11月にカーブミラーを吹っ飛ばす物損事故を起こして以来、4ヶ月ぶりの再開です。
毎日吐きそうな緊張感の中頑張っておりますよ。
幸か不幸か冬の期間は路線を走らずに済んだわけですが、まあ、冬道の恐さはそれなりに味わいました😅
それでも大きな事故無く冬を越せたのは幸いでした。
これから夏に向けて、市内路線の独り立ちを目指します。
とこで、4月3日で転職1周年となりました。
どこまで頑張れるかわからないけど、せっかく身に付きかかっている技術だから、もう少し上手くなるよう努力したいですね👍
昨年北海道胆振地方では、北海道観測史上最大である震度7の地震を観測しました。
その直後、想像もしなかった北海道全域での電源喪失『ブッラックアウト』が発生。電気が無い世界がどれほど危険で不安なものか、全道民が現実のものとして体験することとなりました。
東日本大震災から8年が過ぎようとしています。
2万人を超える死者、行方不明者を出した大災害から日本人は何を学んだのか。
胆振地方の震災と、それに付随したブラックアウトのことを考えると、人類は忘れる動物だと言うことを再認識せざるを得ません。いや、東日本大震災以降、緊急用の飲料水、食料、持ち出し用品などを用意していた人も多かったんだろうと思います。もしあの震災がなかったら、胆振の震災はもっと大事になっていたかも知れない。そういう点では防災意識の高まりはあったのだろうと思います。
しかし、何の備えもしていなかった人達が多かったのもまた事実。私の会社の社員でも、懐中電灯やラジオすら用意していなかった人がたくさんいました。
大勢の市民がコンビニやスーパーに買い占めに走ったのも同じ。胆振から遠く離れた網走ですら、食料品店から商品が消えました。
防災意識を高めるより維持する方が難しいということがよくわかる現象でした。
きっとまた数年置いて大きな災害がきたとき、何の備えもなく右往左往する人が大勢いるんでしょう。
原発に関しても然り。
経団連の会長は、積極的な原発再稼働を求める発言をしています。
先日は、炉内に溶け落ちた核燃料凝固物『燃料デブリ』に初めてロボットアームが触れた、などと報道されています。福島第一原発の廃炉は着実に進んでいるような流れです。
しかし、実際は何も進んでいません。ようやく触れることができたデブリは、そう簡単に取り出せるものではないことがはっきりしました。そもそも取り出したところで、それを保管する施設も技術もありません。
あろうことか、チェルノブイリ同様、石棺で封じ込めを図るという意見まで出ている。石棺を実施するのであれば、もはや地域が復興することはありません。2020年の東京五輪を復興五輪と位置づけているそうですが、被災地を見捨てる判断をするような政府が本気で復興を考えているとは思えませんね。復興庁もなくなるわけだし・・・お祭り事で目を逸らせ、なし崩しに復興予算を減らしたい考えが見え見えです。
福島第一原発だけでなく、いずれ廃炉を迎える老朽原発の危険性だって全く変わりはないのです。
毎年これを書いていると後ろ向きな言葉しか出てきませんが、皆さん、災害への備え・原発に対する検討や対応はまだまだ足りていません。暗く物事を考えているのではなく、安心安全な生活を将来においても確保するために絶対意識し続ける必要があることだ、と言うのを忘れないでください。
転職してから勤務時間が不規則になってしまったので、なかなか病院に通えないのが悩みの一つです。
ま、今のところ急を要するような病気は無いので良いのですが、歯医者だけはそうはいきません。詰めてあった金属が取れたりすると穴ポコが空きっぱなしになってしまうので、なんとかして治療に行きたいわけです。
私が通っている歯医者さんは、割と無理を聞いてくれるので助かります。「仕事の都合で今日しかダメなんです」ってときは、待ち時間は長くなるけど可能な限り診て貰えます。今日も突然時間が空いたので、延び延びになっていた治療を無理言ってやってもらいました。ありがたい。
話しは全然違いますが、歯科助手さんって言うんですか?病院で言うところの看護師さんのように先生のサポートをしている女性達。私の掛かり付けにも若い女性が数人います。
歯石の除去なんかはそれら助手さんがやってくれることがほとんどです。いすの背もたれを倒した状態で、位置としては助手さんが頭頂部の側からのぞき込むようにして歯をガリガリ掃除してくれます。
中には胸が豊かな方もおりまして、その体勢だと、ちょうどおっぱいが私のおでこに当たるような感じになってしまう人がいるんですな
そうなると、ご本人に他意は無くてもドキドキするのが男の性というもの。真剣に職務に勤しむ助手さんのおっぱいを感じながら、身動き取れずに緊張の時間を過ごすことになります。
若かったら単純に嬉しいんでしょうけど、さすがにこの歳になると落ち着かない気持ちの方が強くて困っちゃいますね~![]()
