無常は大事なことに気づかせてくれるご縁 | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

人は無常を経験した時、本当に大事なものが分かる。私たちはいつも大事なものがそばにあるのに、大事なものが見えず、疎かにしています。

でも、無常によって多くのものを失うと、今まで自分は何をしていたのだろうと、どうでもいいことに振り回されて生きてきたことを後悔します。

多くの人は幸せとはたくさんのお金を得て、欲しいものを何でも買えることだと思っていますが、真実から言えば、どれだけお金があっても、欲しいものを何でも買えても、心は何も変わりません。

それは幸せとはお金や物じゃないからです。でも、多くの人が幸せをお金や物だと勘違いするのは、お金や物には価値があり、価値のあるものを手に入れることによって価値のある人間になれると思っているからです。

私たちはこの価値のある人間になった優越感を幸せだと思っているのです。

でも、仏教では幸せとは誰かを見下して得られる優越感ではなく、穏やかな安らかな心になることが幸せなのです。

私たちは大事なものに気づく前は、お金や物などのどうでもいいものにとらわれて、心を忙しくさせていました。いつも心は動きづくめで静かになることがない。それは仏様の眼から見たら苦しんでいる状態なのです。

真の幸せとは、とらわれから離れた静かな心であり、それは大事な人と穏やかな日々を過ごすことによって得られます。

無常とは、自分にとって大事なものに気づかせてくれるご縁。いつまでも生きている訳では無い自分が、残された時間をどう使うか。それを考えさせてくれるご縁でもあるのです。

人はなぜ生きるか?

それは順風満帆に毎日を過ごしている人には考えないことです。何か壁にぶつかって、自分は何がしたいのだろう、何の為に生きるのだろうと考えるのです。

そして、本当の幸せに向かって進んでゆくのです。