「神」とは何か?(3) ~ 『トランス・ヒマラヤ密教入門』より | 神尾学と学ぶ!スピリチュアルの王道

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まだ、ウエサクの強力なエネルギーが地球を包んでいると思われる中、(1)(2)に続き、「『神』とは何か?」の紹介をお届けしたいと思います。
でも、今日は、神と人間の魂との類似性の話から始まります。

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 人間が死んだときにも、これに似たことが起こる。 (*:神)
 そのとき、人間の三つの様相――マインドつまり意志、情緒つまり愛、そして物質的な現われ――は消え去る。
 そのとき、人格は存在しない。

しかし、不死性の事実を受け入れるならば、意識的存在は変わらずに存続することになる。
 彼の特質と目的と生命は彼の基盤である魂と一体になるのである。
 ただ三重の顕現へと分化していた外的な形態が消え去るだけである――そして、再び時間や空間内に正確に同じ形態や表現として戻ってくることはない。


 魂とマインドの相互作用が顕現宇宙を作り出し、その中にすべてのものを抱く。この相互作用が神の内に持続しているとき、私たちは人間が作り出した言葉を使って限定する(なぜなら、そうする以外にどうしたら私たちは明瞭に語ることができるであろうか)。

 現在における私たちの啓発――それとも、不啓発と言うべきであろうか――の段階はこのようなものである。
 このようにして、個人、パーソナリティー、形態というアイディアが確立される。
 
 相互作用が停止し、顕現が終わったとき、このような言葉はもはや不適切なものになり、意味を失う。
しかし、神であれ、人間であれ、その基盤になるものは存続する。

 
 このように、東洋の偉大なる教師である仏陀が私たちのために保持してきた人間の思想に、顕現の三重性、二重性、多様性から隔絶した超越する神の概念がある。
 形態を持たず、個人性に束縛されず、知られることのない生命しか存在しないのである。

 キリストが私たちのために保持し、具体的に述べた西洋の教えに、内在する神の概念が保持されている――私たちの内に、すべての形態の内にいる神、東洋の教えと西洋の教えを統合し、これら二つの偉大な思想学派を溶け合わせることで、至高なる全体についての何かを感じることができるのである。
 とは言っても、知るのではなく――感じるにすぎないが。

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人間の魂の輪廻転生に関しては、明日の健全スピリチュアル講座や、エソテリック・ヒーリング連続講座第4回「輪廻転生と死」でもご紹介するように、神智学~アリス・ベイリーには、かなり詳しい説明があります。

神~宇宙の顕現に関しては、ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』やアリス・ベイリーの『宇宙の火』で紹介されております。どちらも翻訳が完成しておらず(そういえば、待望の『宇宙の火』の翻訳、全4巻になる予定のようですが、そのうちの第1・2巻が、まもなく出るようです)、

当然のことながら、神~宇宙の顕現は行われる界層が魂による輪廻転生よりもさらに高い領域(上から2番目か3番目の界層まで)を含み、人間には体験不可能ですし、入手できる信頼性のある情報も極めて限られるため、とてもあいまいにしか理解できませんが、今回のような情報をもとに、魂の輪廻転生のモデルから逆に類推して、具体的にイメージに近づけることも可能ですね。


「魂とマインドの相互作用が顕現宇宙を作り出し、その中にすべてのものを抱く。この相互作用が神の内に持続しているとき、私たちは人間が作り出した言葉を使って限定する」という文章は、インド哲学や仏教唯識思想を思い起こさせますね。

「なぜなら、そうする以外にどうしたら私たちは明瞭に語ることができるであろうか」
「相互作用が停止し、顕現が終わったとき、このような言葉はもはや不適切なものになり、意味を失う。」
・・・そっか~、(正直、まだ私には不明確なところがたくさんありますが)十分に納得はさせられます。


「東洋の偉大なる教師である仏陀・・・超越する神の概念」
「キリスト・・・西洋の教えに、内在する神の概念」
これは、通常言われていることとは逆であることに注意してください。つまり、通常は
「東洋は内在する神」を、「西洋は超越する神」を語ってきたと言われていますが、よく考えてみると、「仏陀の教えに超越する神」が、「キリストの教えに内在する神」が含まれていて、どちらも神に関する両方の様相の観点をもっていたのだった、ということです。

それゆえ、「これら二つの偉大な思想学派を溶け合わせること」ことができる、ということですね。
「とは言っても、知るのではなく――感じるにすぎないが」・・・はい、「知る」ことは人間には不可能です。

「感じる」ことも、私にはできていませんが、論理としてはこんなことを言っているのではないか、と思います。
知りも感じもしないで「神」について書くのは、やはり、冷や汗ものです。このへんに関しては、伝統宗教をやられている方や、大学の宗教学の先生方の方が、はるかに詳しく、的確な説明をしてくださるのではないか、と思います。

そういった方々が、秘教研究に参入していただける日を、待望しています!