光明を受けるとは | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

仏教を求めるとは、光明を受けてゆくこと。光明を受けると、今まで愚痴の闇で閉ざされていた世界が明るくなり、自分の姿が見えるようになる。

私たちは思い込みで自分とはこういう人間なんだ、世界とはこういうものなんだと決めつけて見ています。

そして、その決めつけを自分にも他人にも強制してゆきます。

しかし、どんなに自分はこういう人間なんだと決めつけても真実は違う。

だから、現実では、自分の思いとは違うことが次々と起きます。

でも、現実では思いと違うことが起きても、それでも私たちは自分の思い込みの世界が間違っていると思わず、世界やまわりの人が変われば、自分は安心して生きてゆけるのだと思っています。

この思い込みの世界から離れ、真実を知ることが仏教の目的であり、真実を知る為にあるものが光明なのです。

この光明は世界を照らしています。しかし、私たちは真実を見る目がないので、光明を受けることができません。

だから、光明を受ける為にしなければならないものが聴聞なのです。

聴聞によって私たちはこの世界の見え方が変わります。そして、自分のことについて色々と知らされることが増えてきます。

この働きが光明の働きであり、光明の働きによって今まで気づかなかった自分の心が知らされ、自分を深く知ることができます。

そして、自分は本当は何がしたかったのかを知り、それを求めることで、本当の幸せになることが仏教の目的なのです。

私たち自分に暗い。その自分を明るく照らし、真実を知らせてくれるものが光明の働きなのですね。