よく死んだら浄土へ往って煩悩が無くなると思っている人がいますが、それは本当に煩悩が無くなったらどうなるか分かっていないから言えることだと思います。
煩悩の元は自己中心的な心、つまり、自分に執着する心のことです。だから、煩悩が無くなるとは自分に執着することが無くなることを言います。
つまり、今自分だと思っているものが無くなってもいいと思えることが煩悩が無くなることです。
私たちは今自分だと思っているものに執着しています。もしそれが無くなってしまったら、私たちは自分は何者か分からなくなります。
私たちにとって自分が分からなくなること程の恐ろしいことはありません。だから、肉体が死んで煩悩が無くなったら、自分が分からなくなり、とてつもない不安が襲ってきます。
それは例えるならば、自分の足元にある大地が突然消えて、果てしなく落ちてゆくようなものです。落ちた先に何が待っているか分からない。そんな先の見えない状態で、いつ何がぶつかるか分からない不安を抱えながら、果てしなく落ちてゆく。そんな不安です。
だからこそ、生きている時に段階的に煩悩から離れてゆかなければなりません。
まず絶対に離れなければならないものが我が自分だと思って執着する煩悩です。
ほとんどの人は我が自分だと思っています。そして、臨終に自分だと思っていたものが夢のように消えてしまいます。この時、私たちは自分が何者か分からなくなり、大きな不安に襲われます。
だから、私たちは死ぬまで我が自分だと思う迷いから離れなければなりません。
人は死にます。でも、死が恐ろしいのは、今まで自分だと思っていた我を失い、自分が何者か分からなくなるからです。
我が自分だと思わなくなり、心が自分だと気づいたならば、たとえ臨終に我を失っても、苦しむことは無くなります。
なかなか我が自分じゃないと認めることは難しいことであり、人は我が自分だと思って、執着する煩悩から離れることは難しいことなんだなと思いました。