読書について | LEO幸福人生のすすめ

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幸福の科学一信者のブログです。
幸福の科学での学びを中心として、
読んだ本や、観た映画の感想などを書いています。
面白くて~わかりやすく、ためにもなるブログを目指しています!

つまらない本を山のように読むくらいだったら、
厳選された、わずかの良書をじっくりと熟読した方がよい。
無益な本を大量に読んでも、智慧にはならないが、良書を深く学ぶことは、智慧への気づきを与えてくれるからだ。
読んだのちに、どこまで腑に落として自らのものとするのか、できるのか。
読書はそのための第一歩にすぎず、読んでのちの更なる学習があって初めて、智慧の段階にまで踏み込める。

良書を読むのが第一だと思う。
そうして、人生の基本的な姿勢を定めること。しっかりとした人生観を確立するための読書、そうした教養の基となるような良書、名著、聖なる書を選んで、よく学ぶことが先決だと思う。

この基本中の基本、学びの中心となる幹の部分の名著をしっかりと押さえつつ、そこから徐々に読書範囲を広げてゆくこと。幅広いジャンルを渉猟しつつ、それぞれのジャンルにおいて優れた洞察をなしている人の書いた名著をよく学ぶこと。

学びにおいては、誠実さ、謙虚さ、真摯さ、素直さ、といった心構えが肝要だと思える。
素直であるからこそ、著者の述べていることを、あるがままに読むことが出来る。最初から独特の読み方をする必要はない。学びの最初は、オーソドックスに、基本に忠実に学ぶのが筋であって、最初から斜めから読むような方法は取らない方がいいのである。基礎をしっかりと忠実に学んだ上で、それから先の応用や変化球であるべきで、初めからオーソドックスな道を外れた読み方をしては、容易に邪道や邪見に陥るのが関の山であろう。

数多くの本を読むこと自体に、意味があるわけではない。間違った考えの思想書を山のように読んだとして、いったいそれが何の知恵になるだろうか。間違った考え方を山積みして、それによって幾ら理論武装したとしても、真理に反する邪見や悪見の思想はどこまで行っても間違った思想のままであって、そこに正しさが生まれるわけではない。量より質が先決であって、質があっての、その次の量でなければ意味がないと私は思う。

幸福の科学の信者である自分にとっての幹は、言うまでもなく、幸福の科学総裁である大川隆法先生が教えてくださる、エル・カンターレから見た世界観、人生観、空間論・時間論を中心とした、そうした教えの数々である。
これを学びの中心軸として、自分が獲得すべき人生観・世界観の中心として学びつつ、そこから見て、他のさまざまな思想であるとか、歴史であるとか、文学、あるいは政治経済、自然科学、芸術その他、そうしたものを学んでゆくのが、わたしにとっての学びであると思っている。

霊界における多次元構造、どういった生き方が天国的なる生き方であって、さらには天国の高次元世界に通じる生き方であるのか、あるいはその反対に、地獄的なる生き方であるのか。この判定はきわめて重要だと思うものであって、こうした霊界観、霊界における位置づけ・ポジション、それは単に並列的にあれもこれも同等と見るのではなくて、高さと、横の広がりによって秩序づけられた、神の目から見た価値秩序、位置づけということだ。
表と裏というのも重要な要素であるし、天国と地獄という高低の違いも重要な要素であって、これらの価値基準によって、いったいその考えは奈辺に位置づけられる考えであるのか。そこを踏まえての学びこそが、とても重要になってくると思えて仕方がない。
もしこうした霊界の価値基準、神の目から見た価値の峻別を知らなければ、あれでもいい、これでもいいといったアナーキーな世界観に堕してゆく人が大いに違いない、と思う。
どの考えが高次の考えであるのか、天国の中でもオーソドックスな生き方であるのか、神から見て良しと言われるような生き方であるのか、間違っているとは言えないがオーソドックスな道からは外れた裏的な考え方とはどういうものであるのか、などなど。

こうした霊的観点があることをよく理解しながら、読むべき本をよく選び、どれを熟読すべきなのか、どれは問題外の本であるのか、どれを精読し、どれを参考程度にさっと流し、そうした数多くの学びを経て、自分のなかでどこまでの認識体系を築けるか、それを霊界構造の理解において、どこまで正統的な学びと成し得るか、それとも間違った考えのオンパレードに終わるのか。
すべては、中心軸にどのような人生観・世界観を持つかに、まずは掛かってくると思われるし、その中心軸から、いかにぶれること少なく、オーソドックスにして、かつ、膨大な知識を渉猟して、質だけでなく、量をも兼ね備えた認識力を身に着けることが出来るか。

そうした課題をもって、自分としては、本の読み方を日夜工夫し、選びつつ、さまざまな本を渉猟しているように思います。