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ミナミのブログ

のんびり、、まったり

ウイスキーの基本的な定義は、

①穀類を原料にした蒸留酒を

②樽で熟成させたもの


原料に何をどれくらい使うか

どんな樽でどのくらい熟成させるかは国の法律などによって違ってきます。  


世界の主な産地は

スコットランド(スコッチ)

アイルランド(アイリッシュ)

日本(ジャパニーズ)、アメリカ(アメリカン)

カナダ(カナディアン)で


これらが世界の5大ウイスキーとよばれます。


原料や蒸留方、熟成のさせ方の違いによってそれぞれ特色を持っています。 


・スコッチ・・・モルト、グレーン、ブレンデッドの3種。モルトウイスキーは大麦麦芽だけを原料にしたもので、蒸留には単式蒸留機を使います。麦芽をピート炭(泥炭)で燻煙するためスモーキーフレーバーを持つのが特徴。


シングルモルトとは、一つの蒸留所の中だけで作られたモルトウイスキーのことです。

グレーンウイスキーは、トウモロコシやライ麦を原料に連続式蒸留機で蒸留したもの。


モルトに比べておとなしくくせがない。


これらをあわせたのがブレンデッドウイスキーで

世界で飲まれるスコッチの大部分がこのブレンデッドウイスキーです。  


・アイリッシュ・・・最も古い歴史を持つといわれています。

アイルランドで使われているゲール語のウシュクベーハ(Uisgebeatha・生命の水)がウイスキーの語源とされています。


ピートで燻煙しない大麦やトウモロコシなどを原料に、大型の単式蒸留機で蒸留します。


現在はブレンデッドが主流になっています。  

・アメリカン・・・主になじみのあるのはやはりバーボンでしょう。

1789年にエライジャ・クレイグ牧師がトウモロコシを原料に作ったのがはじまりとされています。

現在は、トウモロコシを51%以上使うこと、内側を焦がしたオーク樽で2年以上熟成させることなどが法律で定められています。このほか、ライ麦を51%以上使うライウイスキー、トウモロコシを80%以上使い内側を焦がしていない新樽(または再利用樽)で熟成させるコーンウイスキーなどがあります。  


