無常が知らされなければ煩悩も起きて来ない | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

仏教で私たちは煩悩の塊だと教えられています。煩悩とは価値のあるものを求めて価値のある人間になろうとする心。

でも、多くの人は価値のあるものを私は求めていないよと思うかも知れません。確かに世の中で価値のあるものを求めて価値のある人間になりたいと思っている人はあまりいないのかも知れません。

では、そういう人は煩悩が少ないのかと言えば、そういう人たちは人生はまだまだ続いてゆき、終わりはあるかも知れないが、それはまだまだ先のことだと思っています。

価値のあるものを求めて価値のある人間になりたいと思うのは、人生に終わりがあると感じて、悔いなき人生にしたいと思うからです。

死を意識することなく、人生は永遠に続くように思っている人は、無意味な毎日を送っていたとしても、それに疑問を持つことはありません。

結果、価値のあるものが欲しいと思うこともなく、ただ毎日楽しいことはないかなと思って生きてゆくことができるのです。

そんな私たちも人生には終わりがあると知らされると、このまま終わりたくない、悔いなき人生にする為にも価値のあるものが欲しいと思うようになるのです。

そこから人と争ってまで価値のあるものに執着する煩悩が起きてくるのです。