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ミナミのブログ

のんびり、、まったり

2012-09-26 14:18:02amebaブログから

 

安倍総裁の父上にお会いしたのは

大平総理の応援演説にみえられたときでした。

 

颯爽と階段を下りてこられたお父様が

 

幼い息子を連れた私が上がっていくのを知り、

 

後ろの方たちへ促して、前を開けてくださった。


 

大平総理は、その演説の時に体調に異変を兆し、そしてお亡くなりになられ、

 

その後、ある議員の方の奥様が

母の写した写真を取りに見えた事も有り、

 

私の思い出のアルバムの中に鮮明に残るシーンです。

 

多分、当時のお父様は今の総裁より若かったのだろうと思います。


 

前回、総理になった安倍晋三さんは、なんとなくひ弱に見えたけど、

 

今、テレビで見る総裁は、あの時のお父様のお顔に似て見えた。

 

何はともあれ、民主党の人も、自民党の人も、その他の党の人にも、

 

政治家になったことの初心を忘れず、

 

日本の今、そして将来のために

心血を注いで頑張って欲しいと思います。

 

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今日、石破総理が退陣するというニュースを見て、この総裁選のことを思い出した

 

安倍元総理の系図を

今更書き連ねる必要もないが

描き表せば母方は錚々たる

政治家の一族であり

 

戦後、進駐軍の支配下に有った日本で

所謂、溝の中に手を入れることをも厭わない

そんな人達だったと、伯父に教えられた

 

以前書いたが

戦後、上野の駅に集まっていた戦災孤児

そして

日本の敗戦で働く場所の無くなった女性が

兵隊との一夜で生まれた混血の赤ん坊を

闇に紛れて巷に棄てていく

 

本牧に住んでいた祖父母の家の玄関にも

アフリカ系アメリカ人の子どもと

一目でわかる赤ん坊は棄てられていて

 

祖母が憐れんで近くの銭湯に連れて行くと

当時女学生だった伯母と母があらぬ疑いを

をかけられて

近くの

今でいう愛児園に連れて行ったという話を

聞いたこともあった

 

それでも生を受けた子はまだ幸せで

生まれたと同時に命を絶たれた子ども達は

外国人墓地の反対側にある墓地の片隅に

ひっそりと埋められたのだとか

 

その子ども達を教会を通して

アメリカの家庭で引き取るという話が出た時

日本の既存の教会は戦時中

戦争に抗う、所謂反政府の隠れ家とされて

日本の政府と本国の信者の交渉を断って来て

 

結局当時の政府は、所謂新興宗教を通して

その子ども達をアメリカの家庭に送った

 

しかしその後

安倍元総理はその宗教法人を

排除して

 

拉致被害者を取り返す手立てとして

再び利用して

その結末は語る必要もなく

 

当時元総理との対抗勢力の一員であった人が

あの宗教について聞かれたから

無理だと言ったのに

ざまあみろ、と言った

その時その人の瞳が光っていたのを

今も鮮明に思い出す

 

だから止めろと言ったのに、と

 

総理とは、まるで刃の上を歩くような

ほんの半歩、それより小さくそれても

目測を誤れば奈落の底に落ちていく

そんな状況に耐えられる人の仕事だと

そんなふうに思った

 

せめて次期総理には

衣食足りて礼節を知り

人の言葉を聞くことの出来る人

であって欲しい

 

 

菅原道真は

支配者が優れていて、家臣が賢ければ

国は栄え

君主が懸命で

家臣が実直で有れば国は幸せ

という言葉を書き遺しているが

 

の時代にそれを望むのは

無理なのかもしれない

 

 

 

 

 

 

2010-09-07 00:04:07amebaブログから

 

ねえ 不幸だなんて

   溜息をつかないで

 

   陽射しやそよ風は

   えこひいきしない

 

 

   夢は平等にみられるのよ

 

   私 辛いことが

   あったけれど

   生きていてよかった

 

   あなたもくじけずに

 

これは、今年九十九歳になられた

柴田トヨという方が出版された

詩集の題名になった詩です。

 

産経新聞の

一般の方が投稿する

朝の詩集の欄に載せられた詩を

纏めたのだそうです。

 

残念ながら

まだ我が家の書棚にはありません。

 

今朝

テレビでこの詩集の存在を知りました。

 

明日

本屋さんに行って買って来るつもりです。

 

この方の夢は、百歳になって

第二集を出版することなのだそうです。

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九月というのに気温は30度を超えて

 

