ヨガ
って体操のイメージがありますが
どうやらそうではないらしい。
古代インドの哲学者パタンジャリはこう定義しています。
「ヨガとは、意識の中に生ずる動揺を静止すること」
彼によるとヨガは8つの段階から成り立つようです。
①ヤマ
②ニヤマ
③アサナ
④プラーナーヤーマ
⑤プラティヤハーラ
⑥ダラナ
⑦ディアーナ
⑧サマディ
①と②は心の制御
必要以上の欲望を抱かない、
人も自分も偽らない、
満足を知る(足るを知る・感謝の心)、
自分の探求に励む(無知の知・謙虚さ・向上心)
↑どう?できてます?
③が私がヨガだと思っていたもの。
身体全体がくつろいでしかも安定を失わない正しい姿勢を保つこと
正しい姿勢は「美しい」のですよ。
私たち人間は左右対称性や色の多彩さや光の透過性や輝き、バランスやセンスや
愛の溢れる光景や鍛え上げられたものや鮮やかな数式なんかも美しいと思うけれど
向かうべきものごと、本質を示すものごと、共鳴・同調すべきものごとを
「美しい」と感じるようにプログラムされているのだろうと思います。
④は生命エネルギーの統御
自分の身体を把握しエネルギー体であることを理解することかな?
筋肉の動きや呼吸を意識するマインドフルネスや
鬼滅の刃の「透明な世界」が思い浮かびます。(またキメツかよ!)
筋肉の動き、血液の流れ、酸素の供給、体温の上昇などを自分で把握しコントロールできる境地です。
これを肉体が透明に透けて見えると表現してありました。
血液もリンパも氣も心も
エネルギーを絶えず循環させておくこと、
滞りをなくす・つくらないことが結局健康ってことなんだなと
これは医療従事者としての観点からも思います。
よくある表現ですが「止まった水は腐る」ように
静止した時点で生命は生命でなくなる、死とはそういうことですが
循環を自分の意識で把握しコントロールすることが
マンガやアニメの世界ではなく可能だ!と直感でしっかりはっきり思います。
⑤は外界に向かって働く感覚を拡大すること
人間に何層かあるとされるエネルギーフィールドを感じることでしょうね。
フィールドに意識を向けると視覚の及ばない範囲の出来事や様子や俯瞰の視点や人の心理も把握できちゃうのですが
キリストはこの範囲がむっちゃ広かったそうです。
私たちにも可能なことなんですよ。
虫の知らせ、と言われるやつはこれの一種かもしれません。
⑥は精神の集中
目的に意識を固定すること
ヒプノセラピーでやる未来巡行はこれだと思います。
(目的を実現している映像と感情を先に味わうことで、そこへ向かい現実化させる)
『予祝』と同じことです。
もともと人間に備わっている創造の力だと思ってます。
⑦は瞑想
瞑想の定義が分かってませんでしたが
どうやら私がビジョンを見ている状態も瞑想と言うっぽいぞ!
ということが「瞑想会」に参加して分かりました(ハイレベルで面白くて有意義だった!)。
①~⑦のすべてが広義の「瞑想」で広義の「ヨガ」で
名称などどうでもよくて
『感情が動いている間は人間は霊としての自己の本質を見極めることはできない』
ならば目的は
”自己の本質を見極めること”
⑧は超意識状態
ワンネス体験とか世界と一体化するとか一元化とか
すべては自分であり自分はすべてであるということが
実感を持って腑に落ちること、
ここに達するのが、感情の波を静止させ自分の本質を見つめる目的なんですよ。
でもまだ終わりじゃない。
世界と自分が一体だと実感したうえで
じゃあ自分という意識を持って
地球でどう生きるか。
それはね、眠らぬ獅子になること。
説明は次回に持ち越します。
ご本人に感じるビジョンを描き、メッセージと解説をお付けします。