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ミナミのブログ

のんびり、、まったり

 2004/05/25 (Tue) YAHOOブログから 

今日(5月25日)は、浜田廣介が明治26年(1893)

山形県と宮城県の県境にある

東置賜郡屋代村大字一本柳に生まれた日。

彼は50年をかけて、泣いた赤鬼など

1000もの童話を書いたのだそうだ。

その中に、椋鳥の夢、というものがある。

風の音にも、母親が帰ったかと思う、椋鳥の子ども。

今日、会社に見えた青年が

拉致の被害者である方のお子さんについて

まるで見世物のようになっているお子さんたちが

可哀想だと言った。

テレビを見ていると、確かにそうだと思う。

それにも増して、どのような理由にせよ

たくさんの柵や思い出を断ち切って

全く見知らぬ土地に来られたお子さん達の心中を思うと

胸が痛くなる。

しかし、彼らの家族はもう

風の音がしても、浜田廣介の童話の中にある

椋鳥の子どものように、お母さんが帰ったのかな

と思わなくて良いのだ。

いつの日か、その浜田廣介の墓に刻まれた詩の、

『父母と並居やすけくわが墓もこゝにさだめむ山蒼き村』

そんな風に日本のことを思って欲しい。

しかし、一番の懸念は、彼らが見ていく日本に

電車やエレベーターを降りようとする者を

押しのけて入り込んで来る

 

走っている車に構うことも無く

何処にでも車を駐車させる

 

年長者や上司を尊重もせず

尊敬もしない若者

愛情を持って子どもを叱ることも

護ることもしない年長者

 

優しさの足りない人がいることに

呆れてしまわないだろうか、ということだ。

私自身が、自分を省みる良い機会かもしれない。

泣いた赤鬼に、青鬼が残した手紙は、

アカオニクン、ニンゲンタチトハドコマデモ 

ナカヨク マジメニツキアッテ タノシククラシテイッテ クダサイ。

ボクハ シバラク キミニハ オ目ニカカリマセン。

コノママ キミトツキアイヲツヅケテイケバ

ニンゲンハ

キミヲウタガウ コトガ ナイトモ カギリマセン。

ウスキミワルクオモワナイデモアリマセン。

ソレデハ マコトニ ツマラナイ。

ソウ カンガエテ、ボクハコレカラ タビニ デル コトニ シマシタ。

ナガイナガイタビニナルカモ シレマセン。

ケレドモ、ボクハイツデモ キミヲワスレマスマイ。

ドコカデ マタモ アウ ヒガアルカモ シレマセン。

サヨウナラ、キミ、カラダヲ ダイジニシテ クダサイ。

ドコマデモ キミノトモダチ アオオニ

こんな風に結ばれている

 

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先日、ブログを掲載するにあたり

一度目は今使ってはいけない文言が有った故に認証されず

AIによって確認して、文言を改めたり、取り消した上で

認証して貰えたのだが

 

この作業をしているうちに、40年も前に読んだ

小説を思い出した

 

猫や宇宙人やロボットが人間を支配する、という話

 

これは私の記憶では星新一の作品だったと思うが

 

少年が犯罪を犯し、同年代の子の命を奪ったのだが

国はその少年の将来の為に

名医が開発した過去を消す薬により

脳の中のその記憶を消して

 

その犯罪歴を忘れた少年は立派な大人になり、妻を娶り

大きな家の庭で幼い子どもと遊んでいて

 

偶然通りかかった、我が子を失った悲しみの親は

その姿に

来ることの無かった我が子の未来図を描いている

 

そんな話

 

昨日、AIで自分の文章の正誤を確認しながら

今の時代の子ども達は

AIという人工知能により知識を学んでいくのだと思うと

心の何処かで

地球の未来は大丈なのかという疑問が湧いた

 

私がネットの世界でブログや掲示板での

文字で会話するようになった頃

自分の経験に基づいての言葉に対して

 

●●氏の文章ではそうは言わない、という返事と

そのソースは?

