仏教を求めるとは、光明を受けてゆくこと。光明を受けると、今まで愚痴の闇で閉ざされていた世界が明るくなり、自分の姿が見えるようになる。
私たちは思い込みで自分とはこういう人間なんだ、世界とはこういうものなんだと決めつけて見ています。
そして、その決めつけを自分にも他人にも強制してゆきます。
しかし、どんなに自分はこういう人間なんだと決めつけても真実は違う。
だから、現実では、自分の思いとは違うことが次々と起きます。
でも、現実では思いと違うことが起きても、それでも私たちは自分の思い込みの世界が間違っていると思わず、世界やまわりの人が変われば、自分は安心して生きてゆけるのだと思っています。
この思い込みの世界から離れ、真実を知ることが仏教の目的であり、真実を知る為にあるものが光明なのです。
この光明は世界を照らしています。しかし、私たちは真実を見る目がないので、光明を受けることができません。
だから、光明を受ける為にしなければならないものが聴聞なのです。
聴聞によって私たちはこの世界の見え方が変わります。そして、自分のことについて色々と知らされることが増えてきます。
この働きが光明の働きであり、光明の働きによって今まで気づかなかった自分の心が知らされ、自分を深く知ることができます。
そして、自分は本当は何がしたかったのかを知り、それを求めることで、本当の幸せになることが仏教の目的なのです。
私たち自分に暗い。その自分を明るく照らし、真実を知らせてくれるものが光明の働きなのですね。