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ミナミのブログ

のんびり、、まったり

at 2003 09/03 14:25 横濱俳句倶楽部より

俳句用語(9)推量

 

想像、予測、また原因や事情などを推量するときの語法。希望に意も含む。

★む
・・・だろう。・・・なのであろう。

★べし
・・・するのが相応しい。・・・するに違いない。論理的推量で『無』より強く感じる。『べく、べき、べけれの変化がある』

★げな
・・・ようだ。・・・そうな。口語調。

★らん(らむ)
現在推量で『む』より的確さがある。婉曲にも用いる。

★らし
現在の想像。『らん』より推測は的確。

★なむ
的確な推量『なん』は変化。

★まくす
・・・しようとする。・・・だろう。

★めり
・・・ようすである程度軽いもの

★けむ
過去を想像して推量

★んとす。
・・・しようとしている。『む』よりやや強い。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆タイゆるめ破子(わりご)も空の葡萄棚

 

蜘蛛の絲(し)や黒揚羽蝶蠢(うごめ)けり

 

☆布巾敷き 笊に塩まつ 新子かな

 

☆カサブランカ 精霊馬(しょうりょううま)の 横にゆれ

 

☆提灯の めぐる櫓に 骸蝉

 

☆凶作の 報つぐラジオ 捨て団扇

 

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俳句教室のブログらしい内容を上げてみた
 ☆は自作の俳句なので

お持ち帰りはお断りします

 

今日は天気予報の通りに、強かな雨で

しかし、かなりスピードの速い雨脚で

 

夕刻になるとその雨が行き過ぎて

家の中に爽やかな風が飛び込んできた

 

家の中より外の方が涼しいようだ

 

しかし、何故か、今年は蝉の声が聞こえない

 

秋に相応しい蜩どころか、油蝉も鳴かない

 

明日雑木林まで行ってこようかと思う

 

などと、蝉の声というのを検索していると

何故か蝉の幼虫を大量に捕獲する外国人の

情報を見つけた

 

夫が子どもの頃は、食料が豊かでなく

天牛(かみきりむし)の幼虫を獲って

焼いて食べた

という話を聞いたことがあるが

その国の人は蝉の幼虫を食べなければ

ならないほど、生活がひっ迫しているのだろうか、と、心配になった

 

ベトナム戦争の頃

一艘の船に百人以上の人が乗り

国外に逃げ出し

人の重みで

船が沈み多くの子ども達が犠牲になるという

痛ましいニュースが有って、

難民という言葉を初めて知ったが

蝉の幼虫を捕獲しているのは

そういう人たちでは無いようだ

 

もしかすると、公園で鳴く蝉の声が煩い

という理由なのだろうか

 

そんなバカげたと思いながら

外の風とは違う、冷ややかな風が

背筋を過ぎて行った

 

涼しくなったら、蜩は鳴くのだろうか


 

2002/09/04 (Wed)Yahooブログから  

 

 

今日は9月4日で、櫛の日、なのだそうだ。

 

櫛屋さんではなく、美容関係者の方が、昭和53年に制定したのだとか。

 

櫛といえば、関西の方から、めぱちこには

畳で、櫛の歯を擦ったのを当てれば治る

と言われたことがある。

 

めぱちこ、とは、多分、ものもらいのことだと思う。

 

そして、櫛とは、当然、柘植の櫛、だ。

 

目の病院関係のサイトに、

 

『ものもらいは病名ではありません。

 

瞼がはれて痛い状態をさす素人用語です。

        

 

病名を説明しても

ものもらいではないのかと不満そうにする人がいます。』

 

という文章があった。

 

素人用語。

 

そういえば、子供の頃、そんな、治療法がたくさんあった。

 

例えば、怪我には袂クソを付けると良い、という、おばあさんがご近所にいた。

 

袂クソ、とは、袂にたまる、綿屑のことだ。

 

疣(いぼ)は、初雷のとき、その患部を箒で掃くといい、というものもあった。

 

それが実際に効いたのか、効くのか、試したことも無いから、

定かでもないが、でも、なんとなく、

何処かでしっかり覚えているのだから、不思議だ。

 

きっと、その頃のお年寄りに

念じるように言い含められていたのだろう。

 

あの頃のおばあさんはいつも着物を着ている人が多かった。

 

夏はアッパッパ~、という

簡単服を着ていたが、秋口になると、やはり着物、だった。

 

今は、日常で着物を着る方もあまり見かけなくなった。

 

髪をお饅頭に結って

無造作に柘植の櫛を挿すおばあさんも見かけなくなった。

 

今の時代、髪に飾る櫛といえば、お正月や成人式に飾る

鼈甲や、色とりどりのプラスティックの櫛、位だろうか。

 

今のおばさんは、近所の子に何を伝えられるんだろうか。

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1960年代 高校生の頃に、通学路の元町商店街の

浜銀の先に

銀座三愛の元町店が出来て

そこにPLASTIC製の

赤やピンクの櫛

ジャンボコームというものが売られていて

この近辺に有る女子高生の間で流行った

 

当時、元町発祥のハマトラファッションがあったが、これは元々、自由が丘辺りのマダムが車で

元町に来るのに運転し安い服装が始まりと聞いたことがある

 

ミハマのローファー、フクゾーの巻きスカート

そしてスミノの華やかな紙袋

 

