他人を責める人は、その前に自分を責めています。それは目の前の人を通して何か自分が悪いのじゃないのかと思った訳ではなくても、何かのことで自分が悪いのではないかと思うだけで自分を責めてしまうので、自分を責めるのは苦しいことだから、悪いのは自分だけじゃない、他人の方が悪いと思って他人を責めてしまうのです。
だから、自分を責めない人は、他人がどんなに悪くても責めることはありません。それは他人のことは自分とは関係ないからです。
そういう意味で他人を責める人は自分の中に悪人を責める鬼がいて、その鬼がいつも自分の悪を見て責めているように感じるから、その鬼の目を自分から逸らす為に他人の悪を見て責めてしまうのです。
だから、他人を責めることを止めたいと思ったならば、自分や他人の悪を見ても、その悪があるのは仕方ないと思って責めないことが大切です。
でも、他人の悪を責めることは止められても、自分の悪を責めることはなかなか止められないものです。
それはそれだけ自分は善人という所に立っていたいからです。善人に立っていなければ、まわりの人から見捨てられると思っているのです。
でも、自分のことを悪人と認めても、誰も見捨てる人はいません。それなのに、一人で悪人になることを恐れ、善人でなけれぱならないと思っているのです。
自分は善人でいたいから、悪を責める。悪を責める人は善人だと無意識で思っています。
それで自分の悪が見えると自分を責めて、善人に立とうとする。そして、自分を責めてくないから悪人を見つけては責めてしまうのです。
悪人を責めたって善人にはならないのに、それが分からないのですね。