歯の治療中にロクでもないこと考えるんじゃねぇ!と思った方。健康な男子の証拠だと受け止めてくださいませ![]()
老眼のお話です![]()
つい5~6年前までは視力に不自由なく過ごしていたのに、一度小さな文字が見えなくなってしまうと、その悪化のスピードは加速度的に速まっている気がします。
バスを運転するときに手元に置くダイヤ表も、薄暗くなってくると結局見えなくなってしまいます。
最初に老眼鏡を作ったときは、無きゃ無いで読めた新聞や文庫本も、今や老眼鏡無しでは昼間でも霞んで読めない状態。目が悪いという経験がほぼほぼ無い人生を送ってきたので、字が読めないって衝撃的です。
一番ショックなのはスマホの文字。
もうね、全然読めないんですよ。夜なんか霧の向こうに文字が浮いているみたいです、
なので、とうとう我慢できずに文字サイズの設定を『大』にしちゃいました。いっぺんに表示される文字数は減るけど、少なくとも見え方はマシになりましたよ![]()
そこのあなた! スマホを目元から離して見てませんか? 無理するくらいなら表示設定をじじぃ向けに変えてしまいましょう。
歳を取るって色々大変ねってお話でした![]()
いやぁ、お久しぶりの投稿です。
朝は早いわ、休みは無いわでブログを書くのも面倒な感じだったもので![]()
仕事は順調に進んでいました。どっちかっつうと順調すぎるくらいでした。
7路線あるスクールバスは全て一人で運転できるようになりました。通常の路線に関しても、初級編である女満別空港線・市内観光施設巡りの2路線を独り立ち。その他当日限りの貸し切り運行も一人でやってます。ランクアップは会社と組合が合同で開く会議で決まっていくようなのですが、今年同期入社の4名(あとの3名は若者です)は思いの外使えると判断されたらしく、順次通常の市内・郊外路線教習を再開し、来春には都市間バスにも乗れるようにしたいと目論んでいたようです。
そんなわけで、私も今週月曜日から通常路線の教習が再開されました。しばらく先輩が付いて営業運転を行い、見極めに合格すれば全線独り立ちというわけです。
ただ、自分的には不安しかありませんでした。
なにせ通常路線の教習をしていたのは半年前。それからはスクールバス教習が半年続いていました。途中に学校の夏休みが挟まったりしたのでますます時間がかかったんです。
結果として通常路線が始まるのは雪が降ってからになってしまいました。重量級の大型バスを雪道で運転したとき、いったいどのような挙動をするのか … 全くイメージできないままダイヤに合わせて走る。プレッシャーは相当なものでしたからね。そりゃあ不安以外ありませんわな![]()
そして今週の月曜日です。
緊張感満載の中路線教習がスタートしたのですが、それは突然起こりました。怯えていた雪道と全く無関係。脇見運転による物損事故でした。
我々は一般的にお客様が見るような時刻表を見ながら走っているわけではありません。ポイントとなるバス停から次のポイントのバス停まで何分と言う時間割しか持っていないんです。言うなればポイント間のバス停に到着する時刻はカンです。
熟練の先輩方はポイント間を何分で走るかが全て頭に入っています。自分の中に体内時計が出来てるわけです。だから時間割なんか持たずに走っています。
じゃあ私はと言うと、当然そんな芸当は出来ません。時間割を手元に置いて、チラ見しながら走ります。言わばこの時間割(ダイヤ表)が命綱なんですね。私は右側の手元にそれを立てかけて走り出しました。
事故が起きたのはスタートしてわずか15分ほど経ったときです。手元のダイヤ表が倒れて下に落ちかけました。「あっ」と思った私は思わずそちらに目をやり、ダイヤ表を元の位置に戻そうとしました。次の瞬間、バシンッと言う爆音とともに粉々になった硝子が降ってきたんです。
何が起きたのか全くわかりませんでした。
車の中は粉砕された硝子でいっぱい。先輩の「止めて!」と言う叫び声に初めて我に返って停車。前部ドアの硝子が1枚無くなっていて、左のサイドミラーのステーがぐんにゃり曲がっていました。
走っていたのは右カーブの上り坂。右側に気を取られていつの間にか左に寄りすぎたんです。道の左側は擁壁(ようへき:斜面の崩壊を防ぐための壁状の構造物です)が続いていて、その擁壁から突き出すようにカーブミラーが設置されていました。それにサイドミラーのステーを引っかけたんです。引っかけられたステーは前ドアにぶち当たり、硝子を粉々に砕いたのでした。
お客様は2名乗車していたのですが、幸い二人とも車両の後部席に座っていたので怪我は無し。見かけは派手な事故でしたが、接触したはミラーだけだったので、車両自体が大きく損傷するような衝撃が無かったのも幸いしました。もしカーブミラーがなかったら、まっすぐ擁壁に衝突していたかも。結果としてカーブミラーに引っかけたこと自体も幸いだったのです。