以前ブログにも書いたが、近隣の女子大生がパトロンと

本牧のヨットハーバーからヨットに乗るのにその服装を真似て

持っていたのはヴィトンのバッグ

地方から横浜の短大に行き、華やかな学生生活を送り、

メディアの業界に就職していく

 

そのスタイルを真似た少女達は某店のバッグでは無く、

ユニオンの紙袋

 

某店のバッグを持ち出したのは、横浜市内のマダム

 

山手界隈に通う女子高生はフクゾーのマフラーと、

少しだけ薄くしたカバンの中に隠し持つジャンボコームとライムコロンの瓶

 

それが修学旅行で京都に行ってから、柘植の櫛に匂袋となって

 

結局日本人は日本人らしいものが好きなのだと認識して

今でもたまに可愛い柘植の櫛や匂袋を買ってみたりするのは

今も心のどこかに女の子の時代が有るのかもしれない

 

そう言えば可愛い子狐も

草の実潰してお化粧したり

紅葉のかんざしに柘植の櫛を挿したりしている

 

■ 2002/09/03 (Tue)横濱俳句倶楽部ほのぼのとから

  

曼珠沙華ひとむら燃えて秋陽強し

という句がある。

作者は釈超空。

 

本名を折口信夫(おりぐちしのぶ)という。

 

民俗学者であり、国文学者であり、神道学者である。

 

そして、歌人としての釈超空。

 

正確には季重なりだが、秋の日差しの射すような強さの今日などにふと思い出す句である。

 

その超空は昭和28年の今日、亡くなった。

 

だから今日は超空忌。

彼の名もまた、俳句の秋の季語である。

 

曼珠沙華とは、サンスクリット語で赤い、という意味なのだそうだ。

 

そして、この、曼珠沙華、所謂彼岸花には

1090もの別名があるそうだ。

 

北原白秋の歌に

赤い花なら 曼珠沙華 

オランダ屋敷に 雨が降る…というのがある。

 

江戸幕府の時代に

外国人と一緒になったことで国外追放された

ジャガタラ(ジャカルタ)お春という人がふるさとを偲んでいる様子を詠っているのだそうだ。

 

雑木林の中から、秋の陽の当る野の脇にふっと出て、そこに思わぬ赤さの彼岸花が列を成して咲いているのを見ると、えもいわれぬ、異様なものを感じる。

 

彼岸とは

村を社会の単位としていた頃の

地の外れのことでもあるそうだ。

 

村人にとって

彼岸の先は未知の世界であったのだろうか。

 

柳田国男が神は祖先であるという、祖先神を唱えているのに対して

折口信夫は、まれびと、異界からの来訪神を唱えている。

 

異界、川の向こうがそうであれば、隣村の住人も異界の人になったのだろうか

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最近は品種改良されていろいろな色の

彼岸花が花壇の花用に売られているそうで、他所の家の花壇に咲いているのを

見たりするが

 

私が子どもの頃、次姉が港の丘で咲いている

彼岸花を持ち帰って

家の花瓶に生けていたら

お隣のおばさんから強かに叱られていたことが有った

 

今の時代

隣の中学生を本気で叱るおばさんなどいないと思うが

花壇に咲く彼岸花を見ると

なんとも言えない違和感を感じてしまう

 

たぶん根底に

彼岸花は村の彼岸に植えるという過去からのDNAが存在しているのだと思う

 

次姉と彼岸花と言えば、その後

港の見える丘が公園になった頃

イギリス庭園と呼ばれる辺りに

 

百年に一度咲くということで話題になった

ブルーラインの上永谷駅の近くに植えられた

リュウゼツランが植えられていて

 

何を思ったか次姉はそれを植えている人から分けて貰ったと、持ち帰って

狭い庭にいけていたことが有った

 

それを見た時も、お隣のおばさんから

これは生来大きくなってとても危険だから

と、強制的に返却に行かされていた

 

その後、埼玉県の高麗市に

巾着田を見に行き、その、林の中に

赤々と咲くその様は、美しいというより

妖しいというふうで

 

だからか、私の中の彼岸花の印象は

触ってはいけない花であった

 

しかし

夫が病んで転居した頃、その地元の

隣町に、彼岸花が美しく咲くお寺があると

知り、娘と出かけて来たのだが

幾つものお地蔵さんの周りに咲く彼岸花は

とても長閑な気持ちにさせられて

 

初めて

彼岸花は美しいというという認識をした

 

花の美しさは、人それぞれの感性で決まる物

 

そうなると

港の見える丘から彼岸花を持ち帰った

次姉がお隣のおばさんに叱られたのは

理不尽極まりないことであり

今の、個性の時代には全くソグワナい話

なのだろう

 

それでも

彼岸花の別名に付いて

2002年にブログを書いた頃

どこかの高校生が全国調査した結果を

載せたことが有ったあが、どの名前も

やはり死を匂わせる名前であったので

やはり

家の中には相応しくない花なのだと思う

 

今日の誕生花に彼岸花というのを見つけたが

誕生花に夾竹桃や彼岸花や鳥兜を選ぶ人は

どんな気持ちで選んでいるのだろう

 

君の誕生化を贈る、と言って、鳥兜や

夾竹桃、彼岸花の花束を貰って

たぶん絶対喜ばないと思う