リーダーはメッセージの管理を
郵貯限度額引き上げに対する、仙石大臣と亀井大臣の対立、高速道路料金に対する、小沢氏と前原大臣の対立、政治を扱う以上、対立はつきものだが、どうもこの対立の見え方がまずい。リーダーである鳩山首相の影があまりにも薄すぎる。閣議の席に、本当に鳩山首相はいるのだろうかとさへ勘繰りたくなる。メッセージ管理がなっていない。
米国大統領の側近には、政策作りのスタッフはもちろんのこと、スピーチライター、世論調査の専門家、イベント形成の下見隊など、イメージ形成の専門スタッフが数多く常駐している。人は事実ではなく、認識で物事を判断することを熟知しているのだ。
このイメージ形成をもっとも効果的に展開したのは、レーガン元米国大統領だろう。レーガン政権の好感度は、毎朝ホワイトハウスで行われていた「ライン・オブ・ザ・デー」(その日の筋書き会議)によって作られたという。
これは、その日のレーガン大統領の言動を、マスコミにどう報道させるかを協議するもので、会議にはジェームズ・ベーカー次席補佐官が出席し、エド・ミース大統領顧問、マイク・ディーバー次席補佐官が出席し、まず前日から朝にかけて報道されたレーガン政権のマスコミ報道の内容がチェックされる。い目0字通りの報道がなされているか、ネガティブな報道がないか。
そして、当日の大統領の行動と照らし合わせながら、「その日の筋書き」を協議する。この会議の決定はただちに各省庁の高官に通達され、意思統一が図られる。この徹底した「マスコミ管理」により、、ホワイトハウスだけでなく、ワシントンDCに点在する行政府から発せられるコメントも統制された。以来、この「ライン・オブ・ザ・デー」は、後継大統領に引き継がれているという。
このようなメッセージ管理については、テレビドラマ「ザ・ホワイトハウス」などでも紹介されているので、鳩山首相の側近も周知のはずだろうが、まったくそこから学んでいる気配がない。そればかりか、「愚かな首相」「勉強不足」発言など、リーダー自身が絶対に言ってはならないNGワードを平気で口にするなど、迷走するばかりだ。
この「ライン・オブ・ザ・デー」を実行する前提条件としては、少なくとも閣僚の間に「自己犠牲」の精神がなければならない。首相が「右」と言っていることを「俺は本当は左がいいんだが、首相が右と言っているだけ」などと口にしようものなら、閣内不一致のレッテルを貼られてしまう。その意味で、首相が大臣を指名するときには、この「ライン・オブ・ザ・デー」を前提としながら、「あなたは自己犠牲ができますか」と踏み絵を踏ませるプロセスが必要になるだろう。そして、それは一般の組織でも同じことだと考える。
話は、大から小へ
あなたがよく知る全盲の人に、スーパーからその方の家までの道を説明しています。この話し方のどこに問題があるか考えてみてください。
「まず、スーパーから出ると、左に曲がります。10秒くらいすると交差点があるので、そこを右に曲がります。まっすぐ歩いて、三つ目の交差点を左に。次に・・・」
この説明のどこに問題があるのか。それはディテールから入っている点だ。視覚障害者などの資格情報を読み取り、音声で伝える「音訳者」は、このような場合、まず大きな概念から説明し、小さな概念の説明に移ってゆくのだという。たとえば、次の通り。
「スーパーから家までの所要時間はおよそ10分。その間に、曲がるところは4か所です。まず、、スーパーを出ると・・・」
目を閉じて両方の言い方をイメージしてみる。たしかに、後者のほうがわかりやすい。全体のフレームを押さえておけば、途中のディテールで矛盾があるとその時点で確認することができるのだ。この理論でいけば、なにかを説くときは、最初の全体像を明確にし、細かい内容に入ってゆくのがいい。
その逆をやるタイプがいる。それは、理系の人間に多い。証拠を積み上げ、一つの解を導き出す「演繹思考」になっているからだ。学生の就活支援をしていると、理系の学生は何度か練習しても、想定問答にない質問を投げかけると、いつのまにかディテールから説明に入ってしまう。
時間があって、相手もそのテーマに関心のある人が対象であれば問題ないが、いろんな人がいる組織を動かすリーダーは、やはり大きな概念から入り、小さな概念に移り、最後に大きな概念で確認して締めるというスタイルをとらなければならない。
「自分ごと」として感じさせる
長い冬が明けた、春うららかなある日。一人の盲目の人が路上で看板を立てたホームレスがいた。その看板には、「私は盲目」と書かれていた。しかし、通行人は見て見ぬふり。待てど暮らせど、足元に置かれたお金入れの缶にはお金が落ちない。
そこにたまたま心やさしき広告マンが現れた。彼はホームレスに近づきこう言った。
「わたしにその筆と看板を貸してごらん」
彼はその看板を取り上げ、たったひとここう付け加えた。
「春なのに、私は盲目」
すると、たちまちその缶はお金でいっぱいになったと言う。
これは、米国広告業界に流布されている有名な話である。「説得とは、かくあるべき」という例を端的に、そしてシャープに表現しているものと言えよう。
では、この広告マンが加えた「春なのに」という言葉にどんな意味があったのか。皆様ご想像の通り、通行人と盲者をつなぐブリッジの言葉であったのだ。冬から春にかけ、心が開放的になっていることを感じる健常者に対し、季節に変わりなく、盲目であることを訴えた。このブリッジを加えることで、赤の他人の通行者に対し、盲者の環境を「自分ごと」としてとらさせることに成功したのだ。
組織には、業務を「自分ごと」としてとらえて神輿を担ぐ2割の社員がいて、神輿を担いだり担がなかったりする社員が6割いて、業務を「他人ごと」としてとらえて神輿にぶら下がる2割の社員がいる。いわゆる、2:6:2の原則だ。
リーダーは、メッセージを発するとき、リーダーがどうしたいという思いだけではなく、その方針に従うことによって、組織員たちがどのようなメリットを享受できるのか、毎回毎回伝えてゆかなければならない。なぜなら、神輿を担がない8割の人間は、労働を苦に思っているからだ。
このブリッジワードは、時間、場所、人、こと、もの、いろんなもので作ることができる。心に残るスピーチには必ずこのブリッジワードがあるから、ぜひメモしながら、その感覚を磨いてほしい。
『ニュースな広告』(佐々木宏/同文舘)
