くジン(Gin)のお話
ジンはもともと、
17世紀半ばオランダで作られました。
オランダの
ライデン大学
医学部教授の
シルビウス博士は
熱病予防に
利尿効果のある
杜松の実
ジュニパー・ベリーを使った薬を考えました
それを
杜松の実をあらわす
フランス語
ジュニエイブルという名で
売り出すと大人気に。
薬としてより飲み物として
オランダを代表する
までになりました。
後にそれがイギリスにわたり人気を博し
ジンという名で呼ばれるようになり
製造の本場もイギリスに変わりました。
また更に後
ジンはカクテルベースとしても活躍し、
その多くがアメリカで生まれていることから
”オランダで生まれ
イギリスで磨きをかけられ
アメリカによって栄光を与えられた”酒、とも言われています
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オランダのライデン大学医学部教授のシルビウス博士は熱病予防に
利尿効果のある杜松の実、‥
ブランデーの
錬金術師であり医者の
流行り病の話は
たぶん
このシルビス博士の話が元になっているのだと思う
このジンが日本にやって来たのは、江戸時代の、出島政策の頃のようで、長崎のその出島の地からジンの入った瓶が見つかったそうだが、本来の、薬として用いられた、と書かれていた
見つけた人は中身を
試飲したのだろうか
そのジンが飲み物として日本に来たのは開国後、横浜の居留地に店を出した、今でいえば輸入雑貨の店
日本国産のジンというと、それほど歴史は古くなく
開国の、開港の頃、横浜の居留地で
アイリッシュということでイギリスの輸入品代理店により販売され
後にSANYOという名で壽屋、今のサントリーにより、缶詰などの雑貨品と共に薬用の飲み物として売り出されたとか
国産品なると、歴史はなお浅く
1936年にサントリーで
外国のレシヒを元に
完全な日本の手法による
クラフトジンになると2016年に京都の会社が初めて製造した
とあった
居留地時代のジンは
山下公園通りから先が海だった頃、英国領事館の跡地に建てられ
関東大震災により
崩壊したグランドホテルに、イギリスで産まれ育ち、サンフランシスコで学んだ人により、
ミリオン・ダラーというカクテルになり、そこで手法を覚えた人が銀座のライオンで提供することになり
グランドホテルは
ニューグランドホテルとして営業を始め
ホテルのバー
シーガーディアンでは
大仏次郎が鞍馬天狗を構想しながら
銀座のライオンでは
菊池寛が
酒ならばコクテール、コクテールならば ミリオンダラー・コクテール、雑誌ならばわが文藝春秋とCMに使い
世の中に広しめて行き
Dale DeGroffという
世界のカクテルのレシピの一つになっている
そのグランドホテルの始まりがイギリス領事館の跡地であり
スタッフにイギリスの人がいたからかは、
分からないが、横浜のホテルの支配人の息子さんはイギリスの学校で帝王学を学ぶのが通例だったそうで
母の小学校の同級生もイギリスに留学して
その間に父親が亡くなり、経営に困った母親は、トンカツ屋とか広告代理店とかを手広く営む人と再婚し
母の幼馴染みが帰国すると、ホテルの脇にあるシェルルームというお店の経営権だけが残されていたとか
そのお店の前を通ると
その幼馴染みの方が手招きをして
タルトを一つ食べていくようにと
お店に招いてくれたりしたのだが
それから歳月が過ぎて
高二で英検二級を取ったとき、母を通じて
そのおじさんの奥さんが、何故か一級を一緒に目指しましょうと
週末になるとお宅に
お邪魔して
流石に現役は違うわね
なんて煽てられて
受験してみれば
私はA判定で
奥さんは合格
当時は成績優秀者を
表彰する式があり、
次回の参考に是非と
誘われて
あの時ほど
居心地の悪い思いを
したことは
いまだに
更新されていないが
当時あの奥さんは
40代だった訳で
学ぶのに遅い
という事はないのだ
ということを教えてくれた
私の人生にとって
貴重な存在でもある