という言葉を何度か頂いたことが有った

 

●●氏は

今でいうインフルエンサーのように

ネット上で知名度のある人であったり

ソースは

ウィキペディアという

個人が自由に加筆出来る情報サイトであったり

 

当時、親たちから戦前や戦中、戦後について聞いたことや

実際に自身が経験された文章が幾つも掲載されていたが

その文章も、そのソースという言葉で否定して

今はネット上から殆ど消えている

 

そして二十年前にブログサイトに載せた

私の文章さえも今はAIによってrejectされてしまう

この状況を見ながら、夫のことを思い出していた

 

夫が夫の妹の

夫にとっては突然の逝去でのショックにより

過去の記憶の全てを失くす状況になる少し前に

夫は自身が提出する、銀行の用紙への書き込みさえ

私に依頼し始めていたこと

 

夫は長らく海外に行っていたので

日本語を書くのが億劫になっていたのかと思ったが

今思えば、思考を他人に依存する

それは有る意味脳の衰えのサインだったのだろうと

 

他人に雑事を任せるように、AIに思考を任せていると

脳の衰えはもっと早くなるのでは

そしてやがてあの星新一の描く猫のように

AIが人を支配するのでは、と

 

そのAIを操るのは宇宙人なのか

善悪を超越した人間なのか

その目的は

 

それを思うと、変にワクワクもしてくるが

残念ながら私にはその結末を知るだけの寿命は有りそうもない

 

泣いた赤鬼の結末はどうなったのだろうかというのも

気になるが

 

そう言えば、ダッシュ村も

この先どうなっていくのだろう

 

せめて残る人達に青鬼のような

手紙が届いているといいな

 

 

 

 

 


 

■ 2002/06/25 (Tue)

  

住宅建築の素材において

もっとも強調したいのは

タイル工事業者としては至極当たり前の事だが

やはり、タイルである。

タイルの原型は

紀元前7世紀頃バビロン

現在のイラクに既に現われている、と言われる。

現在のような施釉タイルに近いものは紀元前18世紀に

エジプト、サッカラの階段ピラミッドの中に貼られている。

やがて、イスラムにより

中近東における寺院に用いられ

スペインの聖堂を通じ、ヨーロッパに広がっていった。

形を定めて工場で生産されるようになったのは

意外にも、19世紀後半になってからのことだそうだ。

日本においては、飛鳥時代

百済から仏舎利とともに僧達のよって伝えられ

当初は、寺院の床や壁などに用いられていたそうだ。

タイルが一般的に用いられるようになったのは

明治初期

西洋風の建物が多く見られるようになってからのこと。

横浜においても、明治大正、昭和の初めの頃に

タイルを用いた素晴らしい建物がたくさんある。

わけても、山下公園にある

インド水塔の天井に施されたモザイクタイルは

見事としか言いようがない。

横浜といえば、神奈川県庁の外壁もそうだが、

横浜市開港記念会館

赤レンガ倉庫といわれるウエア、のように

赤レンガタイルが多く用いられている。

横浜地方裁判所の新しい建物もまた

半世紀前に建てられた部分の外壁を残し

その上に同系色の赤レンガタイルを貼る

という形を取っている。

その人は

スペイン、バルセロナの金工師の息子として生まれた。

素材や技術において技巧を凝らした独創的な建築物を残し

カタルーニャが生んだ偉大なる建築家として

世界中にその名を知られている

 

その人もまた、タイルを建物に好んで用いたそうだ。

父の名は、フランシスコ・ガウディ

母はアントニア・コルネ。

本名をアントニオ・ガウディ・イ・コルネット、という。

生まれたのは

1852年日本流では嘉永5年、6月25日。

…この日を記念して

今日を、全国建設労働組合総連合が

1978年(昭和53年)に、住宅の日と制定した

、、そうだ。


(町の大工や佐官屋など職人の腕と信用を再確認する日)

