、
私たちが生き動き存在する惑星、そして科学では「原子」という
意味のない用語が用いられている微小な生命形態などと関係している。
すべては空間の中に存在している――空間は性質上、エーテル的である。そして、空間は実体である――秘教科学ではこのように言われている。
人間の栄光は、人間が空間を意識し、この空間を神の生きた活動の場として想像できるという事実にある。
この活動の場は活動的な知的形態に満ちており、この形態は各々、この知られざる実体のエーテル体内に位置し、これらの形態を存在内に保持するだけではなく、お互いの位置関係を維持する力によって関係づけられている。
これら異なった様々な形態は各々、それ自体の特有の生命、独自の特質つまり不可欠な色彩、それ自体の特殊な独自の意識形態を持っている。
この――知ることのできないほど広大な――エーテル体は、それでもなお、性質に関して限定されており、能力に関して(相対的に言って)静的である。
それは、私たちは絶対的には何も知らないが、知られざる実体のエーテル形態である所定の形態を維持している。
この形態に、秘教科学は「空間」という名前を与えている。
それは、宇宙から原子に至るまであらゆる形態がその位置を
占める固定された領域である。
私たちはしばしば、宇宙が拡大しているというが、実際に拡大しているのは意識なのである。
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最後の数行の文章は、深くて謎が多いですね。
『テレパシーとエーテル体』という薄いけど密度が濃くて難解な本からの文章です。
前後のテキストを読んでみたいところですが、手元になく、
「空間」に関する文章はこれだけだったので、今日は引用紹介のみにて、失礼します。
明日は、「時間」です。