あの地震。
神戸の地震から二十数年経ったなんて。当時私は、広島(市内)にいた。阪神高速が倒壊しているのをテレビで朝みながら、『悪い冗談』だと思いながら出社した。『神戸に地震なんて』。出社すると状況は一変してた。電話は通じないけどとにかく神戸の社員の安否確認が最優先だった。午後になって少し落ち着いた時に思い当たった。親類が神戸に沢山居る。なんとか実家(兵庫県)に連絡がとれて親戚の無事は確認出来たが、唯一母方の祖母だけが安否不明だった。翌日だったかな?弟が六甲の山のなかに車を乗り捨てて、阪神魚崎まで歩いて避難所いくつも探し回って祖母をみつけて救いだした。阪神魚崎から阪急西宮北口まで祖母を背負って歩いたって。あんな状況のなかでだ。はじめて弟を凄いって思った。関西の人ならわかると思うけど、その移動距離は想像を絶する。命のかかった状況で、自分の危険を顧みない。救いたいと思う使命感だけで諦めないで困難に立ち向かった。今、私がこんな病気になってしまってそれでも命を諦められないのは、色んな人の思いにこたえたいから。福島や熊本 、今も不自由な思いをされてる方にお見舞い申し上げます。