今の時代はネットで世界の情報を

オンタイムで得られるから

いろいろな国の異常気象の様子が

恰も自分自身の目の前でたった今

起きているような錯覚を受けたりする

 

私はこの光景をデジャブのように

思いだす

 

丁度このブログを書いていた2010年

 

長い日照りで

皇居の池の水が干上がり

三渓園の池の水が煮えて

蓮の根が枯れだすという、そんな状況だった

 

この年には多くの事件

それも学生や社会人という

一般の人が興す事件が報じられた

 

その異常さと、天候の異常さ

それを鑑みて

気象予報士は異常という言葉をテレビでは

遣わないようにしたと、そんな記憶がある

 

個人的な記憶だけで曖昧だが

今も異常気象という言葉は

テレビから聞こえてくるので

私自身の記憶違いなのかもしれないが

 

嘗てサブリミナル効果というものが流行り

それは映像によるもので

日本放送協会では1999年に

テレビでの使用を禁止している

 

これは視覚によるものだが

言葉で繰り返すことで、相手の脳に刻み込む

 

例えば

朝起きて、家族から顔色を指摘され

家を出て近所の人に指摘され

学校や会社に着いて

同僚や級友から指摘されると

だんだんと体の調子が悪くなってくる

 

ここ数日のワイドショーを見ていると

全国版だから仕方ないのかもしれないが

関東の横浜に住んでいる人間にも

九州や四国、北陸、果ては北海道の気象まで

 

毎時間、異常という言葉で警戒を促している

 

それを見ていて、異常という言葉だけが

多くの人の脳裏に残ったりしないか

心配になる

 

繰り返される言葉と言えば

お米不足と備蓄米

 

テレビでは個人の感想を聞いて

それが市中全般の意見のように伝えて

 

実際のところ、米不足に限れば

毎日の生活の中で

安価なお米を食べていた人たちが

お米の値段の高騰で買えなくなった

だから、安価な備蓄米を解放した

 

元々一等米を食べていた人には無用のお米

 

その一等米を食べていた人に

備蓄米を買う世帯日頃食べていた

安価なお米を食べさせれば

たぶん今年米でも不味いというと思う

 

因みに備蓄米が出来た年のお米の仕上がりは

40%が特A

 

令和六年の仕上がりは特Aが27%

 

我が家では備蓄米を買えず

昨年の新米の

割と安価なものを食べていたのだが

 

昨日、初めて備蓄米が手に入り

いつものように炊いたところ

 

六年度の安価な新米より数段美味しく

また、お米の粒も揃っていた

 

最近、テレビやラジオでは

出演者のモラルに付いて

コンプライアンスという言葉で

厳しく断罪しているが

 

繰り返して伝えることで

視聴者や市場に

どんな効果があるのかを考える人は

いないのだろうか

 

いろんな意味で

コンプライアンスをいうなら

嘗ての真夜中に放送されていた、

無秩序なバラエティよりも

 

昼間のワイドショーの方が

言葉の、破壊力という

暴力が増えているように思う

 

仕事に疲れて帰宅して

くだらない番組で高笑いして

ふっと我に帰り

明日も頑張ろう

 

そんな気にさせられたテレビの時代は

確実に終わり

 

日本列島津々浦々の人々の心配を聞き

その街の人々のことを思い憂う

 

テレビでのコメンテーターたちは

期せずしてか故意になのか

人に恐怖心を植え付けていることを

自覚しているのだろうか

 

ねえ 不幸だなんて

   溜息をつかないで

 

   陽射しやそよ風は

   えこひいきしない

 

 

   夢は平等にみられるのよ

 

   私 辛いことが

   あったけれど

   生きていてよかった

 

   あなたもくじけずに

 

テレビが放送されたその年に生まれ

テレビを見て育ち

テレビ向けの業界紙の出版社で働き

 

今、テレビは

視聴者に何を与えようとしているのか

分からない

 

 

 

 

 

 

 2003/04/17 (Thu)Yahooブログから 

 

 

環状二号線を抜けて、新横浜の方に向かうと、

右側に恐竜が見える。

 

全部で55頭いるのだそうだが、まだ実際には見たことがない。

 

今日(4月17日)は、1923年(大正12年)に、

アメリカの動物学者ロイ・チャップマン・アンドルーズが

ゴビ砂漠へ向けて北京を出発した日だそうだ。

 