 

なのだそうだ

彼が73年の生涯を

路面電車に轢かれて終えるその日までかけた建物は

今でもまだ、未完成のまま、建築を進められている。

その建物の依頼主はサン・ホセ

帰依者教会で宗教書を出版する書店主の

ホセ・マリア・ボカベーリャ。

着工は1882年。建物の名は、サクラダファミリア。

竣工は、あと100年ほど先らしい。

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サクラダ・ファミリアは2034年を竣工予定

しているそうで、後百年は待たなくても済むようだ

 

建物と言えば、昨今の災害を懸念して

横浜市は老朽化した建物の取り壊し、建て直しを

しているそうで、神奈川県民ホールも今年三月末に

休館になった

 

嘗てブログに書いたが、横浜市では建築物の耐震基準を

阪神淡路大震災当時に、現地に赴いて調査したことで

1980年以降新たに定めている

 

なので1975年に建築された県民ホールも

当然その対象になったのだろうと思う

 

ただ、日本はモノより人という政策に代わって以降

現場の技術者を育てる訓練施設というものが閉鎖され

それに代わってITの技術を重んじるようになったのだが

 

これからの建物に関しては、組み立てキッドのように

工場で機械で仕上げて、現場で組み合わせでもするのだろうか

 

大工さんの見習いというものを見なくなって

既に半世紀近くなるが

最近、外国の動画に、嘗ての日本の職人の技術を用いて

建物を建てるシーンが有って

日本の若者がその技術に感動しているコメントを見ると

なんとも言えない気持ちになる

 

今は無いブログサイトに文章を書き始めた頃に始まった

日本の地図に名前を乗せるという理由で農業を始めた

グループが、何かの不祥事で解散することになった

 

確か2000年あたりだったと思う

 

おりしもインターネットの2000年問題が世の中で

大きく取り上げられていた頃

日本列島を一筆書きで回るとか

ソーラー電池で車を走らせるとか

体当たり的な企画が楽しくて、子ども達と楽しみに観ていた

 

それから五年ほどして、その番組の名前の村を

日本地図に載せる、そんなことから始められたダッシュ村

 

華やかな芸能界のタレントとは思えないほど

大工仕事や農業に励む姿が好ましくて

 

また、近隣の

その道のプロから物を教わる姿勢も素晴らしく

 

ところが東日本大震災でその地域は避難区域となり

立ち入りが出来なくなって

今は都会のビルの屋上や、福島の田んぼを借りて

農業をするという番組になった

 

農業の他にも離島での生活、浜辺の再生、と

自然と対峙する若者が技術を習得していく姿は

尊敬にも価した

 

それが数日前、理由も被害者も明かされない問題で

グループの一人が自粛して

今日はそのグループ自体を解散するという

 

被害者も、被害の内容も明かされない

 

しかし、そのプロジェクトのために興した会社の

代表の一人である彼の無期限の自粛で

 

ふと、被害者というのはその番組に参加していた

現役のタレントなのだろうかと思った

 

今の時代は

ダッシュ村が始まった頃のような

肉体労働や、時間外労働を強いたり、徒弟制度的なものを用いたり

それを強要すれば

労基法に触れ、時には人権問題にもなる

 

そしてこの問題については当人でなくても

訴えを起こすことも可能だ

 

ただ、テレビ局や制作サイドを訴えれば

次の仕事の保証どころか、仲間の仕事さえ危うくなる

 

実際のところは良く分からないので

単なる推測以外の何物でもないのだが

 

今はタレントや芸人がテレビの制作に合わせて

過重労働をする時代ではないのかも、と

そんなふうに思え

 

この先は

こんな問題が多く起きていくのかもしれない

とも思えた

 

そうだとしても

当たり前の権利を主張する

それだけのことであり

 

解散のニュースを聞きながら

DASH村が終了すれば

農業という業(わざ)を子ども達に伝えていた世界が消えていくという無力感を思い

 