先輩が乗客対応、ターミナルへの連絡、警察への連絡などをやってくれたので事なきを得ましたが、もし自分一人だったら頭が真っ白で何も出来なかったと思います。
会社に戻って運行管理と常務の事情聴取を受け、始末書を書いた上で後々賞罰委員会による処分が決まると言われました。
先輩運転手達からは「誰でも一度や二度は事故を起こしているんだから気にするな。引きずる方が危険だぞ」と慰められますが、そう言われても簡単に割り切れるものではありません。
やったことは脇見運転です。でも、自分の中ではもっと根深い。
結局時間が異常に気になるんです。「慣れれば大丈夫」とみんなが言うけど、明確な体内時計が無い上、これから雪道・アイスバーンを走らなければならない。ダイヤからどんどん遅れていくことは容易に想像できます。ダイヤの遅れはお客様にも会社にも迷惑をかける。だからダイヤ表は確実に見えていなければならなかったんです。その瞬間、前を見て運転するよりダイヤ表を元に戻すことの方が優先されてしまった。プロのやることではありません。それがどれほどショックだったことか …
その後も組合の委員長から「みんな多かれ少なかれやっていること。あまり気にしないように。なんとか来春には都市間バスに乗ってもらいたいので、冬型事故だけは気をつけて」と言われました。
確かに最終目標は都市間に乗ることだけど、この事故の後ではそんな一足飛びに事を進めたくありません。出来ることならダイヤがさほど関係しないスクールバスで冬道に慣れ、通常路線に慣れるのに来年1年間費やし、その後都市間くらいに考えたいのです。
そうは言ってもそれを決めるのは会社の方。
プロの運転手としてやっていきたいと言う気持ちに変わりはないのですが、私は不器用だし臆病者なので、とんとん拍子に行くことを望んでいるわけではありません。
やらないなら辞めてくれと言われればそれまで。辞めるしかないのかも知れませんね。
ま、当分は心の傷が癒えそうもないので、会社には教習のペースを考えて貰えるよう進言してみたいと思います。
あ、こんなこと書いているけど、実際のところは意外と元気なんですよ![]()
火曜日以降もこれまで独り立ちした路線はちゃんと乗っているのでご心配なく~

昨日になってしまいましたが、9月23日は私たちが結婚して丸30年の結婚記念日でした![]()
30年は真珠婚式というのだそうです。
銀婚式からの5年間は正に怒濤の5年間でした。
夫婦二人で網走に引っ越し、2ヶ月間の病気休業を経験し、今は転職してバスの運転手をやっている。銀婚式を迎えたときには想像もしていなかった出来事だらけです![]()
どの出来事も家内の助けがなければ乗り越えられないものでした。
今更ながら、自分にとって家内がどれほど大切なのかを思い知らされました。
お互い小さな不満はあるんだと思います。でも、幸い私たち夫婦はその不満が極々小さなものと考えている。きっとこれはとてもラッキーなことなんでしょうね。世の中には連れ合いの愚痴しか言えない人の方が多いですから。
35年目の結婚記念日を迎える頃にはどうなっているのかなぁ。
バスの運転は楽しいけど、今の時点で既に体力的にきついです。もしかしたら再び転職してたりして・・・
出来ることなら家内に愛想を尽かされないように頑張りたいですけどね![]()
9月6日に胆振地方中東部を震源とした大地震が発生しました。
最大震度は厚真町の震度7。北海道の観測史上最大の震度です。
網走も揺れはしたのですが、その揺れはごくわずかなもので、まさかこの地震が全道一円に及ぶ大停電を引き起こしているとは夢にも思いませんでした。
全ての電気が止まった街は大混乱でした。
私の会社も交通の安全が確保できないことから、市内線、郊外線、都市間バス全てが運休。信号が消えた交差点の通行がこれほど怖いとは思いませんでした。
明かりが消え、ほとんどの機械が止まった夜の街は真っ暗闇であるとともに、全ての音を吸収しているかのように静かでした。皮肉なことに、不気味に静まりかえった暗闇の街を信じられない数の星が美しく照らしていました。
現在、電気は概ね使えていますが、メイン電源である厚真の火力発電所が11月以降まで復旧しないとのこと。これから冬を迎えて大量に電力を消費する北海道には深刻な問題です。
泊原発を再稼働したいがために他電源の整備・防災を怠ってきたツケではないのか? と勘ぐってしまいたくなりますが、それは一生懸命復旧に努めている電力事業関連の方々に失礼と言うものでしょうね。
とにかく今は出来る節電をしていくしかありません。
こんなことしても・・・なんて思わずに小さな事からこつこつと、です。
不幸にして亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
また、震源周辺の市町村では引き続く余震に不安を募らせていることと思います。直接被災された方々は尚更です。
一刻も早く普段の生活を取り戻せますように。