苦しみを丸投げすると、その苦しみは激痛となる | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

私は苦しんでいる人がいたら、何でもしてあげたいと思って生きてきました。しかし、そうやって気づいてきたことは、そう思って相手に関わることで、相手は自分がやろうとしたらできることもやらなくなり、失敗を恐れて、不安なことは全部やらせようとするようになりました。

例えば、苦しみに関しても、仏教から言ったならば、苦しみは自分が生み出したものであり、苦しかったならば自分の種まきを変えてゆかなければならないのに、自分で何とかしようと動くことはせず、私に丸投げをして、何とかしてもらおうとするのです。

しかし、どんなに相手が苦しんでいたとしても、その苦しみを解決しようとして、自ら動いていかなければ、解決できません。

しかも、苦しみを丸投げして何とかして欲しいと思うと、わずかな苦しみでも激痛に感じられ、感情が乱れてゆきます。

それでも、何とかしてもらおうとして、自分の心を傷つけ、こんなに苦しんでいるから、何とかして下さいと期待して、自分で動こうとはしない。

結果的に苦しみの為にのたうち回ることになってしまうのです。

自分の苦しみを解決できるのは自分だけと思って、自分ができることはしてゆく。

その心がけが無ければ、苦しみから更なる苦しみを生み出し、苦しみ続けなければならないと思いました。