大勢の人と一緒に仕事をする | LEO幸福人生のすすめ

LEO幸福人生のすすめ

幸福の科学一信者のブログです。
幸福の科学での学びを中心として、
読んだ本や、観た映画の感想などを書いています。
面白くて~わかりやすく、ためにもなるブログを目指しています!

 

 

大勢の人と一緒に仕事をする。

そのためには、心の練度を上げないといけない。

自分の仕事や、自分の勉強にしか関心が無いようでは、これが出来ない。大勢の人と一緒に仕事をするのは無理、ということが述べられている。

既刊書の「生霊論」より。

 

 

自分のことしか考えていない、自分の仕事、自分の勉強、自分の興味あることにしか目が向いていない、ということは、

 

自分の外にあることに目が向いていない、理解の目が届いていない、という意味において、視野が狭い、ということになるし、その場合、自分の外に居る人たちが、何か大変な思いをしていたり、そこが原因で会社全体の問題が起こったりしても、問題が大きくなるまで気が付かなかったりする。

なぜかといったら、そこまでアンテナを張ってないで、周りのことに無関心で、自分のことにしか目が行っていなかったから。

 

極端な話、そういう事情で、たとえば会社が社会的な糾弾を浴びるような顛末に陥ったり、場合によっては会社そのものが無くなってしまったりしても、自分には関係が無いと言っているようでは、気付くのが遅いわけだし、もし自分がある程度以上の立場にあったら、自分には無関係です、部下の不始末です、などといって逃げることは通常許されることではないし、そういう無責任ではそもそも管理職にすら就けないだろう。

 

他の人への関心を持ち、他の人の仕事状態にも目を向けるというのは、なにも自己保身のために必要というのではないし、協調して物事を為していくためには、そこまで広い視野を持って、全体がよく見える状態で、自分の仕事を実践しないといけないわけでしょう。

それが、全体のことは興味の外で、ただ自分の仕事だけやっていればよい、自分に興味の無いことには参加しない、とか、そういう自己中態度であっては、そもそも他の人と一緒に仕事を円滑に行なうことさえ出来ませんからね。

 

わたしは経験上思うのですが、たとえば交代制の仕事で時間割で交代して、後の人に仕事を上手に引き継がないといけない仕事の場合、前の人は後の人のことをどれだけ考えて、きちんと仕事をこなして、負担を残すことなく引き渡せるかが重要だし、後の人は後の仕事だけ考えていればよいわけではなく、自分が逆の立場になったらすべきことを知るためにも、前の人の仕事はいかようなものなのか、どこまでやったら後の人は助かるのか、そういうことを考えて仕事をするべきでしょう。

これをきちんと出来ている人は、協調性もあり、相手のことも考えて仕事をしてくれる人として評価され、評判もよくなるでしょう。

ところが、自分の最低限の仕事だけやっておればいい、余計な仕事は一切やりたくない、あとは後の人がやればいいだろう、と考えて、協力の気持ちが薄い人、こういう自己中タイプは嫌われますね。出来る人と比較されて、いっそうその出来なさがバレバレなので、余計に、あの人は自分のことしか考えていない、といって批判されますね。

 

不思議なことに、自己中の人ほど、仕事を最低限のことしかやらず、後の人のためにプラスアルファの仕事をしようという気持ちがまるで無い。だから仕事量が少ないわけですが、自分としては、自分の仕事はきちんとやっている、といって自惚れているんですよね。

他には、もっと後の人のことを考えて、プラスアルファの仕事をしている優秀な人がいるのに、そういう人の仕事の仕方を知らないのか、見えていないのか、そういう働き方をしようとの学びが無い。

視野が狭く、自分のやるべき範囲しか見ていないので、最初に言われた仕事範囲のことはちゃんとやっているから、自分はやるべきことはやっている、と自分を評価していて、決して周りからの評価が低いことに気づかなかったりする。

自分中心で、自分の考えにしか関心が無いと、そういう視野狭窄に陥ってしまって、他の人のために働く、だとか、そこまで気持ちを向けて配慮する、だとかいう視点が全く身につかないようです。

注意されたりすると、なんでそんな余計な仕事をしないといけないんだよ、と不平不満を言ったりする。余計な仕事はしたくないし、今の仕事量からさらにやることを増やすなら、もっと金を寄越せとか、そういう利害打算と自己保身の気持ちばかり考えて、全体観を持っていない。

