お釈迦様は阿弥陀仏に救われた人を我が良き親友なりと言われました。
これはお釈迦様は人々の救済の為に人生を捧げられましたが、まわりを見渡した時に、世の中にはたくさんの人がいるのに、私と同じように仏法を命として、仏法を教え、人々を救ってゆく人が余りにもいないことに寂しさを感じられたからではないかと思います。
まるで仏法に命をかけている人はこの世界の中で自分だけではないか、私は孤独な旅を続けているのではないかと感じられたのだと思います。
そんな中、阿弥陀仏に救われた人は、この釈迦と同じように人々を救う為に苦しむ人たちの中に飛び込み、教えを説いてゆかれる。
ああ、私と同じ気持ちで、生きている人がいるのだなと感じられて、この人こそ、この釈迦の親友であると言われたのだと思います。
この世にお釈迦様と同じ志で生きる人は少ない。
だからこそ、阿弥陀仏に救われた人はいつも孤独な道を進むのであり、お釈迦様はこんな道を進まれたのだなと感じながら生きてゆくのだと思います。
仏法を伝えてゆく道は孤独な道。自分の気持ちを分かってくれる人はほとんどいない中、お釈迦様のみ跡を慕い、この道をすすんでゆくしかないのだなと思わずにおれません。