大学の為にお金を出すことは施しではないと思います | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

多くの親は子どもの為に大学の為のお金を貯める。その大学の為のお金は施しになるのかと言えば、施しにはならないのじゃないかと思います。

それは親が子どもの為に大学のお金を出すことは当たり前だと思っているからです。

特に父親は子どもの為の大学のお金を出すことは、親として当たり前だと思っている人が多いと思います。

当たり前だと思っているから、多くのお金を出している筈なのに、出したことで子どものことが大事に思えるようにはなりません。

施しとは、施しをしたことで相手の存在が大事に思えるようになり、大事にしたいと思うようになるものが施し。

でも、お金を出しても、それが親としての義務だからと思って出したお金は、それによって相手を大事に思うことはない。

だから、相手の為にちょっと迷惑をかけられただけで腹を立てて文句が出る。

そして、子どもの為にお金をたくさん出してきた筈なのに、自分から子どもが喜ぶだろうと思って何か買ってくることもない。

せっかくお金を出すなら、ちゃんと施しをした方がいい。大学のお金を出すのも、それが親の義務だからと思って出すのではなく、子どものことが大事だと思って出していった方がいい。

そうしないと長い間一緒に暮らしてきたのに、子どもとの間に絆はなく、やがて捨てられる。

考えてみたら、お母さんの所には子どもは集まる。お金を出しているのは、お父さんの筈なのに、子どもが集まってくることはない。

それはお母さんは子どものことを大事だと思って、色々なことをしてきたから。

ただお金を出しただけでは意味がない。そこに心があってこそ、施したことが本当に意味のあるものになるのだなと思いました。