■ 2002/09/03 (Tue)横濱俳句倶楽部ほのぼのとから
曼珠沙華ひとむら燃えて秋陽強し
という句がある。
作者は釈超空。
本名を折口信夫(おりぐちしのぶ)という。
民俗学者であり、国文学者であり、神道学者である。
そして、歌人としての釈超空。
正確には季重なりだが、秋の日差しの射すような強さの今日などにふと思い出す句である。
その超空は昭和28年の今日、亡くなった。
だから今日は超空忌。
彼の名もまた、俳句の秋の季語である。
曼珠沙華とは、サンスクリット語で赤い、という意味なのだそうだ。
そして、この、曼珠沙華、所謂彼岸花には
1090もの別名があるそうだ。
北原白秋の歌に
赤い花なら 曼珠沙華
オランダ屋敷に 雨が降る…というのがある。
江戸幕府の時代に
外国人と一緒になったことで国外追放された
ジャガタラ(ジャカルタ)お春という人がふるさとを偲んでいる様子を詠っているのだそうだ。
雑木林の中から、秋の陽の当る野の脇にふっと出て、そこに思わぬ赤さの彼岸花が列を成して咲いているのを見ると、えもいわれぬ、異様なものを感じる。
彼岸とは
村を社会の単位としていた頃の
地の外れのことでもあるそうだ。
村人にとって
彼岸の先は未知の世界であったのだろうか。
柳田国男が神は祖先であるという、祖先神を唱えているのに対して
折口信夫は、まれびと、異界からの来訪神を唱えている。
異界、川の向こうがそうであれば、隣村の住人も異界の人になったのだろうか
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最近は品種改良されていろいろな色の
彼岸花が花壇の花用に売られているそうで、他所の家の花壇に咲いているのを
見たりするが
私が子どもの頃、次姉が港の丘で咲いている
彼岸花を持ち帰って
家の花瓶に生けていたら
お隣のおばさんから強かに叱られていたことが有った
今の時代
隣の中学生を本気で叱るおばさんなどいないと思うが
花壇に咲く彼岸花を見ると
なんとも言えない違和感を感じてしまう
たぶん根底に
彼岸花は村の彼岸に植えるという過去からのDNAが存在しているのだと思う
次姉と彼岸花と言えば、その後
港の見える丘が公園になった頃
イギリス庭園と呼ばれる辺りに
百年に一度咲くということで話題になった
ブルーラインの上永谷駅の近くに植えられた
リュウゼツランが植えられていて
何を思ったか次姉はそれを植えている人から分けて貰ったと、持ち帰って
狭い庭にいけていたことが有った
それを見た時も、お隣のおばさんから
これは生来大きくなってとても危険だから
と、強制的に返却に行かされていた
その後、埼玉県の高麗市に
巾着田を見に行き、その、林の中に
赤々と咲くその様は、美しいというより
妖しいというふうで
だからか、私の中の彼岸花の印象は
触ってはいけない花であった
しかし
夫が病んで転居した頃、その地元の
隣町に、彼岸花が美しく咲くお寺があると
知り、娘と出かけて来たのだが
幾つものお地蔵さんの周りに咲く彼岸花は
とても長閑な気持ちにさせられて
初めて
彼岸花は美しいというという認識をした
花の美しさは、人それぞれの感性で決まる物
そうなると
港の見える丘から彼岸花を持ち帰った
次姉がお隣のおばさんに叱られたのは
理不尽極まりないことであり
今の、個性の時代には全くソグワナい話
なのだろう
それでも
彼岸花の別名に付いて
2002年にブログを書いた頃
どこかの高校生が全国調査した結果を
載せたことが有ったあが、どの名前も
やはり死を匂わせる名前であったので
やはり
家の中には相応しくない花なのだと思う
今日の誕生花に彼岸花というのを見つけたが
誕生花に夾竹桃や彼岸花や鳥兜を選ぶ人は
どんな気持ちで選んでいるのだろう
君の誕生化を贈る、と言って、鳥兜や
夾竹桃、彼岸花の花束を貰って
たぶん絶対喜ばないと思う