・カナディアン・・・いわゆる

グレーンウイスキーを主体にするため

最も軽いウイスキー。

香りが強くくせがないのが特徴。そのままでも飲みやすいです。  


・ジャパニーズ・・・スコッチに習い、昭和初期から本格的に作られるようになりました。大麦やピートの香りを抑えたおとなしいものが主流です

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ウイスキーというと

アメリカに

暗黒と呼ばれる禁酒法の時代がある


世界恐慌、株の大暴落

仕事を失い

荒んだ人達は昼間から酒を飲み、路上に眠る


この様子を酒の責任とした宗教家達は、

当時薬の役目も果たした酒を全面的に禁じることは出来ず、夜酒を売ることを禁止する

運動をして、それぞれの州で法律を作る


ニューヨークもまた

その中に含まれ


その歴史にアメリカの音楽の始まりがある


1700年代にアフリカ系アメリカ人により産み出されたリズムから

産まれたジャズ

そこから波及したスイング


酒を出せない曖昧屋ではそれらの音楽により客をもてなす。


第二次世界大戦の中ではブルースが産まれ


1970年代には反戦の

フォークソングが産まれ

戦後の世界恐慌の1980年代の

ニューヨークのブロンクス地区で誕生したヒップホップと、それを歌に刻んだラップと


アメリカの音楽史は

抑圧された人々の世の中への抗いの歴史でもある、と


これは

いろんな本を読んだ

受け売りで有って


受け売りといえば

先日、Pocahontas

についてNumber_i 

というグループの話を書いたが


昔取った杵柄ではないが、調べてみたら

興味深い偶然に辿り着いた


メンバーの一人がメ

ンバーシップを締結しているブランドのチーフプロデューサーは

音楽プロデューサーとして全米でミリオンチャートを達成して

2000年代に流行り出した軽めのラップの歌手であり

2006年には

日本のサマーソニックに参加し

その時

神奈川県の藤沢市の

有志は

彼の歌のリズムで市の応援ソングを

作っているのだが


彼とのツーショットを2023年11月のInstagramに載せた

Number_i の平野君はコメントに

Goatの意味

Greatest Of All Time

と綴っている


そして藤沢のFUJI


もう一つ

藤沢は元のメンバーの

地元であり


書き並べてみると 

面白いなと思う、が


1990年代にクリントン大統領に依ってて作られた社会保障制度は

しかし、日本の社会保障制度とは異なり

また、雇用形態も

エージェント契約が大半であり、弁護士大国と揶揄される国ゆえ、

一つの失敗で、仕事はおろか、家までも失くしてしまう


そんな、将来の見えない恐怖を

彼らが味わっていたとしたら

彼らの歌の意味がまた違って見えて来る


ただ、これは単に

ウイスキーのグラス越しに見た

まちなかの風景のようなもので




ワイン(wine)のお話  


最も古い歴史を持つ

お酒であるワインは

紀元前5千年ころには

作られていました。


原料はもちろんぶどうで


その果汁を

発酵・熟成させて作ります。  


赤ワインは黒ぶどうが原料で、皮や種子ごと発酵させた後(渋味はここからきます)


果汁だけをもう一度発酵させたのち

樽で熟成させます。 


白ワインは主に緑色をした白ぶどうが原料で皮や種を最初から取り除いて発酵させ

主にタンクで熟成させます。


熟成期間は赤ワインよりも短いです。

また、ロゼワインは赤ワインと同じ手順で作り、好みの色になったところで皮や種子を取り除く方法や、白ぶどうと黒ぶどうをブレンドして作る方法などがあります。  


上記のように、ワインには熟成期間というものがあり、瓶づめされた後も熟成は続けられます。


ですから、時間が経つと酒石やタンニンがオリとなって出てくるため、ワインの瓶の底を上げ底にして、注ぐときにそれがグラスに流れてこないようにしているのです。  


また、専門店などに並んでいるワインが寝かされているのを見たことがあるかもしれませんが、その理由は、ワインを寝かせることによってコルク栓が湿り、ワインがうまく呼吸できるようにするためです。  


ちなみに、このコルク栓が考案されたのは

17世紀後半のことで、このコルク栓の登じょうにより、

ワインは長期の熟成ができるようになりました。 

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誠に残念なことに

今年はベリーAを食べるチャンスがなく

深秋を迎えてしまった


しかしその分世の中の紅葉は美しいようで


紅葉は一説に

72時間で山を掛け上るとか


山際に住めば、雨戸を開ける度に山の彩りが変化する様子が観られそうで

この時期だけ山際に

住みたいと思う


定住となると

落ち葉とか、お買い物とか、病院のこととか

年を取ると

介護のこととか


大阪の人が二都を構想し始めたのは、戦後まもなくのことで

その後1996年には首都圏直下型地震を懸念した首都機能を分散するという法案が通ったと思ったが、あれはどうなったのだろう


省庁が各都市に移転すれば

それを中心に町が栄え

子ども達も親元から

大学に行き

地元に就職して

結婚して

自然の豊かな環境で

暮らすことで

感情の豊かな子どもが育つ、と


確か東北六県に機能を移す試索をしていたような  

 

試しといえば、レストランでのワインティステングは、ワインの味の試しではなく

注がれたワインそのものに問題がないかを 

確認するものなのだそうで、通ぶって何杯も試飲すると

開けたボトルの数だけ請求されるそうで


通ぶった知人が

会計のときの値段に

驚いて血の気が引いたと話していたので


貧血には赤ワインが

いいと薦めて

呆れられた記憶がある





震災の一年前に夫の実家に行く途中、切り崩された山は

当時の政府が、企業の協力を得て

太陽光エネルギーを

得るための基地を設置するためだと聞いた


その時、ふと、父が良く話していた

治山治水を思い出した


むき出しになった山肌

 

