八正道 | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

仏教では煩悩から離れる為に八正道が教えられます。八正道とは、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のことです。

ここで煩悩とは、価値があるかないかにとらわれる心であり、価値のあるものを手に入れることで、他人の上に立ち、価値のないものを見下す心でもあります。

なぜ価値にとらわれるのか?

それは自分のことを価値のない人間だと思っているからです。私たちは自分のことを価値のある人間になりたくて、周りの人から価値のある人間だと思われようとしていますが、自分が価値のない人間だと自分のことを本心では思っているのは、自分のことや自分のものをまるで価値のないもののように粗末に扱っているからであり、それが自分に跳ね返ってきて、価値のない人間だと思っているのです。

だから、価値のある人間になりたいと思うのなら、自分のことや自分のものを大事にしなければなりません。

私たちはそう聞くと、すぐに自分やものを大事にしなければならないと思います。しかし、現実には、自分やものを粗末にすることが染み付いてしまっている為、大事にしようとしても、なかなか大事にできません。

この時、できない自分を責めて、大事にできない自分はダメなんだと思いがちですが、仏教では、正しいことだからやらなければならないと思うのではなく、まず、これが正しいことなんだと受け止めるだけでいいと教えられます。

実践することよりも、仏教で教えられたことで自分の思想を修正して、これが善で、これが悪なんだなと思うだけでいいんだと教えられます。

これを仏教で正見と言います。

仏教では正しいことだからやらなければならないと思うことよりも、正しいことは正しいことで、自分の中でこれは正しいことなんだと受け止め、善悪の基準を仏教の善悪に正し、基準を変えないことが大切だと教えられます。

これが正見であり、これができなければ、仏教の善悪に合わせて自分を修正することはできないと教えられます。

まずは、善悪を変えないこと。それができて、じゃあ、今度は少しづつ自分の思うことや話すこと、行動を変えてゆこうとするのです。

具体的には自分のことや自分の身の回りのものや人を大事にしてゆくことです。

そうすることで、時間がかかりますが、少しづつ自分の習慣が変わり、業が変わってゆきます。これを正業と言います。

そして、業が変わることで自分のことを価値のない人間だと思っていた念が変わり、価値のある人間だと思えるようになる。これが正念です。

そして、最後に価値があるかないかにとらわれる心から離れ、価値があるからといって舞い上がることも、価値がないからといって落ち込むこともない。心のアップダウンのない、いつも一定な心になるのです。これを正定と言います。