私は説法で仏法を語りながら、自分ではあまり聴聞していませんでした。それを聴聞を通して見たくない真実が見えそうで、いつか見なければならないと思いながら、その日が来るのを先送りにしていました。
では、その見たく真実とは何かと言えば、必ず死んでゆかなければならないということです。
私はいつかは死んでゆかなければならないと思いながら、それはまだまだ先のように考えていました。そして、そうやって考えていれば、まるで死なないことがあるじゃないかとさえ思っていました。
しかし、仏法が知らされてゆくと、だんだん人は必ず死ぬ、自分も死んでゆかなければならないと知らされてゆきました。
そうすると、欲に流れて時間を過ごすことが勿体ないことに感じられて、意味のあることに時間を使わなければならないと思うようになりました。
そして、世界には何もない、自分の心だけが続いてゆくのだと知らされてきました。
そして、自分を変えてゆく為に聴聞がしたいと思うようになったのです。
仏法は心を変える教え。心が変われば見える世界も変わる。そういう意味で、聴聞とは心の旅行をしているものだと感じます。
人生は限られている。その限られた時間の中で、自分を少しでも変えるために、仏法に触れていたいと思うようになりました。
人生で意味のあることは自分を変えること。幸せな心になる為に仏法に触れ続けてゆきたいと思います。