アメリカ的なる行き方 ~保安官か、ワシントンか? 高坂正堯教授の論~ | LEO幸福人生のすすめ

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すでに故人であるが、国際政治学者の高坂正堯さんが述べている「アメリカ合衆国に関する洞察」には、学ぶべきものが多いように思う。

高坂さんは、1996年に亡くなってしまっているけれど、渡部昇一さんや岡崎久彦さんなどと、ほぼ同世代で、4年年下なのに20世紀に亡くなってしまっている。

この方の知識量と、その博識から導き出された洞察には、感心させられることが多くて、頭がいいなーこの人、と感じさせてもらえる稀有なる学者だ。

 

アメリカの戦い方というのは、奇抜な作戦を採るよりも、着実に、確実に勝てる作戦を選ぶ方が、より主流派である、という洞察。

奇抜な戦法や奇襲による勝利というのは、稀に成功することがあっても、失敗した場合のダメージは大きいし、そんな無鉄砲な賭けをするよりも、もっと確実性のある勝ち方があったら、そちらの方を好む、という意味で、そういう戦い方こそアメリカ軍の典型的な戦い方ではないか、と高坂さんは論じている。書かれたのは前世紀であることを踏まえても、これはなかなかに鋭い洞察だと思える。

 

先の日米戦争で、圧倒的に軍事力に開きが出た米軍有利も有利の末期にあっても、アメリカ軍は日本軍がいる島嶼を、まずは艦砲射撃で徹底的に砲撃しまくり、敵軍の反撃力を削いでから、上陸戦を敢行する、という戦い方をしたという。

日本からしたら、実に嫌な攻撃方法だが、向こうからしたら自軍の犠牲を避けるためには、いかにも最もな戦い方であると言うしかないし、圧倒的な兵力で取り囲んで完全勝利を目指すという戦い方は、石原莞爾的に言ったら、まさに殲滅戦争の極致のスタイルではないか、とも思う。

 

ドイツを倒す際にも、イギリスのトップは一気にベルリンを落としてしまい、ドイツの降伏を狙うべきだと提言していたと言うが、連合軍の主力たるアメリカはそれを拒否して、ドイツの支配地域を周囲から着実に攻め落としていって、最後の最後にベルリンまで迫る、という戦い方を選んだのだという。

イギリス提案のベルリン速攻攻撃をしていたら、ドイツの降伏はもっと早く、1944年には降伏していただろうと言われているらしい。しかし実際のドイツ降伏は、1945年の5月であった。

アメリカの慎重さ、犠牲を極力避けて、圧倒的な兵力でもって、着実に戦線を狭めて行って、敵軍を追い込む、という戦い方ゆえに、ドイツ陥落がそれだけ遅れた、という批判もあるらしい。

けれども、これは実にアメリカ的な戦い方で、アメリカの軍隊はこのような戦い方を選ぶことで勝利した例がたくさんあるのだという。

 

さかのぼって、なぜアメリカがそういう戦い方をするようになったか、といったら、それは西部開拓の歴史を背負っているからではないか、というのが高坂正堯さんの洞察だ。これが非常に面白いというか、すごい分析と洞察ではないかと思う。

広大な西部を開拓しつつ西へ向かい続けた歴史においては、短兵急な考え方では成功はおぼつかない。着実に、地道に道を切り拓いていかないといけない。

そのためには、せっかちな行き方は好ましくないし、急がず慌てず、着実なる行き方を選ぶのが吉である、という考え方。

こういう歴史を背負っているから、アメリカ人は、こうした行き方をよしとして、無意識のうちにも、そうした着実なる前進を好む習性がある、という洞察を高坂さんはしているようだ。

 

第二次大戦における、アメリカの反撃、日本への反撃もそうであったように思う。アメリカは、反撃の力が十分に具わるまでは自重しつつ、そうして本国では軍事力増強のための緊急時の軍需産業フル稼働で、武器弾薬の製造から、船舶、航空機の開発・製造を、通常に数倍する勢いで増産し始めた。

そうしていったん日本への反撃を始めるや、怒涛の進軍と圧倒的な勝利の積み重ねで、日本は緒戦の勝利の果実を次々と手放すことになり、最後には国家が滅びかねないところまで追い詰められてしまった。

 

西部開拓の時代。

面白いなと思ったのは、次の高坂正堯さんの洞察のことば。

 

「西部劇に出てくるような無法者や保安官は西部の開拓の代表的存在ではなかった。西部を開拓したのは若き日のジョージ・ワシントンのような注意深い測量家であり、大きな駅馬車隊の組織者であり、そして秀れた経営能力と強い指導力によって鉄道を建設して行った鉄道王たちであった。大平原の征服のためには、孤立した英雄的行為ではなく、地道な努力を慎重に積み上げて行くことが必要であったのである」

 

 

広大な西部を開拓しつつ広げていくためには、地道な努力を慎重に積みあげて … とある部分が、先に述べた、アメリカ的な勝利のための常套手段、ということになる。アメリカは、こういう行き方を好むのであって、勝利者のパターンを調べると、だいたいこちらの行き方をしている人の方が主流であるという。

マッカーサーは奇抜な戦い方をするが、それよりも、よりオーソドックスな戦い方を選ぶアイゼンハワーの方がアメリカ的であり、主流タイプであり、だから大統領の地位にまで上がったアイゼンハワーに、マッカーサーは及ばない、という考察も興味深いと思う。

 

西部劇に出てくる保安官は、西部開拓の代表的存在ではなかった。

西部を開拓したのは若き日のジョージ・ワシントンのような注意深い測量家であり … 

とありますね。

 

これ、バイデンのような大統領では、アメリカを率いるには相応しくない。

アメリカを率いるのに相応しいのは、トランプ大統領のようなタイプである、と読み替えることも可能ではありませんかね。

霊的に、魂の出自をふまえて考えてみたら、アメリカ的な行き方に相応しいのは、トランプさんのようなタイプであって、保安官程度のバイデンでは、西部劇映画のちょい役くらいでは使えても、主人公にはなり得ない、ってことになるのではないかとちょっと思いつつ、高坂さんの著作を読んだりしてしまいました。

 

ちなみに高坂正堯さんは、幸福の科学の霊言で、すでに登場していますね。