よく私たちは極重の悪人だから、さらに方便なしなんだという人がいますが、それは頭だけの理解であって、実際に体で知らされたものではありません。
仏教という教えは、頭だけでは通れぬもの。親鸞聖人は私たちは極重の悪人だと言われていても、本当に自分が極重の悪人かどうか。心から善をやらなければ知らされません。
それは私たちには自惚れがあり、どんなに私たちは善なんかできるものではないと言われても、やればできるというものがあります。
そして、この心はやればできると思いながら、本当にやろうとはしません。それは本当にやってできなければ、やればできるという所に立つことはできないからです。
しかし、仏教ではこの自惚れを自力と言われ、自力を捨てなければ救われないと教えられています。だから、本当に善ができないかどうか。本当の所が知らされるまで全力でやっていかなければならないのです。
それは親鸞聖人が極重の悪人と言われているから、自分もそうなんだと頭で納得して通れる世界ではありません。
実際に心からやろうとして知らされる世界であり、誰もがそこを通らなければ本当の所は分からないのです。
そういう意味で浄土真宗の救いは、心から善に励んだものにあるものであり、実際にやろうとしないものには絶対に分かるものではないのです。