そして、この日から五年間で

砂漠の中に、恐竜の卵25個を見つけ出し、

そのことによって、恐竜の研究は大いに進んだそうだ。

 

と、いうことで、今日(4月17日)は恐竜の日なのだそうだ。

 

大正12年とは、9月1日に、関東大震災のあった年。

 

宮沢賢治はこの年に27歳になり、童話原稿を

「婦人画報」と

月間絵本「コドモノクニ」に持っていったのだが

断られたとある。

 

そして、その翌年、注文の多い店という童話を

自費出版させたのだとか。

 

結局、彼が生涯で受け取った原稿料は、雪渡り、

という題で書かれた童話の代金、5円だけだったそうだ。

 

賢治は、童話を婦人画報に持ち込んだ10年後、

37歳で亡くなる。

 

しかし、その37年の生涯で書いた文字は膨大なものだ。

 

その上、彼の哲学は、今も、延々と、生きる人に影響を与えている。

 

地球の歴史で、恐竜が活動していたのは、どのくらいの年月だったのだろう。

 

そして、何故、突然絶えたのだろうか。

 

賢治の残した文章と、恐竜の残した卵。

 

どちらも、本当は教えてもらえないが、それでも、何か、を感じさせてくれる。

 

賢治は、春と修羅の冒頭にこのように書いている。

 

『私は、万象を変化させる永劫の根元的力によって明滅する有限な照明である。』

 

人間も、地球の自転の流れの中で生息している。

 

全て、自然の流れの中で生き、そして死に、時には絶え、時には生み出されていくのだろう。

 

そして、その瞬間は常に訪れている。

 

そう思うと、命のある時間を大切にして、人生を楽しみたいと思う。滅多に出来ない経験が出来そうな気がするから。

 

今日、大手百貨店の大丸は

現社長(63)が

会長兼最高経営責任者(CEO)に就任し、後任の

社長兼最高執行責任者(COO)として

同グループ本社百貨店事業本部

商品ネットワーク推進部長(52)を

抜てきする人事を発表した。

というニュースを読んだ。

 

今期、純損益は前期の191億円の赤字から、51億円の黒字となったそうだ。

 

見出しは、社長に部長を抜擢、とあった。

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息子が小学生の頃に

お母さんが子どもの頃は恐竜がいたのか

と聞かれたことが有った

 

一瞬、へ?と思ったが、実際の話を言えば

子どもにしてみれば自分がまれる前に親が生きた世界など、恐竜がいた世界と然程変わりはなさそうだ

 

今日、この恐竜のことを思い出したのは

割と新しい時代の情報に長けていたつもりの

自分には

全く理解できない話を聞いたから

 

誰かとの待ち合わせに

九時十分前というと

今の時代の人は九時十分より前

というふうにとるというのだ

 

九時十分前を八時五十分と取る人と

九時十分より前と取る人では

二十分のタイムラグが生じる訳で

 

今の時代の二十分は山手線でいうと

四本逃してしまうことになり

 

スタバ辺りで待つとなると

飲み物も飲み終えて、後ろで待つ人に

気まずい思いをしなければならない

 

そこまでの喩えでなくても

アポイントを取った仕事相手に二十分

待たせるというのは、途中で送れる理由を入れない限り相当拙いことになりそうだ

 

時には信用を無くし

仕事も失うかもしれない

 

しかしそれは私自身が彼らの思う

恐竜の時代を経験しているからであって

 

今の時代はたとえ遅れたとしても

lineでのやり取りも出来る訳で

そのlineでの資料のやり取りさえ

可能になりつつある

 

見たいテレビにしても、録画なり

ネットによるアプリで

いつでも見ることが出来る

 

そういう時代の子にとっての10分を

話したところで

あまり興味を惹くことも無いのかもしれない

 

そしてまた、時間に対する認識は

もう一歩進歩して

新しいフェーズに入っているのかもしれない

 

思えばバブルと言われた頃

約800万の人が一斉に成人した時代には

マンパワーというものが絶対で有ったけれど

今の時代の若者は

おそらく後30年もすれば

日本の総人口は一億三千万から

確実に減少して、一億を割り込む時が

来るかも知れない

 

もっとも恐竜時代の新聞の見出しとて

社長に部長を抜擢

などと、分かるような分からないような

ものであり

 

その恐竜時代より

もっと古い時代から有り続ける

1905年創刊の婦人画報さえ

かの宮沢賢治の才能を見出すことが

出来なかったのだから

人間の能力など元々

そんなものなのかもしれない