無駄を認めることができないから幸せになれない | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

多くの人は自分の思い通りの人生を生きることができたら幸せだと思っています。

しかし、自分の思い通りの人生とは、無常が来ない人生。私たちは無常が来ないと思うと、自分がかけたお金も時間も無駄にならないと思って、価値のあるものを集めようとします。

例えば、高級車を買ったり、ブランド品を買うのも、それに価値があるからであり、価値のあるものを手に入れたら、自分は価値のある存在になれると思っています。

そうやって私たちは自分は生きてきた分だけ、より価値のある人間になれると思って生きています。

考えてみたら、世の中の人が考える成功者とは、価値のあるものをよく多く手に入れた人。それがみんな幸せだと思っています。

でも、どんなに価値のあるものを手に入れても、死んでゆく時にはすべて置いてゆかなければなりません。

つまり、どんなに価値のあるものを手に入れても、死んでゆく時にはゼロに戻るということです。その時、思うのですね。自分の人生は何だったのだろうと。

この世、どんなに地位を得ても、財産を得ても、名声を手に入れても、死んでゆく時にはゼロになる。そして、そんなことしか求めていなかった人生は無駄だったで終わる。

でも、多くの人は自分の人生無駄だったと思いたくなくて、自分の手に入れた価値に執着する。そして、価値のある所に立つ為に現実の自分を否定する。こんな所もあんな所も悪かった。自分はダメな人間なんだと思う。そして、否定することで、自分は完璧な人間という所に立って自分を価値のある所に立たせようとする。

人は自分の人生は無駄だったと思いたくないから、価値にしがみつく。人生をかけて価値のある人間になった自分が死んで価値のあるものを全部失っても、価値のある人間なんだと執着してしがみつく。

それで価値を失った惨めな自分だと思いたくなくて、現実の自分を否定してしまうのです。

人は価値のある人間になることが幸せだと思っています。でも、人生の最後に、すべての価値を失う。そして、そのことを認めることができないから、現実を否定し苦しむ。

結局、人は最後苦しむ為に生きている。

それを生み出すのが、今までやってきたことが無駄だと認められない心。

私たちは根本的に幸せとは逆の方向を進んでいる。そして、そのことに気づいても、今までやってきたことを無駄と思いたくないから、自分の生き方を貫いてしまう。

間違いを認めることは、今までやってきたことを無駄と認めること。

そして、一から積み上げてゆこうと思うこと。

それができなければ、私たちはいつまでも今までやってきたことを無駄とは思えず、執着して苦しみ続けてしまうのです。