人生生きていれば、様々な問題にぶつかります。多くの人は、そこから見える現実から逃げ、正しい所に立って安心しようとします。
しかし、現実から逃げて、正しい所に立っても、何も真実は知らされない。現実から逃げず、向き合った時、自分の醜さ、汚さが知らされます。
そんな自分は誰からも見捨てられるのでは無いかと不安になり、でも、見捨てようとすると、苦しくなり、誰かが助けてくれる訳では無い。
そんなありのままの自分が見せつけられて、そんな自分をこのままでもいてもいいんだと許してゆく道が、仏法の求道。
それは自分の思い通りに善人になれる訳では無い。それどころか、本当に自分のことしか考えない、自分勝手な自分が見えて苦しくなる。
どこまで自分が何か別の完璧な存在になる訳では無い。自分は自分のまま生きてゆくしかない。
そんな自分をこの自分で生きてゆくしかないなと受け入れた時、心が解放される。
頑張っていたこと、もがいていたこと、それらすべて悪人に落ちないようにしていただけ。
それが落ちるしかないと知らされた時、それでもここにいてもいいと浮かぶ。
それはそこまで進んだ人しか分からない世界であり、もがいた末に知らされる真理でもあるのです。