ゆく河の

水の流れは絶えずして

しかも元の水にあらず

 

そんな詩を思いだしたりしている

 

地図に名前を残すという夢の為に

一所懸命頑張っていた彼らの姿を思い出すと

 

実際の問題はなんであったのか

百聞は一見に如かず

という心境にはまだなれそうもない

2004/06/24 (Thu)Yahooブログから  


今日は美空ひばりが亡くなった日で

りんご追分から、林檎忌

そして、ひばりの名から、麦の日、というそうだ。

雲雀と麦  という詩は

ぴいぴいぴいと囀る雲雀、
囀りやんで何處らへ落ちた、
青い青い麥の中か、
姿かくれて見えない雲雀。

というもの

 

これは

尋常小学校といわれた頃の文部省唱歌なのだそうだ。

そしてもう一つ、もう一つ

お家忘れて

というものがある。

お家忘れた 子ひばりは
広い畑の 麦の中
母さんたずねて ないたけど
風に穂麦が 鳴るばかり

お家忘れた まよいごの
ひばりはひとり 麦の中
お山の狐は なかぬけど
暮れてさみしい 月あかり
=鹿島鳴秋作詞=

 

小さな女の子は

家を忘れたわけではなかったようだが

帰りたくもなかったようだ。

纏わりつく幼い子どもを

邪魔だから、と、高い場所から突き落としてしまう。

それまでの女の子の人生は

どんな風だったのだろうか。

 

そしてまた、未成年の女の子が

真夜中の町で殺害され、発見されたというニュースを読んだ。

その女の子は、外国の男性から

プリペイドカード式の携帯電話を与えられていたそうだ。

この子ども達にとって

家庭とは、どんなものなのだろうか。

今、新しい国を作るために

テロリストと戦っている国の子ども達に

優しいまなざしをさしかける方がたくさんいらっしゃるようだ。

それは素晴しいことだと思う。

しかし、私は、ひとつの童話を思い出している。
 

それは、インドの物語だ。

貧しい少年がいつも遊んでいる公園に行くと

着飾った大人と子ども達が、集まって

たくさんのご馳走が並んでいる。

少年が近寄ると、その大人の一人が

仲間の子どもと思い込んで

彼に、他の子供たちと同様に余興をするように促す。

少年は、とても歌が上手で

だから、愉しげに歌い上げる。

すると、大人たちは感激して

少年にメダルを与え、褒め称える。

そして、その後、その少年の親に

舞台に上がるように呼びかける。

その親などいるはずがなく

少年が、実は、その場所に紛れ込んだ

乞食の子と解ってしまう。

すると、大人たちは次々に少年を罵倒し

犬でも追い払うかのように

少年をその場所から追い出し

そのとき

少年の首にかかっていたメダルを引きちぎる。

その後、会場は何も無かったかのように

賑わっていき

最後に、その中の代表が

 

これで外国の貧しい子どもたちへの寄付が

たくさん集まりました、

と、挨拶をする。

その小説は

自国の子どもを救うことの方がずっと大切

と結んでいる。

基本的なルールを守らない大人達を

見ている子ども達に

ルールの大切さを教えるのは、大変なことだ。

家族だけが頑張ったからといって

子ども達が全てを納得できるわけでもないと思う。

 

日本へ見えたマザーテレサは、日本の様子を見て、

豊かそうに見えるこの日本で

心の飢えはないでしょうか。

だれからも必要とされず

だれからも愛されていないという心の貧しさ。

物質的な貧しさに比べ

心の貧しさは深刻です。

心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、
もっともっと貧しいことだと思います。

日本のみなさん

豊かさの中で貧しさを忘れないでください。

という言葉を残している。

守るべきものを見失わないように

時には厳しさも大切なのだと思う。

 

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少し前から

家庭内ホームレスという言葉を

耳にするようになった

 

