住宅の日 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

■ 2002/06/25 (Tue)

  

住宅建築の素材において

もっとも強調したいのは

タイル工事業者としては至極当たり前の事だが

やはり、タイルである。

タイルの原型は

紀元前7世紀頃バビロン

現在のイラクに既に現われている、と言われる。

現在のような施釉タイルに近いものは紀元前18世紀に

エジプト、サッカラの階段ピラミッドの中に貼られている。

やがて、イスラムにより

中近東における寺院に用いられ

スペインの聖堂を通じ、ヨーロッパに広がっていった。

形を定めて工場で生産されるようになったのは

意外にも、19世紀後半になってからのことだそうだ。

日本においては、飛鳥時代

百済から仏舎利とともに僧達のよって伝えられ

当初は、寺院の床や壁などに用いられていたそうだ。

タイルが一般的に用いられるようになったのは

明治初期

西洋風の建物が多く見られるようになってからのこと。

横浜においても、明治大正、昭和の初めの頃に

タイルを用いた素晴らしい建物がたくさんある。

わけても、山下公園にある

インド水塔の天井に施されたモザイクタイルは

見事としか言いようがない。

横浜といえば、神奈川県庁の外壁もそうだが、

横浜市開港記念会館

赤レンガ倉庫といわれるウエア、のように

赤レンガタイルが多く用いられている。

横浜地方裁判所の新しい建物もまた

半世紀前に建てられた部分の外壁を残し

その上に同系色の赤レンガタイルを貼る

という形を取っている。

その人は

スペイン、バルセロナの金工師の息子として生まれた。

素材や技術において技巧を凝らした独創的な建築物を残し

カタルーニャが生んだ偉大なる建築家として

世界中にその名を知られている

 

その人もまた、タイルを建物に好んで用いたそうだ。

父の名は、フランシスコ・ガウディ

母はアントニア・コルネ。

本名をアントニオ・ガウディ・イ・コルネット、という。

生まれたのは

1852年日本流では嘉永5年、6月25日。

…この日を記念して

今日を、全国建設労働組合総連合が

1978年(昭和53年)に、住宅の日と制定した

、、そうだ。


(町の大工や佐官屋など職人の腕と信用を再確認する日)

 

なのだそうだ

彼が73年の生涯を

路面電車に轢かれて終えるその日までかけた建物は

今でもまだ、未完成のまま、建築を進められている。

その建物の依頼主はサン・ホセ

帰依者教会で宗教書を出版する書店主の

ホセ・マリア・ボカベーリャ。

着工は1882年。建物の名は、サクラダファミリア。

竣工は、あと100年ほど先らしい。

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サクラダ・ファミリアは2034年を竣工予定

しているそうで、後百年は待たなくても済むようだ

 

建物と言えば、昨今の災害を懸念して

横浜市は老朽化した建物の取り壊し、建て直しを

しているそうで、神奈川県民ホールも今年三月末に

休館になった

 

嘗てブログに書いたが、横浜市では建築物の耐震基準を

阪神淡路大震災当時に、現地に赴いて調査したことで

1980年以降新たに定めている

 

なので1975年に建築された県民ホールも

当然その対象になったのだろうと思う

 

ただ、日本はモノより人という政策に代わって以降

現場の技術者を育てる訓練施設というものが閉鎖され

それに代わってITの技術を重んじるようになったのだが

 

これからの建物に関しては、組み立てキッドのように

工場で機械で仕上げて、現場で組み合わせでもするのだろうか

 

大工さんの見習いというものを見なくなって

既に半世紀近くなるが

最近、外国の動画に、嘗ての日本の職人の技術を用いて

建物を建てるシーンが有って

日本の若者がその技術に感動しているコメントを見ると

なんとも言えない気持ちになる

 

今は無いブログサイトに文章を書き始めた頃に始まった

日本の地図に名前を乗せるという理由で農業を始めた

グループが、何かの不祥事で解散することになった

 

確か2000年あたりだったと思う

 

おりしもインターネットの2000年問題が世の中で

大きく取り上げられていた頃

日本列島を一筆書きで回るとか

ソーラー電池で車を走らせるとか

体当たり的な企画が楽しくて、子ども達と楽しみに観ていた

 

それから五年ほどして、その番組の名前の村を

日本地図に載せる、そんなことから始められたダッシュ村

 

華やかな芸能界のタレントとは思えないほど

大工仕事や農業に励む姿が好ましくて

 

また、近隣の

その道のプロから物を教わる姿勢も素晴らしく

 

ところが東日本大震災でその地域は避難区域となり

立ち入りが出来なくなって

今は都会のビルの屋上や、福島の田んぼを借りて

農業をするという番組になった

 

農業の他にも離島での生活、浜辺の再生、と

自然と対峙する若者が技術を習得していく姿は

尊敬にも価した

 

それが数日前、理由も被害者も明かされない問題で

グループの一人が自粛して

今日はそのグループ自体を解散するという

 

被害者も、被害の内容も明かされない

 

しかし、そのプロジェクトのために興した会社の

代表の一人である彼の無期限の自粛で

 

ふと、被害者というのはその番組に参加していた

現役のタレントなのだろうかと思った

 

今の時代は

ダッシュ村が始まった頃のような

肉体労働や、時間外労働を強いたり、徒弟制度的なものを用いたり

それを強要すれば

労基法に触れ、時には人権問題にもなる

 

そしてこの問題については当人でなくても

訴えを起こすことも可能だ

 

ただ、テレビ局や制作サイドを訴えれば

次の仕事の保証どころか、仲間の仕事さえ危うくなる

 

実際のところは良く分からないので

単なる推測以外の何物でもないのだが

 

今はタレントや芸人がテレビの制作に合わせて

過重労働をする時代ではないのかも、と

そんなふうに思え

 

この先は

こんな問題が多く起きていくのかもしれない

とも思えた

 

そうだとしても

当たり前の権利を主張する

それだけのことであり

 

解散のニュースを聞きながら

DASH村が終了すれば

農業という業(わざ)を子ども達に伝えていた世界が消えていくという無力感を思い

 

ゆく河の

水の流れは絶えずして

しかも元の水にあらず

 

そんな詩を思いだしたりしている

 

地図に名前を残すという夢の為に

一所懸命頑張っていた彼らの姿を思い出すと

 

実際の問題はなんであったのか

百聞は一見に如かず

という心境にはまだなれそうもない