もとの働きが、収入に見合った働きをしておらず、怠けすぎ、出来なさすぎなんだ、というような自分に厳しい評価は、そうやすやすと受け入れないでしょう。

周りが優しすぎたり、大人の対応で我慢して合わせてあげすぎたりすると、こういうタイプの仕事人間が出来上がってしまって、それゆえまわりのちゃんとした人が我慢してストレスを増やしてしまう、なんていう悪循環を起こしてしまいますね。

なのに、肝心の中心人物は、必要最小限の仕事しかやっていないのに、自分は一人前の顔をしていたりするものです。

 

何がいけないのかといったら、やはり自己中心、自分中心の発想しか持たず、しかもギブアンドテイクの考え方でしか働いていない、仕事を増やすなら給料を上げろ、だとか、上がらないなら、今以上のことはいっさいやらない、だとか、そういう取引の考え方ばかりで、しかも自己中心だと、こうなりますね。自分はいっさい余計なことをやらされて、これ以上負担を増やされたくない、というのも、損得勘定の自己保身です。

 

そうではなくて、与える愛というのは、ギブアンドギブなので、後の人のためにプラスアルファの仕事をしたとしても、お金は1円も増えないけれど、そんなお金や打算でやるわけじゃなくて、続いて仕事をする人が出来るだけスムーズに仕事が出来るよう、前準備を出来る限り前の自分がやっておいてあげる、だとか、交代制の仕事ではなく、同時間に組になって働く場合でも同じことで、一緒に組んでいる相手が困っていたら助ける、逆の場合は相手が助けてくれる、そういうお互いが助け合う精神こそが大事なのであって、これはお金が増えるとかそういうこととは関係が無いんですよね。

一緒に生きている同胞、一緒に働いている同胞のために、お金の損得じゃなくて、真心で接しているか、相手の気持ちを考えて、協調性をもって働くこと。

これが出来る人ほど、協調性を持って働いていると言えるし、自己中から遠いところで、多くの人と一緒に仕事が出来る人と言えるでしょう。

 

男性と女性が大勢で働くような職場の場合、自分の経験としては、女性の方がこういうところはきちんと出来ている人が多いように思いますね。男の方が自己中心で余計なことはしたくない、というタイプが多くて、そうして一緒に仕事をする相手としての社内評価が低い例が多い。女性でもダメな人はいるでしょうけどね。

周りの人への目がしっかり行き届いている、というのはどういうことかと言うと、これは母親が複数の子供を同時に見守ったりする能力、とも通じているだろうなーとも思いますね。

だから転生の過程で、子供をたくさん同時にしっかり見守って育てる経験を多く持った女性の魂は、こういう目配り能力が高いのかなー、とも思います。

男性で高い場合は、これも今世のみでなく、過去の転生において、周りの人間の言動をよく見て高次の判断をする、そういう魂修業をよく行なって来た結果かなー、とも思いますしね。

自分のことしか見えていない、周りの人の言動や感情の動き、こういうことに全く理解の目が届いていない、どころか、基本的に関心すら無くて、ただ自分の狭い視野でしか仕事を見えていない、見ていない、お客さんに対する態度でも、自分の側の考えしか基本的に頭に無い、というタイプは、仕事能力も低いし、対人能力も低いなー、と見ていて思わざるを得ませんね。

これはなぜかといったら、やはり、相手の立場になって考える、自分中心ではなく、向き合う人の気持ちへも配慮する、そういう魂の修行がぜんぜん足りていないからじゃないの、だとしたら、今世のみでもそれは必死になってやるべきだし、ある程度こうしたことが自然と出来る人は出来る人で、けれどもそこに慢心することなく、相手の立場に立って考えるという訓練をいっそう磨いてゆく必要があるのだろうな、とも思いますしね。

 

いずれにしても、自分中心で、自分の仕事にしか興味が無い、自分の勉強にしか興味が無い、関心が無い、という魂の状態は、やはりどうしても視野が狭くならざるを得ないので、自分では沢山の本を読んで見聞を広めているつもりでも、日常生活において、あるいは仕事の場において、他者への配慮の気持ちが薄かったり、相手の立場に立って考えて、自分が少しばかり損をしたり疲れるようなことであっても、相手のためになるなら協力しよう、働こう、頑張ろう、という実践が出来ていないなら、これはやはり視野が広い状態とは言えないのではないか、と私は思いますね。

やはり日々の実践、日常生活における実践、実際にリアルに出合う人たちとのなかでの協調性、相手の立場に立って考えること、相手のためになるような貢献をすること、義務感からではなく、与える喜びの気持ちでそれを為すこと。

そういう生き方が大切なのではないかと、そう思うわけです。