親鸞聖人は人間は煩悩の塊だと言われています。煩悩とは、自分、自分、自分に執着する心であり、私たちは自分が存在しているのに、自分のことを認識してくれないと、まるで自分は存在しないように感じて不安になります。
ある意味、人間とは、自分は存在していながら、自分は本当に存在しているかどうかハッキリしないものだと言えるでしょう。
私たちは自分に対して暗い。だから、自分を我だと思って執着します。そして、この我に様々な価値を持たせ、価値のある人間になることで、確かに自分は存在しているのだと安心したいのです。
では、なぜ価値のある人間になりたいのか。それは価値があれば、まわりの人は認識してくれると思うからです。
それほど自分は存在しながら、本当に自分は存在しているかどうかハッキリしないものが自分なのです。
自分の存在が希薄だから、自分は確かに存在しているのだとまわりの人に認めさせたい。そんな心から生まれるものが煩悩なのです。
たとえ我が無くなったとしても、自分は確かに存在しているとハッキリと確信できたならば、自分にとらわれることもなくなり、煩悩もなくなります。
煩悩とは、本当の自分が分からない所から生まれるものなのですね。