みんな死んだら浄土へ往って、穏やかで平安な生活ができると思っています。
しかし、生きている時の現実の生活は、いつも時間を欲で埋めて、何もない静かな生活をしている人はいません。
いつも時間ができると、テレビをつけて、見たい訳でもなく、テレビを見る。そうやって老後を過ごしている人が多いのではないでしょうか。
いつも時間ができると何かで埋めて、静かな環境で過ごしたことのない私たちが、もし死んで浄土へ往って、煩悩を掻き立てることのできない時間を過ごすとしたら、果たしてそれは幸せなのでしょうか。
多くの人は時間ができると、その隙間の時間に欲を入れます。テレビを見たり、スマホを見たり、いつも多くの時間を欲に流れて過ごしています。
そんな人たちが欲を満たす縁がなくなったのなら、どう過ごすのだろうかと思います。
きっと時間を過ごすことが苦痛ではないかと思います。
だから、死んで浄土へ往きたいと思ったならば、まず欲から離れて、欲に流れることの無い時間を過ごすことに慣れてゆく必要があると思います。
欲から離れて、それでも穏やかに過ごすことができたならば、その時、本当の意味で浄土へ往く為の準備ができたのだと思います。
欲に慣れた人にとって欲のない世界は苦しい。しかし、その苦しみが苦しみでなくならなければ、本当の意味で穏やかな生活を送ることはできないのではないかと思いました。