その土が風雨で海に流れたら、海の生き物はどうなるのだろうか


とはいえ、震災後の

あの事故を思うと

原子力に頼るのも限界がありそうだ


そういえば子ども達が義務教育の頃 

人力エネルギーが話題になったことがあった


毎日の通勤客が駅を歩くことでうまれるエネルギーを電力に変える

公園にその装置を設置して、子ども達に出来るだけ騒いで走り回れと言ったら

子ども達も喜び

近隣の人も電力料金が

下がって、喜びそうな気がするのだが












話はワインに戻るが 

ワインを売りにする

レストランでは試飲が出来るのだが、例えそれがほんの一口でも

料金が発生するという話を聞いたことがある 


通ぶって薦められるままに試飲していると

会計をみて驚くことになるとか




くジン(Gin)のお話 


ジンはもともと、

17世紀半ばオランダで作られました。


オランダの

ライデン大学

医学部教授の

シルビウス博士は

熱病予防に

利尿効果のある

杜松の実

ジュニパー・ベリーを使った薬を考えました


それを

杜松の実をあらわす

フランス語

ジュニエイブルという名で

売り出すと大人気に。


薬としてより飲み物として

オランダを代表する

までになりました。 


後にそれがイギリスにわたり人気を博し

ジンという名で呼ばれるようになり

製造の本場もイギリスに変わりました。


また更に後

ジンはカクテルベースとしても活躍し、

その多くがアメリカで生まれていることから


”オランダで生まれ

イギリスで磨きをかけられ

アメリカによって栄光を与えられた”酒、とも言われています 


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オランダのライデン大学医学部教授のシルビウス博士は熱病予防に

利尿効果のある杜松の実、‥

ブランデーの

錬金術師であり医者の

流行り病の話は

たぶん

このシルビス博士の話が元になっているのだと思う


このジンが日本にやって来たのは、江戸時代の、出島政策の頃のようで、長崎のその出島の地からジンの入った瓶が見つかったそうだが、本来の、薬として用いられた、と書かれていた


見つけた人は中身を

試飲したのだろうか


そのジンが飲み物として日本に来たのは開国後、横浜の居留地に店を出した、今でいえば輸入雑貨の店


日本国産のジンというと、それほど歴史は古くなく


開国の、開港の頃、横浜の居留地で

アイリッシュということでイギリスの輸入品代理店により販売され


後にSANYOという名で壽屋、今のサントリーにより、缶詰などの雑貨品と共に薬用の飲み物として売り出されたとか


国産品なると、歴史はなお浅く

1936年にサントリーで

外国のレシヒを元に


完全な日本の手法による

クラフトジンになると2016年に京都の会社が初めて製造した

とあった


居留地時代のジンは

山下公園通りから先が海だった頃、英国領事館の跡地に建てられ

関東大震災により

崩壊したグランドホテルに、イギリスで産まれ育ち、サンフランシスコで学んだ人により、

ミリオン・ダラーというカクテルになり、そこで手法を覚えた人が銀座のライオンで提供することになり


グランドホテルは

ニューグランドホテルとして営業を始め

ホテルのバー

シーガーディアンでは

大仏次郎が鞍馬天狗を構想しながら


銀座のライオンでは

菊池寛が

酒ならばコクテール、コクテールならば ミリオンダラー・コクテール、雑誌ならばわが文藝春秋とCMに使い 


世の中に広しめて行き

Dale DeGroffという

世界のカクテルのレシピの一つになっている


そのグランドホテルの始まりがイギリス領事館の跡地であり

スタッフにイギリスの人がいたからかは、

分からないが、横浜のホテルの支配人の息子さんはイギリスの学校で帝王学を学ぶのが通例だったそうで

母の小学校の同級生もイギリスに留学して

その間に父親が亡くなり、経営に困った母親は、トンカツ屋とか広告代理店とかを手広く営む人と再婚し


母の幼馴染みが帰国すると、ホテルの脇にあるシェルルームというお店の経営権だけが残されていたとか


そのお店の前を通ると

その幼馴染みの方が手招きをして

タルトを一つ食べていくようにと

お店に招いてくれたりしたのだが


それから歳月が過ぎて

高二で英検二級を取ったとき、母を通じて


そのおじさんの奥さんが、何故か一級を一緒に目指しましょうと


週末になるとお宅に

お邪魔して

流石に現役は違うわね

なんて煽てられて


受験してみれば

私はA判定で

奥さんは合格


当時は成績優秀者を

表彰する式があり、

次回の参考に是非と

誘われて


あの時ほど

居心地の悪い思いを

したことは

いまだに

更新されていないが

当時あの奥さんは

40代だった訳で

学ぶのに遅い

という事はないのだ

ということを教えてくれた

私の人生にとって

貴重な存在でもある