両親共に高学歴で働いている家庭の

高校の、特に女子生徒が夜の街を徘徊する。

 

親との意見や価値観の対立で

家に居場所の無い子が路上で暮らすための

自己防衛として始めたのが

ガングロという化粧だという

そんなドキュメンタリーをテレビて報じていたのは

1980年代後半になってからだろうか

 

その頃、海外では

夫婦で要職に就く人が多くなり

二人で人生を謳歌したい

そして女性の体形が崩れるのを阻止したい

そんな理由からDNKS w income no kids

という生き方を選択する人が多くなったが

日本でも若い夫婦の間でその形を選択し始めていた

 

一方で月五千円で子どもを持つことが出来る

と言う表現で

貧困国の子どもに対して契約を結んで

その子を直接支援するという

そんな支援の仕方が出来て行った

 

家庭内ホームレスの子は

家庭に帰ることは出来ても

自分自身の部屋が有っても

毎日の学費や生活のためのものは整っていても

食事と会話が無いのだそうだ

 

食事が無かったら自分で作れば良い

 

それまでなにも教わらずに、学校や塾や

習い事に行き、高校に入ったら突然

何の前触れもなく、説明もなく

会話もなく、家の中で独りの生活が始まる

 

かなり前に大人になった自分でも

もしそんなことを家族にされたら

どうだろうか

 

凄く心が疲弊すると思う

 

しかしその対象は子どもだけではなく

母親であったり、父親であったりもするとか

 

家族の中の、気に入らない特定の誰かを疎外する

 

その発端は、感謝という気持ちを育むことなく

成長し得た時代の豊かさが有るのだろうなと思う

 

今の時代は努力しなくても多くのものが

容易く手に入る

 

安価だから粗末にしても良い

 

今の時代は勉強さえすれば高校に入れる

 

親は我が子を良い大学に入れて

よいところの就職させて、と

その為の軍資金を稼ぐために

幼い頃から保育園に入れて働きに出る

 

そしてその大学のランクが決まる高校入試で

芳しくない成績を修め

親の意図しない高校に入る

 

その途端、親は子どもを無視し始める

 

それが今の時代の家庭内ホームレスなのだとか

 

安価な人生しか選択出来ない子どもだから

面倒をみる気も起きない

そんな気持ちなのだろうか

 

そのホームレスとされる子の親に

人に物を教える職業の人もいると聞いて

心の中の重しが一層重くなった気がした

 

1980年代のホームレスは

番組の人に諭されて、ある時家に帰ったのだが

当然、家を出たことに対して怒りながらも

テーブルにはたくさんのおかずが用意されて

その子は家に帰る選択をしていた

 

もしかすると再び家を出るかもしれないが

それでも帰る家がある

 

しかし今の時代の子は

家庭こそが一番落ち着けない場所という

 

本当の意味で食べるものにも事欠くような

貧しい時代ではない今こそ

家庭の在り方を深刻に考える

そんな時期なのだと思う

 

生活が貧しいことより

心が貧しいことの方が

事は深刻なのだと

 

ほんの一年前に

有り余るほどのお米を

炊いて調理した後に棄てて、それを杞憂して

お米が売れないこと、無駄にされることを

懸念していた筈が

 

お米の値段が上がったという理由に不満を言い

 

国はそれに応えて

飢饉や災害に備えたはずのお米を提供する

 

お米の値段が上がってから後、昨年度の

いろいろなお店からのご飯の廃棄量は

50万トン以上削減されたという

 

問題の本質はこんなところにもあるのかもしれない

 

常にいる人だから粗末に扱う

何も言わなくても帰ってくるから

会話もしない

 

路上で暮らす子を恥として

いろいろな対策をして

結局子どもを、家庭内の路上の送り出す

 

親が守るべきものは

我が子一択だと思うのだが

 

雲雀は

草むらで子育てをして

危険が迫ると

遠くまで走り、空高く舞って標的になり

我が子を守るとか